絵のタイトルは、「切株」です。
昭和記念公園で見た、まだ新鮮な切株でした。
切った後に分かる苦労と成長です。
残す木のために切られました。
今日のタイトルは、「顛末」です。
女子を好きになって、そのままということはない。
ますます好きになる。
こんな人だったのかと、どちらからともなく別れを告げる。
料理でもそうです。
早く火が通るものと、そうでもないものを分けて炒めた。
卵を絡ませているうちに、あれれ。
ご飯を混ぜる頃には、何か変。
さらに火を通し、炒飯になるころには、ぐちゃぐちゃです。
こんなはずじゃなかった。
野菜の筋だけが残って不味い。
初めからおかしかった。
子供も生まれ、続けるしかなかった。
筋だけが残る気まずい暮らしです。
やはりおかしかった。
後戻りはできない。
修復も簡単ではなかった。
勢いだけでは続きませんでした。
顛末は、
一緒の墓に入る入らない以前の問題となり、熟年離婚が脳裏を横切る。
ああ、30年を返しておくれ。
ボタンの掛け違いはどこだったのか。
夫婦生活なんてそんなものとあきらめるのか。
引き算をやめてから、人生が変わった。
あんなこともできる。
些細なことだけど、こんな嬉しいことがあった。
この人と一緒だから起こる奇跡です。
日々発見の毎日が続く。
私の目に狂いはなかったと、独り鼻の穴を膨らます。
定年後、「奥様に興味がある」といつしか嘯く(うそぶく)自分がいる。
顛末は、終わってみなければわからない。
過去の嬉しいことも、哀しいこともみーんな捨てちゃえ。
今何ができると、挑戦の日々となる。
右がだめなら左を使い、目がだめなら勘頼りです。
何とでもなる。
出来ぬからと下を向かず、遠くを見るうちにかかあが手伝う。
2024年12月4日
(あとがき)
顛末とは、
(「顛」は、いただきの意)事の初めから終わりまでのありさま。
事のいきさつ。一部始終。
(広辞苑より)
今日は、ゴルフに行く日でした。
私の風邪が治ったころ、妻が引きました。
移して正解、移されても正解。
二人とも疲れているのです。
「だめだめ、見ちゃだめ」で、熟年夫婦の顛末を書いています。
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(筆者)