故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

アララギ派

2014-05-11 23:44:57 | 思い出話

 

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アララギ派の古文の先生がいました。ITさんではありません。
2年、3年の古文の担当でした。


みの虫の話しが出て来ました。

「ちちよ」と啼くのです。


アララギ派は「父よ」と説明しました。故郷を偲んで啼くのです。
 私はやおら立ち上がりました。「先生、チチとは、にゅうではないでしょうか。」
先生は、「お?」という顔をされました。「何のことでしょう。ニューとは」


後悔が始まりました。ああ立たなければ良かった。余計なことを言わねば良かった。

もう一度、「にゅう」ですと私。「は?」と先生。


沈黙が流れます。


一人の女学生が悠然と立ち上がりました。

「先生、O君は、おっぱいのことを言っているんです。」 

 
皆が「おおっ。」

私は、急に恥ずかしくなり真っ赤になって座りました。

「乳」と言えない初な男子学生でした。それが高校3年生ですから笑いますね。

女学生の名は、「OGさん」です。一年の時、7HS(イケ面)と付き合っていたOさんです。覚えていませんか。

既に他界されました。


今後ともよろしくお願いします。
 

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S君のいたずら

2014-05-09 18:44:22 | 思い出話

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さて本日の話題は、掲題の「S君のいたずら」です。S谷と書いて、我々はEヤと読んでおりました。
S君は1年の時、7Hでした。


同じクラスにK君がいました。T村出身でした。柔道部員でした。
 貴女様は、御記憶にございますか。K君は、現役で明治大学法学部に受かりました。 東京の荻窪にアパートを借りておりました。日夜、勉学と妄想に明け暮れておりました。

S君の紹介で、私はTN大受験のため状況した折に、K君のアパートから受験に参りました。
 私は、すでに2浪をしておりましてあとがないという状況でした。

K君には、かねてより想いを寄せていたM高校女子バスケット部主将の方がいました。
 その方も、めでたく東京の大学に見事入学されておりました。 S君の労により、3人であうことが出来ました。しかもK君のアパートに3人で泊まることになりました。 3人で川の字に寝たそうです。

夜ふけになりました。純情なK君は、思わず件の女性に手を出してしまいました。
 K君の手はおずおずと延びて来ました。真ん中にS君が寝ていました。女性の頭の近く迄 手が延びた頃、答えるように、女性の手が延びて来ました。 K君は天にも昇る気持ちで、女性の手の平をそっとなぞったそうです。女性も優しく答えたそうです。 いつしか、二人の手は重なるように、くんずほぐれつの状態になっておりました。S君は、健やかな寝息を立てております。

たまらず、女性は笑い出したのです。夜中におかしくてたまらなくなったのです。
 K君がまさぐっていた手は、男にしては柔らかいS君の手だったそうです。 恋の行方はきいておりません。

また、馬鹿な男たちの話になってしまいました。
お許しください。

重ねましてご指導のほどよろしくお願いします。

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膝につぎ、腰に来た

2014-05-06 18:57:30 | よもやま話

 

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山仲間に誘われて、横須賀の山を登るようになった。

この当たりの山は、高くても200mである。

 この山仲間がとんでもない人たちであった。

 
沢に降り、山頂を目指して直登する。なるべく厳しいルートを選ぶ。

 
いつでも、高い山に登れるよう訓練をしていることが次第に分かって

きた。
 一日に20Kmを越える距離と総標高差1000mを越える上り下

りの繰り返しを
 なんなくこなし、夕方には浴びるほど酒を飲んで散会する。  

 3回目の山行後、膝に違和感があった。

 
これは、練習不足と1万歩を2倍に増やした。

 
階段も取り入れて訓練を始めた。2週間もしないうちに左膝が痛くなり

歩けなくなった。

 
それから、6ケ月まともに歩けなかった。膝が治りかけたら、右足がし

びれるようになった。

 
今度は、のたうちまわるほどの痛みである。風呂に入り、ごまかすこ

とができなくなり整骨院に行った。

 
翌日、ブロック注射を打ってもらった。九州へ出張しなければならな

かったからだ。

 
打ったその後1日間は、羽が生えたようになんともなく快適であった。

それもわずか
1日であった。

 
麻酔がきれたように、翌日はさらに痛みがひどくなった。

 
顔はゆがみ、人の話は悪くとるようになっていった。痛みは人格を変

え、ひどくネガティブになった。

 
それでも、彼女は、約束が違うと言わんばかりに「こうすれば良くな

る。」と努力を惜しまない。

泣くに泣けない心境でただただ顔をしかめ耐える毎日が続く。
 

気晴らしにビジネス書を読む。コップに半分の水が入っている。

 
「半分しか残っていない。」

 
「半分も残っている。」

 
どちらの心境になるか。まだ、「半分も残っている。」と思えたものだ。

 
これは、腰痛と生涯付き合うしかないと覚悟をする。

 
すべての治療に、アドバイスに従う。良かれと思えばとにかくやる。

頭はクールに気持ちはホットに。
 

あれれ、歩けるではないか。わずか10歩ではあるが、休めばもう10歩

歩けようになる。

 腰痛ベルトもはめる。薬も飲む。顔をしかめるのをやめて、笑うしかな

いではないか。

 
彼女が自分のことのように喜んでくれる。責任を果たしたような気持

ちが先に来た。

半年前に同居し始めた彼女を悲しますわけにはいかないのである。

 

またまた、「女はこわい。」と思ったものである。いや偉大なのである。

 
腰痛から学んだ、少しだけ強くなったかもしれない。

 

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