🌸🌸横へのつながりへ🌸🌸
これまで三拠点生活について、
移動の自由が楽しめるようになったこと、
そして、びっくりするほど所有するモノが減ってきたことという変化のお話をしてきました。
三つ目の変化は、
人間関係のネットワークが多層化してきたことです。
思いかえすと、昭和のころまでは人間関係は、かなり固定的でした。
たとえば古い時代の村だったら、
村で生まれ、村で育ち、村ではたらいて、村で老後を送る。
村から出ることは、ほとんどなく、きわめて限定された人間関係だったのです。
近代化が進んで人々が農村を出て、
都心に流れ込んでくるようになると、
当初は、さまざまな人たちが入り混じり、
まるでバザール(市場)のような混沌がそこには生まれていたのでしょう。
日本でいえば、太平洋戦争が終わった後の焼け跡の時期がそうです。
でも、高度経済成長が起きると、
混沌はおさまり、
日本人の人間関係は企業社会に回収されていくようになります。
昭和のころの典型的な会社員の人生。
地方で生まれ、思春期を地元で送り、高校卒業し、上京して大学に入る。
大学を出て就職し、会社の独身寮に住み、
社内恋愛し、社内結婚し、
社宅に住み、
週末には同僚や取引先とゴルフや野球をし、
会社の信用組合からお金を借りて家を建てる。
定年退職とともにそれなりの金額の退職金を受け取り、
会社の厚生年金でのんびりと老後を送る。
そのころの終身雇用制では、人間関係さえもが社内で完結していました。
わたしも終身雇用の新聞社ではたらいていたので実感がありますが、
ひんぱんに移動や転勤があるため、
社外に人間関係がつくりにくく、結局は社内の人間とばかり交遊するようになってしまいます。
しかし、2000年代に入って会社の中だけで暮らすというありがありかたは難しくなりました。
人は否が応でも、会社の外に人間関係をつくらなければならなくなったのです。
FacebookのようなSNSで、人間関係が見やすくなった面もあります。
自分がだれとつながっているのかを見わたすことができますし、
なにかのメッセージを送ってきた人のページで「共通の友人」を見れば、
自分が、その人とどういう距離と関係にあるのかがひと目でわかる。
さて、三拠点で生活してると、
見えている人間関係が、さらに多層になっていくのを実感できるようになりました。
東京には東京の人間関係があり、
軽井沢には軽井沢の人間関係があり、
福井には福井の人間関係がある。
それらが重なり、ときには混じりあって、
人間関係の「網」のようなものの中で人生を送っているような感覚を持つにいたったのです。
会社に勤めておらず、たくさんの仕事を並行しておこない、三つの拠点を移動しながら住んでいると、
人間関係は「横へ、横へ」と広がっていきます。
フリーランスのジャーナリストという仕事は、かつては雑誌が主な仕事の場でした。
取材した原稿を雑誌に書き、原稿料を得る。
これが月収で、たまに書籍にまとめると、印税がまとまった金額で入り、
ボーナスをもらったような印象でした。
つきあう人は、取材先を除けば、おもに雑誌や書籍の編集者か同業者で、
フリーランスといいながらも比較的固定的な人間関係で生きていたのです。
出版業界は2008年のリーマンショックのころからおかしくなってきて、
雑誌はバタバタと潰れていきました。
書籍の発行部数も全体として激減しています。
書籍や雑誌では食べていけなくなって、廃業したフリーライターもたくさんいます。
わたしは七転八倒しながら、試行錯誤して苦境の時期を生き延びてきて、
とりあえずは、なんとか普通に暮らしています。
そして気がつけば、仕事をさまざまに増やしてきたのにあわせて、人間関係はびっくりするほど広がっている。
2015年から、本書にも大きな協力をいただいた「LIFE MAKERS」という有料コミュニティを運営していて、
この場は私自身にとっては、とても大きな拠りどころとなっています。
同じぐらい重要なコミュニティは、「TABI LABO」というネットメディア。
わたし自身が創業のメンバーの1人なので、オフィスに行けば若い仲間たちがいる。
「エニタイムズ」というシアリングエコノミーの会社も手伝っているので、
毎週のように顔を合わせ、一緒にイベントなども開いています。
さらに、南暁子さんというイラストレーターに、ツイッターアイコンを描いてもらったのがきっかけで、
同じアイコンを使っている人たち同士で「アイコンミーティング」というサークルのような活動も始め、
ここのメンバーたちを中心とした山歩きのグループをつくり、
毎月のように登山に出かけています。
料理会もこのメンバーで開いていて、
キッチンスタジオで集まっては料理をつくって楽しんでいる。
まだまだあります。
ツイッターには、顔を合わせたことはまだないけれども、
定期的にコメントを寄せてくれる心強い人たちがいる。
そして軽井沢の人間関係、福井の人間関係。
自分自身からさまざまな手が伸びていて、さまざまな良き人たちと、手を握り合っているような感覚をいだいています。
そして、つねづね思うのは、
普通に仲良くできる人と、仲良くしたいと言う当たり前のこと。
「この人とつきあうと得がありそう」
「この人は有名だから、つきあうとまわりに自慢できそう」
というような利害関係ではなく、
「この人とつきあうと楽しそう」
「この人はいい人だから友人になりたい」
というシンプルな気持ち良さが大切。
人生は短く、出会える人の数は限られています。
だからこそ、いい出会いのきっかけがあれば、
それを大事にしたいと思うのです。
私は過去、いろんなところでいろんな人と知り合ってきました。
賃貸マンションを仲介してくれた不動産会社のスタッフと仲良くなって、
一緒にキャンプに行くようになったり、
車を買ったカーディーラーの人とご飯を食べに行くようになったり、
料理が上手だと知って引っ越ししたときのホームパーティーで料理をつくってもらったこともあります。
所属がどうとか、肩書がどうとか、全然関係なしに、
自分の好きな人と仲良くして、それが結果として網の目のように人間関係を広げていく。
気がついたら自分の預かり知らないところで、友人と友人が勝手につながってたりします。
「あれ、お二人知り合いだったの?」
て聞いたら、
「何言ってんですか、佐々木さんの家で食事したときに知り合ったんじゃないですか」
って言われることもあります。
そういうネットワークを、距離や土地に関係なく、
住んでいるところにこだわらず、広げていく。
それこそが、実は新しい時代のセイフティーネットになっていくのではないかと私は考えます。
勤務してる会社なんて、もはや一生を託す相手ではない。
たくさんのゆるやかな関係が、新しいセーフティーネットになってくれるのです。
三拠点生活というのは居場所が固定しておらず、
ぶらぶら生きているように見えるかもしれません。
でも、ぶらぶらしているがゆえに人間関係が多層になっていて、
実は、そちらの方が安定してるんじゃないかと思うんですよね。
だから三拠点を移動しながら暮らすというのは、
決して漂泊の人生ではない。
そこに気づくようになりました。
根無し草になって、どこにも自分を係留するところがないまま、寄る辺なく生きるのではない。
「どこにもつかまれない」
じゃなくて、
「あらゆるところにつかまることができる」
それが新しい移動の生活なのだと思います。
これは物理的な移動だけの話ではありません。
自分自身をどこに係留するのかという、
その心理的な位置そのものを、移動させていくことが大切なのです。
それによって、さまざまな人たちとつねにつながっていくということ。
移動するから人と離れてしまうんじゃなくて、
移動できるからこそ、つねに人とつつながり続けることができる。
重要なのは、
それは強制されるのではなく、自分で決めるものであること。
かりに会社から異動や転勤を命じられたとしても、
心の中の位置を自在に移動させることができるのであれば、
つながりたい人たちから引き離されることはありません。
移動は強いられるものではない。
自分の中につねに
「いつでも移動できるんだ」
という気持ちを持ち、
「さあ、いつでも出発できるぞ」
という準備万端整っていることが大切。
(「そして、暮らしは共同体になる。」佐々木俊尚さんより)
これまで三拠点生活について、
移動の自由が楽しめるようになったこと、
そして、びっくりするほど所有するモノが減ってきたことという変化のお話をしてきました。
三つ目の変化は、
人間関係のネットワークが多層化してきたことです。
思いかえすと、昭和のころまでは人間関係は、かなり固定的でした。
たとえば古い時代の村だったら、
村で生まれ、村で育ち、村ではたらいて、村で老後を送る。
村から出ることは、ほとんどなく、きわめて限定された人間関係だったのです。
近代化が進んで人々が農村を出て、
都心に流れ込んでくるようになると、
当初は、さまざまな人たちが入り混じり、
まるでバザール(市場)のような混沌がそこには生まれていたのでしょう。
日本でいえば、太平洋戦争が終わった後の焼け跡の時期がそうです。
でも、高度経済成長が起きると、
混沌はおさまり、
日本人の人間関係は企業社会に回収されていくようになります。
昭和のころの典型的な会社員の人生。
地方で生まれ、思春期を地元で送り、高校卒業し、上京して大学に入る。
大学を出て就職し、会社の独身寮に住み、
社内恋愛し、社内結婚し、
社宅に住み、
週末には同僚や取引先とゴルフや野球をし、
会社の信用組合からお金を借りて家を建てる。
定年退職とともにそれなりの金額の退職金を受け取り、
会社の厚生年金でのんびりと老後を送る。
そのころの終身雇用制では、人間関係さえもが社内で完結していました。
わたしも終身雇用の新聞社ではたらいていたので実感がありますが、
ひんぱんに移動や転勤があるため、
社外に人間関係がつくりにくく、結局は社内の人間とばかり交遊するようになってしまいます。
しかし、2000年代に入って会社の中だけで暮らすというありがありかたは難しくなりました。
人は否が応でも、会社の外に人間関係をつくらなければならなくなったのです。
FacebookのようなSNSで、人間関係が見やすくなった面もあります。
自分がだれとつながっているのかを見わたすことができますし、
なにかのメッセージを送ってきた人のページで「共通の友人」を見れば、
自分が、その人とどういう距離と関係にあるのかがひと目でわかる。
さて、三拠点で生活してると、
見えている人間関係が、さらに多層になっていくのを実感できるようになりました。
東京には東京の人間関係があり、
軽井沢には軽井沢の人間関係があり、
福井には福井の人間関係がある。
それらが重なり、ときには混じりあって、
人間関係の「網」のようなものの中で人生を送っているような感覚を持つにいたったのです。
会社に勤めておらず、たくさんの仕事を並行しておこない、三つの拠点を移動しながら住んでいると、
人間関係は「横へ、横へ」と広がっていきます。
フリーランスのジャーナリストという仕事は、かつては雑誌が主な仕事の場でした。
取材した原稿を雑誌に書き、原稿料を得る。
これが月収で、たまに書籍にまとめると、印税がまとまった金額で入り、
ボーナスをもらったような印象でした。
つきあう人は、取材先を除けば、おもに雑誌や書籍の編集者か同業者で、
フリーランスといいながらも比較的固定的な人間関係で生きていたのです。
出版業界は2008年のリーマンショックのころからおかしくなってきて、
雑誌はバタバタと潰れていきました。
書籍の発行部数も全体として激減しています。
書籍や雑誌では食べていけなくなって、廃業したフリーライターもたくさんいます。
わたしは七転八倒しながら、試行錯誤して苦境の時期を生き延びてきて、
とりあえずは、なんとか普通に暮らしています。
そして気がつけば、仕事をさまざまに増やしてきたのにあわせて、人間関係はびっくりするほど広がっている。
2015年から、本書にも大きな協力をいただいた「LIFE MAKERS」という有料コミュニティを運営していて、
この場は私自身にとっては、とても大きな拠りどころとなっています。
同じぐらい重要なコミュニティは、「TABI LABO」というネットメディア。
わたし自身が創業のメンバーの1人なので、オフィスに行けば若い仲間たちがいる。
「エニタイムズ」というシアリングエコノミーの会社も手伝っているので、
毎週のように顔を合わせ、一緒にイベントなども開いています。
さらに、南暁子さんというイラストレーターに、ツイッターアイコンを描いてもらったのがきっかけで、
同じアイコンを使っている人たち同士で「アイコンミーティング」というサークルのような活動も始め、
ここのメンバーたちを中心とした山歩きのグループをつくり、
毎月のように登山に出かけています。
料理会もこのメンバーで開いていて、
キッチンスタジオで集まっては料理をつくって楽しんでいる。
まだまだあります。
ツイッターには、顔を合わせたことはまだないけれども、
定期的にコメントを寄せてくれる心強い人たちがいる。
そして軽井沢の人間関係、福井の人間関係。
自分自身からさまざまな手が伸びていて、さまざまな良き人たちと、手を握り合っているような感覚をいだいています。
そして、つねづね思うのは、
普通に仲良くできる人と、仲良くしたいと言う当たり前のこと。
「この人とつきあうと得がありそう」
「この人は有名だから、つきあうとまわりに自慢できそう」
というような利害関係ではなく、
「この人とつきあうと楽しそう」
「この人はいい人だから友人になりたい」
というシンプルな気持ち良さが大切。
人生は短く、出会える人の数は限られています。
だからこそ、いい出会いのきっかけがあれば、
それを大事にしたいと思うのです。
私は過去、いろんなところでいろんな人と知り合ってきました。
賃貸マンションを仲介してくれた不動産会社のスタッフと仲良くなって、
一緒にキャンプに行くようになったり、
車を買ったカーディーラーの人とご飯を食べに行くようになったり、
料理が上手だと知って引っ越ししたときのホームパーティーで料理をつくってもらったこともあります。
所属がどうとか、肩書がどうとか、全然関係なしに、
自分の好きな人と仲良くして、それが結果として網の目のように人間関係を広げていく。
気がついたら自分の預かり知らないところで、友人と友人が勝手につながってたりします。
「あれ、お二人知り合いだったの?」
て聞いたら、
「何言ってんですか、佐々木さんの家で食事したときに知り合ったんじゃないですか」
って言われることもあります。
そういうネットワークを、距離や土地に関係なく、
住んでいるところにこだわらず、広げていく。
それこそが、実は新しい時代のセイフティーネットになっていくのではないかと私は考えます。
勤務してる会社なんて、もはや一生を託す相手ではない。
たくさんのゆるやかな関係が、新しいセーフティーネットになってくれるのです。
三拠点生活というのは居場所が固定しておらず、
ぶらぶら生きているように見えるかもしれません。
でも、ぶらぶらしているがゆえに人間関係が多層になっていて、
実は、そちらの方が安定してるんじゃないかと思うんですよね。
だから三拠点を移動しながら暮らすというのは、
決して漂泊の人生ではない。
そこに気づくようになりました。
根無し草になって、どこにも自分を係留するところがないまま、寄る辺なく生きるのではない。
「どこにもつかまれない」
じゃなくて、
「あらゆるところにつかまることができる」
それが新しい移動の生活なのだと思います。
これは物理的な移動だけの話ではありません。
自分自身をどこに係留するのかという、
その心理的な位置そのものを、移動させていくことが大切なのです。
それによって、さまざまな人たちとつねにつながっていくということ。
移動するから人と離れてしまうんじゃなくて、
移動できるからこそ、つねに人とつつながり続けることができる。
重要なのは、
それは強制されるのではなく、自分で決めるものであること。
かりに会社から異動や転勤を命じられたとしても、
心の中の位置を自在に移動させることができるのであれば、
つながりたい人たちから引き離されることはありません。
移動は強いられるものではない。
自分の中につねに
「いつでも移動できるんだ」
という気持ちを持ち、
「さあ、いつでも出発できるぞ」
という準備万端整っていることが大切。
(「そして、暮らしは共同体になる。」佐々木俊尚さんより)