🍀生物の進化🍀③
では、ここからは私たち人類が進化の過程で、他の動物とどのように分かれたのかを見ていきましょう。
人類に1番近い動物は、類人猿であるチンパンジーですが、
その類人猿から人類が分かれていったのが、
およそ700万年前だと考えられます。
そして、現在知られている最古の化石人類であるサヘラントロプス・チャデンシスから、私たち人類(学名ホモ・サピエンス)までには、
数え方にもよりますが、約25種類の人類がいたことが分かっています。
私たちは、様々な環境を乗り越え生き残ってきた人類最後の種なのです。
よく「人類は脳が大きくなったから類人猿から進化していった」と思っている方がいますが、
チンパンジーと脳の大きさが変わらない人類もいましたので正解とは言えません。
では、人類と類人猿を分けたものは何かと言えばそれは、そらは、
「犬歯(糸切り歯)の大きさ」
と
「直立二足歩行」
に他なりません。
チンパンジーなどの犬歯は非常に大きく、体積で比べれば臼歯(奥歯)の10倍以上あります。
それはオス同士が激しく争うためだと言われていますが、
実際、チンパンジーの2つの集団が抗争を繰り広げた末に、
片方の集団のオスが皆殺しにされてしまったという事例も観察されています。
それほどチンパンジーは攻撃的なのです。
しかし、人類ではむしろ犬歯研のほうが臼歯より小さい。
これは、同種内での殺し合いがほとんどなくなり、
犬歯が必要なくなっていったことを示しています。
人類は、まず平和を本性とする種として類人猿から分かれていったのです。
現代では、戦争やテロといった暴力的な行為が毎日のように報道されており、
とても人類の本性が平和的であるなどとは信じられないかもしれません。
ただ、よく考えれば、70億の人類のうち、
争いをしているのは、ごくごく一部の人たち、集団にすぎず、
ほとんどの人々は平和に暮らしています。
生物学的には、人類が平和的な生物であることははっきりしており、
そのことは、ぜひ心に留めておいていただきたいと思います。
また、人類の進化を説明する時に、チンパンジーが少しずつ立ち上がり、
段階的に人類へと進化していく絵がよく紹介されていますが、
それも誤解です。
化石等の証拠からも、人類は類人猿から分かれた後、
非常に短期間のうちに直立二足歩行するようになったことが明らかになっています。
それでは、なぜ人類は直立二足歩行をするようになったのでしょうか。
これにはたくさんの説があり、
かつては
「気候が乾燥して木がなくなったため、地面に下りて直立二足歩行するようになった」
などと言われていました。
しかし、現在では森の中から直立二足歩行をした人類の化石が見つかっているので、
しばらくは木の上と地上を行き来して生活していたのだと考えられています。
そうした説の中で、1番有力なのが、
「人類は手を使って、たくさんの食糧を運ぶために直立二足歩行に進化した」
という説です。
食糧をたくさん運ぶことのできるオスは、子育てで食糧を探しにいけないメスに好まれ、
より多くの子孫を残すことができたと考えられます。
また、食糧がたくさんあれば、それだけメスや子の生存確率も高まったことでしょう。
そして、オスがメスや子に食糧を運んでいたということは、
家族も一夫一妻制にかなり近かったのだと思われます。
一夫多妻制であればオスはメスにそこまでサービスをすることはないからです。
つまり、人類を類人猿から区別し、
人類を人類たらしめた最大の特徴は、
争いをしなくなって、犬歯が縮小したこと。
直立二足歩行をして一夫一妻制に近い家族制度になったことにあると言えます。
よく言われる脳の増大や道具の使用といった人類の特徴は、
およそ260万年前の化石に初めて現れます。
これは人類が類人猿から分かれた後、450万年の間、
道具をつくることもなく、
脳も大きくならなかったことを意味します。
それは、いったい、なぜでしょうか。
考えられる理由は、脳がエネルギーをたくさん消費する燃費の悪い器官だということです。
脳は体重の2%ほどの重さしかありませんが、
体全体で使われるエネルギーの実に20%以上消費すると言われています。
あまり栄養が取れない環境で大きな脳を持っていれば、
場合によっては絶滅してしまうこともあり得ます。
厳しい環境で生き残っているためにも、小さい脳のほうがよかったのでしょう。
ただ、栄養をたくさん取れるならば大きな脳でも問題なくなります。
そして、人類の脳の進化におけるガソリンとは、おそらく「肉食」であったのだと思われます。
尖った石器を利用し、肉を手に入れた人類は、大きな脳を維持することができるようになった。
そして脳が大きくなり、より高度な石器がつくれるようになったことで、
ますます安定して肉を手に入れられるようになり、
それがさらなる能の増大に繋がった。
そのような相互作用が起こったことで、
人類には道具を使うようになり、脳も大きくなっていったと考えられます。
実際、最初の石器が見つかる時期と人類の脳が大きくなり始める時期は、ほぼ同じです。
ここまで見てきたように、たくさんの偶然と奇跡、爆発的進化が起こり、
私たちは現在の姿に至っています。
しかし、忘れてはいけないのは、いまの私たちがゴールではなく、
この先も絶滅するまで進化は終わらないということです。
例えば、人類の脳はずっと大きくなり続けてきたと思っている人もいますが、
1万年前の人類のほうが、現在の人類よりも大きかったことが分かっています。
これは1つの可能性ですが、
これからどんどん人工知能が発達して、私たちがそれほど頭を使わなくなってしまえば、
人類の脳は、さらに小さくなるように進化していくかもしれません。
また、機会化などが進むことで、使われなくなった体の器官が、だんだんなくなっていくことも考えられます。
それから、私たちは進化によって様々なものを手に入れてきたと同時に、
様々なものを失ってもきました。
例えば、生物にとって重要な繁殖能力においては、人類はバクテリアに全くかないません。
また、どんな綱渡りの名人もサルの綱渡りにはかなわないでしょう。
「火事になれば、火を消せ。燃えてしまったら、すぐ建てろ」
という短い格言がありますが、
40億年の生物の進化が私たちに教えてくれることも、
とにかく環境の変化に対してすぐ行動する。
その場その場の環境に合わせて、
柔軟に変化し続ける、維新し続けることの大切さだと思います。
周りが変化している中で、自分だけが立ち止まっていては、
その先に待っているのは絶滅の他ありません。
これからも、私たちは様々なものを手に入れ、失っていくことでしょう。
私たち人類は、数え切れないほど多くの種の1つに過ぎず、
過去から未来へと繋がる何十億年という進化の中の一瞬の姿に過ぎません。
100万年後には、いくつかの種に分かれているかもしれませんし、
私たちの子孫は1人も地球上にいないかもしれない… 。
ともあれ、私たちがこうしていま生きていること自体が、本当に幸運なことであり、
私たちの誰もが、かけがえのない奇跡的な存在であることは間違いないことです。
そのことを思い、希望を持って日々を生き切ることこそ、
40億年の生物の進化から学ぶべ、き1番大切なことかもしれません。
(おしまい)
(「致知」8月号 更科 功さんより)
では、ここからは私たち人類が進化の過程で、他の動物とどのように分かれたのかを見ていきましょう。
人類に1番近い動物は、類人猿であるチンパンジーですが、
その類人猿から人類が分かれていったのが、
およそ700万年前だと考えられます。
そして、現在知られている最古の化石人類であるサヘラントロプス・チャデンシスから、私たち人類(学名ホモ・サピエンス)までには、
数え方にもよりますが、約25種類の人類がいたことが分かっています。
私たちは、様々な環境を乗り越え生き残ってきた人類最後の種なのです。
よく「人類は脳が大きくなったから類人猿から進化していった」と思っている方がいますが、
チンパンジーと脳の大きさが変わらない人類もいましたので正解とは言えません。
では、人類と類人猿を分けたものは何かと言えばそれは、そらは、
「犬歯(糸切り歯)の大きさ」
と
「直立二足歩行」
に他なりません。
チンパンジーなどの犬歯は非常に大きく、体積で比べれば臼歯(奥歯)の10倍以上あります。
それはオス同士が激しく争うためだと言われていますが、
実際、チンパンジーの2つの集団が抗争を繰り広げた末に、
片方の集団のオスが皆殺しにされてしまったという事例も観察されています。
それほどチンパンジーは攻撃的なのです。
しかし、人類ではむしろ犬歯研のほうが臼歯より小さい。
これは、同種内での殺し合いがほとんどなくなり、
犬歯が必要なくなっていったことを示しています。
人類は、まず平和を本性とする種として類人猿から分かれていったのです。
現代では、戦争やテロといった暴力的な行為が毎日のように報道されており、
とても人類の本性が平和的であるなどとは信じられないかもしれません。
ただ、よく考えれば、70億の人類のうち、
争いをしているのは、ごくごく一部の人たち、集団にすぎず、
ほとんどの人々は平和に暮らしています。
生物学的には、人類が平和的な生物であることははっきりしており、
そのことは、ぜひ心に留めておいていただきたいと思います。
また、人類の進化を説明する時に、チンパンジーが少しずつ立ち上がり、
段階的に人類へと進化していく絵がよく紹介されていますが、
それも誤解です。
化石等の証拠からも、人類は類人猿から分かれた後、
非常に短期間のうちに直立二足歩行するようになったことが明らかになっています。
それでは、なぜ人類は直立二足歩行をするようになったのでしょうか。
これにはたくさんの説があり、
かつては
「気候が乾燥して木がなくなったため、地面に下りて直立二足歩行するようになった」
などと言われていました。
しかし、現在では森の中から直立二足歩行をした人類の化石が見つかっているので、
しばらくは木の上と地上を行き来して生活していたのだと考えられています。
そうした説の中で、1番有力なのが、
「人類は手を使って、たくさんの食糧を運ぶために直立二足歩行に進化した」
という説です。
食糧をたくさん運ぶことのできるオスは、子育てで食糧を探しにいけないメスに好まれ、
より多くの子孫を残すことができたと考えられます。
また、食糧がたくさんあれば、それだけメスや子の生存確率も高まったことでしょう。
そして、オスがメスや子に食糧を運んでいたということは、
家族も一夫一妻制にかなり近かったのだと思われます。
一夫多妻制であればオスはメスにそこまでサービスをすることはないからです。
つまり、人類を類人猿から区別し、
人類を人類たらしめた最大の特徴は、
争いをしなくなって、犬歯が縮小したこと。
直立二足歩行をして一夫一妻制に近い家族制度になったことにあると言えます。
よく言われる脳の増大や道具の使用といった人類の特徴は、
およそ260万年前の化石に初めて現れます。
これは人類が類人猿から分かれた後、450万年の間、
道具をつくることもなく、
脳も大きくならなかったことを意味します。
それは、いったい、なぜでしょうか。
考えられる理由は、脳がエネルギーをたくさん消費する燃費の悪い器官だということです。
脳は体重の2%ほどの重さしかありませんが、
体全体で使われるエネルギーの実に20%以上消費すると言われています。
あまり栄養が取れない環境で大きな脳を持っていれば、
場合によっては絶滅してしまうこともあり得ます。
厳しい環境で生き残っているためにも、小さい脳のほうがよかったのでしょう。
ただ、栄養をたくさん取れるならば大きな脳でも問題なくなります。
そして、人類の脳の進化におけるガソリンとは、おそらく「肉食」であったのだと思われます。
尖った石器を利用し、肉を手に入れた人類は、大きな脳を維持することができるようになった。
そして脳が大きくなり、より高度な石器がつくれるようになったことで、
ますます安定して肉を手に入れられるようになり、
それがさらなる能の増大に繋がった。
そのような相互作用が起こったことで、
人類には道具を使うようになり、脳も大きくなっていったと考えられます。
実際、最初の石器が見つかる時期と人類の脳が大きくなり始める時期は、ほぼ同じです。
ここまで見てきたように、たくさんの偶然と奇跡、爆発的進化が起こり、
私たちは現在の姿に至っています。
しかし、忘れてはいけないのは、いまの私たちがゴールではなく、
この先も絶滅するまで進化は終わらないということです。
例えば、人類の脳はずっと大きくなり続けてきたと思っている人もいますが、
1万年前の人類のほうが、現在の人類よりも大きかったことが分かっています。
これは1つの可能性ですが、
これからどんどん人工知能が発達して、私たちがそれほど頭を使わなくなってしまえば、
人類の脳は、さらに小さくなるように進化していくかもしれません。
また、機会化などが進むことで、使われなくなった体の器官が、だんだんなくなっていくことも考えられます。
それから、私たちは進化によって様々なものを手に入れてきたと同時に、
様々なものを失ってもきました。
例えば、生物にとって重要な繁殖能力においては、人類はバクテリアに全くかないません。
また、どんな綱渡りの名人もサルの綱渡りにはかなわないでしょう。
「火事になれば、火を消せ。燃えてしまったら、すぐ建てろ」
という短い格言がありますが、
40億年の生物の進化が私たちに教えてくれることも、
とにかく環境の変化に対してすぐ行動する。
その場その場の環境に合わせて、
柔軟に変化し続ける、維新し続けることの大切さだと思います。
周りが変化している中で、自分だけが立ち止まっていては、
その先に待っているのは絶滅の他ありません。
これからも、私たちは様々なものを手に入れ、失っていくことでしょう。
私たち人類は、数え切れないほど多くの種の1つに過ぎず、
過去から未来へと繋がる何十億年という進化の中の一瞬の姿に過ぎません。
100万年後には、いくつかの種に分かれているかもしれませんし、
私たちの子孫は1人も地球上にいないかもしれない… 。
ともあれ、私たちがこうしていま生きていること自体が、本当に幸運なことであり、
私たちの誰もが、かけがえのない奇跡的な存在であることは間違いないことです。
そのことを思い、希望を持って日々を生き切ることこそ、
40億年の生物の進化から学ぶべ、き1番大切なことかもしれません。
(おしまい)
(「致知」8月号 更科 功さんより)