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孫正義①

2017-07-25 14:00:26 | お話
🍀孫正義🍀①


それがどこにあり、どんな様子かは書かない。

他ならぬ孫正義との約束だからだ。

そこは孫の個人所有のため、存在そのものが公開されていない。

ただ、我々一般人の想像を絶するような異空間とだけ表現しておく。

その場所を知るごく1部のソフトバンク幹部の間では「別荘」とか「迎賓館」などと呼ばれている。

その場所で、筆者は2時間ほどワインを飲みながら孫の話を聞く機会があった。

「ここにジャーナリストを入れるのは初めてだからな」

とは、孫自身が言っていたことだ。

この日、孫は少し風邪気味ながら、いつも以上に冗舌だった。

最後に孫が「見せたいものがある」と言って桐か何か上品な木箱から、取り出したのが、1枚の書だった。


慶応3年(1867年)、旧暦で10月13日、

京都・二条城にのぼる土佐藩参政の後藤象二郎に宛てた、坂本龍馬したためた書簡だ。

本物に万が一のことがあった場合に備えて、寸分違わず複製されたものだという。

この日は、まさに日本の歴史が動いた瞬間だった。

第15代将軍・徳川慶喜が雄藩の重臣を二条城に集め、

土佐藩を建白していた大政奉還を諮ることになっていた。

翌日に慶喜が朝廷に大政奉還を奏上することになるが、

この時点では、まだ決していない。

龍馬は、土佐藩を代表してこの会合に出席する後藤に、1枚の書簡を送りつけた。

その書面を孫が取り出して、じっと見つめだした。

「これを見ろよ。

これが決死の覚悟というものなんだ。

私利私欲じゃない。

天下国家のために命をなげうつ覚悟なんだよ。

これを見るとね、俺はなんてちっぽけなんだと思わされるんだよ。

これは初めて見た時、俺はもう涙が出て打ち震えたよ」

そう言う孫の目に涙がにじんでいる。

確かに、書簡にしたためられていたのは龍馬の決死の覚悟だ。

後藤に対して、もとより死ぬ覚悟ができているだろうから、

もし後藤が二条城から下城しない時には大政奉還が失敗したと見なし、

海援隊を率いて自ら慶喜の隊列に斬り込むと言う。

その際は

「地下ニ御面会いたし候」

と書いている。

地下とはつまり、あの世のこと。

万が一、大政奉還に失敗するようなことがあったら、

その時は、互いに死んであの世で再開しようという意味だ。


孫は趣味が少ない人物だが、

幕末に活躍した志士を中心に、彼らが残した書を収集している。

その中でも特に大事にしているが、龍馬が後藤に宛てたこの一枚の書簡だ。

自分はなんのために事業家として旗揚げしたのか。

その原点に立ち返る時、孫は龍馬が残した文字を見入るのだという。


孫が坂本龍馬に心酔していることはこれまでに何度か触れた。

社長室がある本社26階には龍馬の等身大の写真が掲げられている。

ここに竹刀と木刀が置かれている。

この木刀には逸話がある。

30年ビジョンを作成するリーダーとなった鎌谷賢之は1時期、孫に付きっきりで行動をともにすることになった。

この頃、ある人物から孫へのプレゼントは何がいいかを相談された鎌谷が

「龍馬の木刀のレプリカを贈ると感すると思いますよ」

と答え、実際に贈答されたものだ。

鎌谷の提案には理由があった。

2010年11月15日、鎌谷は孫に同行して高知県に出張した。

11月15日は旧暦で龍馬の命日とされている。

大政奉還から1ヶ月後に、京都の近江屋で中岡慎太郎といるところを刺客に襲われた。

この日、孫は鎌谷を伴い高知県護国神社を訪れた。

この神社にはゆうま龍馬が若い頃に使っていたとされる木刀がある。

それを触らせてもらえることになっていた。

長さ134センチ、重さ780グラム。

樫の木で作られた木刀は、本来なら手袋を着けて握らなければならないのだが、

目を閉じて感極まった孫はおもむろに手袋を外して、素手で握りしめ、

その場で涙を流しながら、素振りを始めてしまった。

これには鎌谷など居合わせた関係者もあっけにとられたという。


孫が龍馬に心酔したきっかけは、15歳の時に読んだ

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』

だった。

ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読んでいたころ、

家庭教師から

「そんな暗い本じゃなくて、もっと男らしい本を読め」

と言われて勧められたのが、この『竜馬がゆく』だったの。


この本を、孫はこれまでの人生で何度も読み直している。

創業直後に慢性肝炎を発症して余命5年と告げられた時もそうだった。


孫のお気に入りは脱藩のシーンだ。

他家に嫁いでいた姉・乙女のもとに、作中の竜馬は脱藩することを伝えに行く。

乙女は竜馬を止めることなく大罪とされた脱藩を後押しする。

竜馬が自分の脱藩で嫁ぎ先にも迷惑をかけることを危惧すると、

乙女は、それなら離縁する、とまで言い切った。

以下は一部を『竜馬がゆく』から引用する。


乙女は竜馬に語りかける。

「男なら、いったん決心したことは、とやかくいわずに、やりとげるものです」

竜馬の脱藩のために夫・岡上新輔と離縁するとまで言う乙女。

戸惑う竜馬に、乙女が追い打ちをかける。

「竜馬、お黙りなさい。

坂本竜馬という一個の男子を救国のために送り出すのは、

それを育てた乙女の義務でしょう」

その竜馬は脱藩の日、先祖とされる明智左馬助の霊が祀られる才谷山にのぼって、

ほこらの中に入り、心ゆくまで酒を飲んだ。

「のう、明智左馬助さまよう。

人の命はみじかいわい。

わしに、なんぞ大仕事をさせてくれんかネヤ」

着流し姿にひょうたん1つ。

胴巻きに路銀のために借用した金十両を忍ばせる。

腰間にはお栄姉さんが自らの命と引き換えに竜馬に贈った名刀・陸奥守 吉行。

それだけを身につけた竜馬が夜陰に紛れて、まだ雪の残る土佐の山中を駆ける。

ただ、己の胸に宿った志を果たすために。


その姿に、若き孫正義は、しびれた。

故郷や家族を捨てて自らの信念を貫く坂本龍馬の生き方に、心を打たれた孫の人生が、

1冊の本との出会いで変わった。

「この時点で何を成したいかまでは見えていなかった。

ただ、人生を燃えたぎらせたいという思いだけは、強烈に芽生えてしまったのです」

少年時代の孫には教師になるという夢があったが、

この時から

「未来の人々から、

あいつがいてくれてよかったと言われるような、

何か、でかいことをしたい」

と考えるようになったと言う。


孫家に大事件が起きたのは、ちょうどその時期だった。

一家の大黒柱である父・三憲が洗面器いっぱいに吐血して倒れたのだ。

孫は4人兄弟の次男だか、1つ上の兄は高校中退して家計を支えるために働き始めた。

だが、孫はこう考えた。

「なんとしても、這い上がらなきゃいけないと思いました。

どうやって這い上がるか。

事業家になろう。

その時に、 腹をくく送った」


(つづく)

(「孫正義 300年王国への野望」杉本貴司さんより)