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本田宗一郎から学んだもの

2017-07-24 15:39:09 | お話
🌸本田宗一郎から学んだもの🌸


余談になるが、孫にとってホンダは思い入れの強い企業でもある。

アシモの動きを見て思わず

「本田宗一郎さんも喜びますよ」

と感想を漏らしたのもたまたまではない。

今ではカリスマ経営者として名をとどろかせる孫だか、

本田宗一郎は経営者として憧れの存在だった。

孫は今でも

「日本の経営者で1番好きなのは本田宗一郎さん」

と話す。


話は孫が創業まもなくして患った慢性肝炎から復帰した頃に戻る。

かかりつけの歯科医に宗一郎も通っていると聞いた孫は、主治医に頼み込んだ。

「本田宗一郎さんに会わせてください」。

そこで主治医は一計を案じてくれた。

宗一郎のポイントのすぐ後を孫にしてくれると言う。


その日はちょうど宗一郎の誕生日だった。

孫は治療を終えた宗一郎を、ケーキを手に持って持ち構えた。

「今考えると歯医者でケーキというのも笑えるよね」

と孫は振り返る。

宗一郎はこの突然の来訪者を快く受け入れた。


「君は、何の仕事やってるんだ」。

孫が米国の大学を卒業してから帰国し、ソフトウェアの流通業を始めたことを手短に説明すると、

コンピュータ産業の将来について、宗一郎にいつもの口調で熱っぽく語りかけた。

「そうか! 面白いな!」

孫の話に聞き入る宗一郎。

話の内容そのものより熱心に語りかけてくるこの青年実業家そのものに興味を持ったのかもしれない。

宗一郎は

「夏になった、おらっちの家で
鮎釣りパーティーやるから、君も来るか」

と誘った。


もちろん孫は

「行きます」

と即答した。


1980年代後半のこの頃、宗一郎はホンダの経営から身を退いて、既に10年以上が経っている。

鍛冶屋のせがれとして生まれた宗一郎は、15歳で東京の自動車修理店ででっち奉公に出ている。

それ以来、徹底して現場で技術を学びホンダを世界的な自動車メーカーにまで育て上げた。

その宗一郎が得意としたのは機械の技術であり、

バルブをピストンと燃焼室の上に置くオーバヘッドバルブエンジンを開発した40代までは、

まさしく天才エンジニアの名に恥じない発明を次々と世に送り出していた。

ところが、目に見えない電気やITは大の苦手分野だった。

ホンダで四輪車参入の立役者となり、

F1初勝利にも導いた伝説のエンジニアである中村良夫は、

著書『ひとりぼっちの風雲児』で、

「エンジニアとしての能力の限界、従って自信のなさは、痛切に感じ取っていらっしゃるように見えた」

と振り返り、

「本田宗一郎さんにとっては、それはひとつの悲劇だったように思う」

とまで指摘している。

若き孫が目を輝かせて語るコンピュータは、宗一郎が「能力の限界」を感じさせられる苦手なテクノロジーの象徴だったはずだ。

それでも宗一郎は孫の言葉に熱心に耳を傾けた。


それから半年ほどがなった頃、本当に鮎釣りパーティーへの誘いが来た。

宗一郎は東京・西落合の自宅の庭に故郷を流れる天竜川を模した小川を造っており、

そこで年に1度開く鮎釣りパーティーは、財界の大物が一堂に会するサロンのような場として知られていた。

その小川が流れる庭に無名の青年実業家である孫が現れた。

宗一郎は孫の顔見るなり近づいてきた。

「おお! あの時の君か!」

再開の言葉もそこそこに、宗一郎は再び孫の言葉に耳を傾けた。

「君はコンピューターでやってるって言ってたけど、そもそもパソコンてなんだ?」

「コンピューターにはCPUというものがありまして…」

「じゃぁ、そのCPUってのはなんだ?」

「コンピューターの心臓で、クルマでいえばエンジンです」

「なるほど。じゃぁ、そのコンピュータってやつが進化したら、どうなるんだ」

孫は、この時のやり取りを今でも鮮明に覚えていると言う。

「もう目をランランと輝かせて、本当に真剣に聞いてくるんだよ。

そして次々と本質的な質問が飛んでくるんだ。

庭には他にも大切なお客さんがいっぱいいるのに、

僕が話していていいのかなって思うくらいだったね」


孫はその時の感動をこう表現する。

「その時に思ったんだよ。

あぁ、ホンダが伸びた理由はこれだなあって。

それは、あの人の飽くなき興味や探究心や感動する心なんだよ。

だって、あんな姿を見せられたら誰だって

『このオヤジを喜ばせたい』

って思うじゃない。

あの情念がホンダのエンジニア連中を熱くさせたんだよ。

俺は本田宗一郎さんのあの姿に1番感動したね」

孫は「同志的結合」という言葉を大恩人の佐々木正から教わった。

リーダーとして志をともにする仲間をどう引き付けるか。

「賢いだけでは人は動かせない」

という将としての心構えは、

本田宗一郎との邂逅(かいこう)からも学んでいたのだ。


(「孫正義 300年王国への野望」杉本貴司さんより)