今日の奈良の最高気温31.4℃とテレビの報道。そうか そんなに暑かったのか・・・・・
梅雨の晴れ間にと伊勢街道の歩き・石割峠越えをして涼しかった私達。ツアー利用のつもりだった峠越えであるが、ゆっくりの歩行ペースで二人で行くことになった。
榛原駅から曽爾村役場行のバスに乗った。
乗り合わせた一人のお年寄りが「主人の顔を見に行くのです。100歳で肺炎になって入院しているんですわ。しっかりした人で頭は少しもボケていません云々」と話しかけてこられた。手にはお家の庭に咲いていたという花を持っていられた。100歳のご主人と聞いてびっくりして、その方の年齢を聞くと89歳だと言われた。が、75歳と言われても未だもっと若く見える程しゃきっとされた方だった。
バス賃の小銭を取り出しながら「これ100円ですねェ~。」「いえ それ500円ですよ。」「私も大きさから500円と思ったんですけど100円ですわ。」「えっ!」再びびっくりして見せてもらうと確かに100円だった。「交換してあげましょうか?こんなの いっぱい あるんです。家には小判みたいのもありますよ。」私は急に昔の100円が懐かしくなって、硬貨1枚を交換してもらった。
息子さんは東京在住の国会議員さんだという。成程お金持ちのはず!?
その硬貨を今取り出して観てみると昭和51年製造、昭和天皇御在位五十年の記念硬貨のようである。図柄は菊の御紋と皇居。
昭和51年と言えば私が仕事を始めた年で、私自身の記念硬貨としてそしてこのような元気なお年寄りからの物で、残る私の人生の生き様手本のお守り代わりにしようかな。(笑)ほんとうに。。。。。
「ご主人様どうぞお大事に。」「 峠越えは気をつけて行ってきてくださいね。」ちょっと不安な峠越えだったが、この方の元気をもらったようで頑張ろうと思う気持ちがさらに強まった
榛原の高井バス停から歩き出したのは午前10時30分。
仏隆寺と同じ方向のスタートだったが、しばらく行くと「右 いせ本街道 左 仏隆寺」の道標があって、こちらは登りであった。ゆっくり慎重に歩こうと思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/43/be/8a57dc4a2d455b7868d29881729e3552_s.jpg)
10分程行くと旧旅籠・松本家があった。天明元年5月(1781年 江戸時代の中頃)建立の建物らしい。更に5分程進むと巨大な杉・千本杉が見えてきた。根元は1つのように見えるが幹が分かれたには本数が多すぎるし、数本が寄り集まっているようだ?まるで密着していたよ。下の方に道路が見えていたので、そちらから近寄ればはっきり分ったのかもしれないが、登りの“しんどさ”で確認する気力はなくそのまま通り過ぎることにした。
(画像はクリックすると拡大する)
そして間もなく旧旅籠・津越家の前に来た。こちらも古民家として保存対象の家らしい。屋根が痛んでいたなぁ~。
津越辻にある道標の通り右へ進むと再び登りとなった。
民家が4・5軒建っている山道に、アジサイが咲き遅い蕨が生えていた。手折ってみるとプチッと柔らかそうな音をたてて私を喜ばせてくれた。家の前で蕨が採れるなんていいなぁ・・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/51/e7/c2a2f24b231daf1ae423fe475e4b32e4_s.jpg)
次の名所は諸木野関所跡。ベンチで休憩、おやつを食べた。団体行動ではこのような気ままは許されないが、二人歩きの楽しみの時間である。元気回復、再び歩き出すと手水所・すずみの水があって、竹筒から水が流れ落ちていた。水はきれいに見えたが、手を洗った彼曰く連日の雨で少々濁っていたらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/48/a7/84837fec923cf7852c174de5c8be44f7_s.jpg)
深い杉林を通り抜けると諸木野の里に出て「北海道の名付け親 松浦武四郎 嘉永6年 ここを通る」の立札があり、近くには諸木野弥三郎のお墓があったりした。
ちなみに松浦武四郎と言う人は明治2年に蝦夷地を北海道と改名された事に関わりがあるらしく、諸木野弥三郎は伊勢の国司に仕えた弓の達人でこの諸木野に彼の居城があったそうな。
私には未知の名前であったが、伊勢本街道歩きの際なので頭の隅に置いておこう。
見過ごしてしまいそうな路地、民家と民家の間の細い坂道を通り抜けて行くと時刻も12時30分。“おにぎり”を食べるのに腰を下ろせる場所を探したが、木の根っこも大きな石も無く草が生えている所は濡れているという訳で、人っ子一人通らない山道を幸いに道の真ん中に座ることにした。
彼が石を拾って一生懸命投げつけているので???何かと聞けば“マムシ”が居たという。顔は小さいのにお腹が膨れていたよという。「うわぁ~ 怖いけど本物を 見たかったよ。」と言うと叱られた。そうか・・・でも蛇をも怖がる彼にマムシを追い払う勇気が一体何処から出てきたのか不思議である。黙って走り去ればいいのにと思うが、彼の闘争心を掻き立てたのは一体何だったのか?・・・・・人間咄嗟の瞬間に発揮するというあの潜在能力というものなんだろうか。(笑)
「あれが猪を捕まえる檻だ。」と教えてくれたので初めて見た実物を写真に撮っておこう。大きいなぁ~。
榛原観光案内所で貰った地図にある道標を探していると在った在った。刻まれた文字は全く読めないが、宇陀ケ辻の道標である。「右 伊せみち南無阿弥陀仏 左 うたみち 貞享三年(1686)八月□日」と刻まれているそうだ。〔はいばらの伊勢街道 ~その周辺の歴史と文化~より〕傍らの「伊勢本街道」の標識にホットする。
ようやく石割峠の標識があった。辺りは緑に包まれ木漏れ日が差してきれいな景色。空気もきれいで涼しかった。静かで先ほど迄聞こえていた鳥の鳴き声も無い。静寂な山の雰囲気を楽しみながらゆっくり登った。「うわっ!石が割れてる!石割だよ!」(笑)勝手な解釈をしながら滑らないよう気を引き締めた。
標高695Mの標識、頂上のようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/d7/5f62d0732bca5a1617fd03db6fb7ea52_s.jpg)
木々が鬱蒼と茂り薄暗く、道が水浸しの箇所もあったが無事通り過ぎて再びアスファルトの下り道となった。
ふと見上げると道路右手の山中に大きな岩が見えた。あれが姫隠岩かな?案内人さんが居ないので定かでないが・・・・・
田口に来てオトバヤの瀧を探しながら進むと、どうやらコレらしい。高さはさほどでないが、水しぶきを上げて気持ち良く落ちていた。
専明寺に来た。峠越えが出来てホッとするとさすがに疲れを感じ休憩していると、団体さんの到着で、聞けば「トラベル日本」さんらしい。彼等はここから迎えのバスで榛原駅に向かわれるそうだが、私達二人はここから上田口バス停まで歩くのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/00/45/f2ff54801aec81e608e2f73de440e373_s.jpg)
道は二方に別れ伊勢本街道にある次の山粕峠方面へ向かう入り口があった。目の前に不動明王の道標が在り、折角なので立ち寄ることにした。祠の中には大きな石に迫力ある不動明王が刻まれていた。私は手にしていたアジサイの小花をそっとお供えして、今日の峠越えの無事を感謝して手を合わせた。。。。。
不動滝を見た後はアスファルト登りの坂道を弁財天川に沿ってバス停まで最後の頑張りを続けた。ちょっと厳しかったけれどコレも思い出。
きっちり時間表通りの午後4時40分、たった二人だけの乗客を乗せてバスは上田口弁天バス停を出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/08/94/3672930f5107ad0d50f9424148c6b302_s.jpg)
おつかれさま。
梅雨の晴れ間にと伊勢街道の歩き・石割峠越えをして涼しかった私達。ツアー利用のつもりだった峠越えであるが、ゆっくりの歩行ペースで二人で行くことになった。
榛原駅から曽爾村役場行のバスに乗った。
乗り合わせた一人のお年寄りが「主人の顔を見に行くのです。100歳で肺炎になって入院しているんですわ。しっかりした人で頭は少しもボケていません云々」と話しかけてこられた。手にはお家の庭に咲いていたという花を持っていられた。100歳のご主人と聞いてびっくりして、その方の年齢を聞くと89歳だと言われた。が、75歳と言われても未だもっと若く見える程しゃきっとされた方だった。
バス賃の小銭を取り出しながら「これ100円ですねェ~。」「いえ それ500円ですよ。」「私も大きさから500円と思ったんですけど100円ですわ。」「えっ!」再びびっくりして見せてもらうと確かに100円だった。「交換してあげましょうか?こんなの いっぱい あるんです。家には小判みたいのもありますよ。」私は急に昔の100円が懐かしくなって、硬貨1枚を交換してもらった。
息子さんは東京在住の国会議員さんだという。成程お金持ちのはず!?
その硬貨を今取り出して観てみると昭和51年製造、昭和天皇御在位五十年の記念硬貨のようである。図柄は菊の御紋と皇居。
昭和51年と言えば私が仕事を始めた年で、私自身の記念硬貨としてそしてこのような元気なお年寄りからの物で、残る私の人生の生き様手本のお守り代わりにしようかな。(笑)ほんとうに。。。。。
「ご主人様どうぞお大事に。」「 峠越えは気をつけて行ってきてくださいね。」ちょっと不安な峠越えだったが、この方の元気をもらったようで頑張ろうと思う気持ちがさらに強まった
榛原の高井バス停から歩き出したのは午前10時30分。
仏隆寺と同じ方向のスタートだったが、しばらく行くと「右 いせ本街道 左 仏隆寺」の道標があって、こちらは登りであった。ゆっくり慎重に歩こうと思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/65/10/7db453f73a0082b90bf467bfefd617c3_s.jpg)
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10分程行くと旧旅籠・松本家があった。天明元年5月(1781年 江戸時代の中頃)建立の建物らしい。更に5分程進むと巨大な杉・千本杉が見えてきた。根元は1つのように見えるが幹が分かれたには本数が多すぎるし、数本が寄り集まっているようだ?まるで密着していたよ。下の方に道路が見えていたので、そちらから近寄ればはっきり分ったのかもしれないが、登りの“しんどさ”で確認する気力はなくそのまま通り過ぎることにした。
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そして間もなく旧旅籠・津越家の前に来た。こちらも古民家として保存対象の家らしい。屋根が痛んでいたなぁ~。
津越辻にある道標の通り右へ進むと再び登りとなった。
民家が4・5軒建っている山道に、アジサイが咲き遅い蕨が生えていた。手折ってみるとプチッと柔らかそうな音をたてて私を喜ばせてくれた。家の前で蕨が採れるなんていいなぁ・・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/45/1a/745c009d52d53bbf97decf2fd6db508d_s.jpg)
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次の名所は諸木野関所跡。ベンチで休憩、おやつを食べた。団体行動ではこのような気ままは許されないが、二人歩きの楽しみの時間である。元気回復、再び歩き出すと手水所・すずみの水があって、竹筒から水が流れ落ちていた。水はきれいに見えたが、手を洗った彼曰く連日の雨で少々濁っていたらしい。
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ちなみに松浦武四郎と言う人は明治2年に蝦夷地を北海道と改名された事に関わりがあるらしく、諸木野弥三郎は伊勢の国司に仕えた弓の達人でこの諸木野に彼の居城があったそうな。
私には未知の名前であったが、伊勢本街道歩きの際なので頭の隅に置いておこう。
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「あれが猪を捕まえる檻だ。」と教えてくれたので初めて見た実物を写真に撮っておこう。大きいなぁ~。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/12/4e/7bb06f9bf69d8c8ac8f1df830ae4eefb_s.jpg)
ようやく石割峠の標識があった。辺りは緑に包まれ木漏れ日が差してきれいな景色。空気もきれいで涼しかった。静かで先ほど迄聞こえていた鳥の鳴き声も無い。静寂な山の雰囲気を楽しみながらゆっくり登った。「うわっ!石が割れてる!石割だよ!」(笑)勝手な解釈をしながら滑らないよう気を引き締めた。
標高695Mの標識、頂上のようだ。
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木々が鬱蒼と茂り薄暗く、道が水浸しの箇所もあったが無事通り過ぎて再びアスファルトの下り道となった。
ふと見上げると道路右手の山中に大きな岩が見えた。あれが姫隠岩かな?案内人さんが居ないので定かでないが・・・・・
田口に来てオトバヤの瀧を探しながら進むと、どうやらコレらしい。高さはさほどでないが、水しぶきを上げて気持ち良く落ちていた。
専明寺に来た。峠越えが出来てホッとするとさすがに疲れを感じ休憩していると、団体さんの到着で、聞けば「トラベル日本」さんらしい。彼等はここから迎えのバスで榛原駅に向かわれるそうだが、私達二人はここから上田口バス停まで歩くのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/41/32/99f731f4b052cf222a6d713101621699_s.jpg)
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道は二方に別れ伊勢本街道にある次の山粕峠方面へ向かう入り口があった。目の前に不動明王の道標が在り、折角なので立ち寄ることにした。祠の中には大きな石に迫力ある不動明王が刻まれていた。私は手にしていたアジサイの小花をそっとお供えして、今日の峠越えの無事を感謝して手を合わせた。。。。。
不動滝を見た後はアスファルト登りの坂道を弁財天川に沿ってバス停まで最後の頑張りを続けた。ちょっと厳しかったけれどコレも思い出。
きっちり時間表通りの午後4時40分、たった二人だけの乗客を乗せてバスは上田口弁天バス停を出た。
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おつかれさま。