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筑前へ その1日目

2022-11-16 | 日記
 11月14日(月)
京都駅午前9時42分発サンダーバード11号に乗車、筑前への旅を決行した。目的は丸岡城と芦原温泉と越前大仏と白山平泉寺の観光である。
10時43分、電車が通過中の「なんじょう駅」ホームの端で急停車した!。電車と人が接触したとのアナウンスが流れ、その後消防と警察の実況見分が済むまで85分間乗客は列車の中でじっと待った。大事故には至らなかったようでホッとした・・・・・
お陰でJR福島駅到着は12時45分、幸いにも下車して直ぐに丸岡城行きのバスに乗れて、お城に着いたのは午後1時時35分、結果的に予定より1時間遅れで済んだ。やれやれ・・・・・

紅葉の綺麗な霞ヶ城公園(霞ケ城とは丸岡城の別名)のベンチで先ずはお弁当を食べた。爽やかな風が吹いて空は快晴、京都駅で買ったお弁当の味良し、大満足の昼食タイムであった!(笑)

       (画像はクリックすると拡大する)

さて、雪釣りの景色を見ながら幅広の石段からいよいよ丸岡城に入場:
現存する12天守の1つ、規模は小さくても二層三階の天守(高さ約12m)はとても素敵だった。入母屋造りの屋形で回縁欄干付きの望楼形式、「石落とし」や「狭間」(はざま 鉄砲穴)が並ぶ、日本最古のお城にうなずく。
戦国時代、天正4年(1576)織田信長の命を受けた柴田勝家が甥の柴田勝豊に築城させたとか。屋根は石瓦(1枚20~60kg)で葺かれていて、福井地震で落下した石製の鯱(しゃち)が天守登り口階段の傍らに置かれていた。横に立って背比べをしてみた。(但し、元々は木彫銅板張りだったのが昭和15~17年の修理の際に、当時は戦争中で銅板の入手が出来ず石材使用になったとか。)
天守は昭和23年(1948)の福井大地震で倒壊し、昭和30年(1955)に部材の70%以上を再利用して組み直し修復再建されたそうだ。その時に石製の鯱は現在の木心銅張りにされたようだ。

             
 
天守内部に入ると木製の階段が目に飛び込んできた。何と段差45cm、1階から2階への傾斜65度、2階から3階へは67度の急階段であった。思いっきり足を上げ踏み外さない様にロープにすがりつつ登るわけだが、皆んな真剣そのもの、順番を待つ者は彼らを応援する様な気持ちで見守ったよな。
2階・3階の四方に有る窓からは市街地をぐるりと見渡せて素晴らしい素晴らしい!石瓦の屋根が妙に重く額縁の1辺を支えていたよ。
 
                  
  

また天守台の石垣(高さ約6.2m)は野面積みでとてもきれいだった。私は野面積みの石垣が大好きなので惚れ惚れして一周した。(笑)
それにツワブキがあちこちに咲き乱れていたのも嬉しかった。我が家の狭い庭にも今や咲き乱れているからかしら?(笑)

埋め立てられた内堀に建つ歴史民俗資料館を見学してから、タクシーで北陸本線JR丸岡駅に、そして送迎バスで芦原温泉・青雲閣に着いた。
食事は夜もバイキング形式であったが、色んな物をお腹いっぱい食べれてまぁまぁ満足。(笑)