横浜市都筑区耳鼻咽喉科

南山田(センター北と北山田の間)の耳鼻咽喉科院長のブログ。

背番号24 神様仏様稲尾様

2012-07-05 12:47:20 | スポーツ

今週は、ありがたいことに例年の7月に比べて忙しく、平日は時間もエネルギーもすべて仕事に集中させています。患者さんのことは書かないルールですので、必然的にブログのネタもなく、今日も7月1日の日曜日に得たネタです。

西鉄ライオンズの鉄腕稲尾和久投手の背番号24が、西武ライオンズの永久欠番となり、その記念試合として7月1日は、渡辺監督をはじめ選手たちも皆、背番号24の西鉄ライオンズのユニホームを着て、試合が行われました。

稲尾投手は、その超人的な活躍で、神様仏様稲尾様などと呼ばれた、大投手です。1958年、21歳のときの巨人との日本シリーズでは、3連敗のあとの第4戦、先発で勝利。第5戦にも4回表からリリーフ登板し、自らのサヨナラ本塁打で勝利投手。そして第6・7戦では2日連続完投勝利し、逆転日本一を成し遂げました。1961年には、年間42勝をあげ、引退後は西鉄、ロッテの監督を務めました。ロッテの監督時代は、あの個性の強い落合さんが稲尾さんのことは慕って、稲尾監督が解任されると、「稲尾さんのいないロッテに自分はいる必要がない」、と発言して、実際ドラゴンズにトレードされました。稲尾さんの人柄が伝わるエピソードのひとつです。

出身は、大分県別府市。根っからの九州人で、ロッテの監督を引き受けたのも、埼玉に去ったライオンズに代わり、ロッテが数年以内に福岡に移転することが条件だったそうです。結局、ロッテは九州に来ることはなく、今はホークスが九州を本拠にしているのは、ご存じのとおりです。亡くなるまで母は、ホークスではなく、西武ライオンズのファンでした。オールドファンにとっては、稲尾投手の時代のライオンズは、一生忘れられない存在だったのでしょう。

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