父母夫婦二人の法事を一緒に行ったのは、良いアイディアだったと思いましたが、やはり8月の月遅れのお盆の時も、母の初盆の御参りしてくださる方が多くいらっしゃるから準備しなさいと、年配の親族がおっしゃるのももっともと思い、今朝はあちこちに電話して、その段取りをしました。横浜を永住の地に選んだものの、祖父が独立して始めた日出の家の、長男の長男である私が3代目の跡取りなので、できることに限りはあるものの、その責任は果たさなければなりません。
私は東京で生まれて、大分に帰ったのが小学校5年の夏でした。大学に入るまでの7年半を大分で過ごしたことになります。叔父のひとりにも、東京で生まれて大きくなってから大分に帰って来た孫がいて、その子を見ていると、まあちゃん(私のことです)が大分に馴染めなかったのが良く分かる、とおっしゃっていました。自分では、子供ながらに何とか馴染もうとして頑張ったつもりだったのですが、大分を離れてもう40年近く経った今そう言われると、故郷であるはずの大分の人間には、自分は結局なれなかったのだと、改めて感じます。
土曜日は診療が終わってすぐ出発したので、いろいろな用事が残っており、午後はクリニックへ。連休が終わり、明日からまた、第三の故郷となった横浜の地で、これが自分の天職であると思うようになった仕事を、行います。