ウインブルドン女子は、セレナ・ウイリアムズが優勝しました。セレナの高い打点での強打を、技術と戦術で封じて粘ったラドワンスカに対し、自分の得意のパターンでプレーできなくても、以前のように怒りを表す事もなく冷静に戦ったNewセレナが、勝利しました。また、姉ビーナスと組んだダブルスも優勝し、単複制覇です。金曜日にダブルスの準々決勝と準決勝の2試合に勝利し、翌日土曜日にシングルスとダブルスの決勝の2試合に勝利したセレナは、凄いとしか言いようがありません。
セレナ・ウイリアムズが初めて全米で優勝した1999年以降の、グランドスラム女子の優勝者を見ると、ウイリアムズ姉妹がふたりで計21回優勝しています。セレナだけでも14回です。13年間にわたって、ふたりが女子テニス界に君臨してきたのですが、とくにウインブルドンでは、ふたりで10勝と圧倒してきました。それに対して全仏では、グラフやセレスが去って、全仏に強かったエナンが登場するまでの間の2002年に、セレナが1度優勝しただけです。
そのエナンは、ウインブルドンではついに優勝できませんでした。ヒンギスは全仏で優勝できず、セレスもウインブルドンで優勝できませんでした。まして、クレーコートの全仏の2週間後に、全く違う芝のコートのウインブルドンがあるので、この2大会を同じ年に連続して優勝するのは難しく、2002年のセレナが最後です。過去には、グラフ、ナブラチロア、エバートなど、スーパースターのみが、達成しています。現在、全仏と間を開けるため、ウインブルドンの開催を1週間遅らせるという案も、検討されているそうです。
ウイリアムズ姉妹に次ぐのが、エナンと、過去3度優勝した全豪を最後に今年で引退を表明しているクライシュテルスのベルギー勢で、二人で計11回の優勝です。シャラポアをはじめとしたロシア勢も活躍が目立ちますが、長いグランドスラムの歴史の中で、ロシアの女子が優勝したのは2004年のミスキナがはじめてで、ごく最近のことです。4年前の北京オリンピックでは、デメンチェワの金メダルを筆頭に、ロシアが金銀銅を独占しました。その前のアテネの金メダリストがエナン、その前のシドニーがビーナスです。
エバートとナブラチロアの時代、グラフとセレスの時代、ウイリアムズ姉妹の時代を見てきましたが、その後を次ぐスーパースターはまだ見えてきません。
1999 | M.ヒンギス | S.グラフ | L.ダベンポート | セリーナ・ウィリアムズ |
2000 | L.ダベンポート | M.ピアース | ビーナス・ウィリアムズ | ビーナス・ウィリアムズ |
2001 | J.カプリアティ | J.カプリアティ | ビーナス・ウィリアムズ | ビーナス・ウィリアムズ |
2002 | J.カプリアティ | セリーナ・ウィリアムズ | セリーナ・ウィリアムズ | セリーナ・ウィリアムズ |
全豪 | 全仏 | ウインブルドン | 全米 | |
2003 | セリーナ・ウィリアムズ | ジュスティーヌ・エナン・アーデン | セリーナ・ウィリアムズ | ジュスティーヌ・エナン・アーデン |
2004 | ジュスティーヌ・エナン・アーデン | アナスタシア・ミスキナ | マリア・シャラポワ | スベトラーナ・クズネツォワ |
2005 | セリーナ・ウィリアムズ | ジュスティーヌ・エナン・アーデン | ビーナス・ウィリアムズ | キム・クライシュテルス |
2006 | アメリ・モレスモ | ジュスティーヌ・エナン・アーデン | アメリ・モレスモ | マリア・シャラポワ |
2007 | セリーナ・ウィリアムズ | ジュスティーヌ・エナン | ビーナス・ウィリアムズ | ジュスティーヌ・エナン |
2008 | マリア・シャラポワ | アナ・イバノビッチ | ビーナス・ウィリアムズ | セリーナ・ウィリアムズ |
2009 | セリーナ・ウィリアムズ | スベトラーナ・クズネツォワ | セリーナ・ウィリアムズ | キム・クライシュテルス |
2010 | セリーナ・ウィリアムズ | フランチェスカ・スキアボーネ | セリーナ・ウィリアムズ | キム・クライシュテルス |
2011 | キム・クライシュテルス | 李娜 | ペトラ・クビトバ | サマンサ・ストーサー |
2012 | ビクトリア・アザレンカ | マリア・シャラポワ | セリーナ・ウィリアムズ |
また、男子のダブルスはマーレー/ニールセン組が優勝しました。なぜか、兄はマーレー、弟はマレーと表記されていますが、ダブルスに専念しているマーレーはアンデイ・マレーの1歳上の兄です。今日は、男子の決勝が行われます。アンデイ・マレーが勝てば、1936年のフレッド・ペリー以来の地元英国人の優勝で、兄弟で単複を制することになります。フェデラーが勝てば、ランキング1位に返り咲き、サンプラスに1週及んでいなかった、ランキング1位の通算在位期間の記録に並び、またウインブルドン優勝も7回となって、サンプラスに並びます。