色々と思うところがあり、最近、陽に料理を教えている。
陽が好きなものばかり。
料理はさ、出来るまでいかなくてもそこそこやっといた方がいい。
ひなマムも決して出来るとは言えない。
でも、細々とでいいからやるよの。健康的で食べるために。
そしてそう遠くない未来に、進学とかで私とガッチャのもとから離れて一人暮らしする機会もあるかもしれない。
結婚してからだって、めちゃめちゃ出来なくてもいいけど少しは家事も頼れるダンナになった方が家庭内がうまくまわるよ。
そんなことを考えながら、陽が鼻唄歌いながらチャンプルー作ってるのをチラッと見る。
あとどれくらい、あと何を、私は陽に教えたいことを教えられるか。もう高校1年生、考えたくないけど早ければもしかしたらあと3年弱で家を出るのかもしれない。
そうでなかったとしても、その先で一人暮らしする機会も来るだろう。
結婚して家族ができることもあるかもしれない。
私は、2011年の1月、陽のそばにまだまだいたくて陽と沢山の楽しいことを共有したくて陽のお母さんであり続けたくて、第2子の不妊治療を諦めた。
腹を切って、陽のお母さんであり続けることを選んだ。
まだ見ぬ、まだ形にもなっていない第2子。
それよりも陽のお母さんであり続けることが大切だと諭されて。
そして私も最終的にはそう思って、自分から手術台によっこらしょと乗った。
あの時から、私は破天荒な母でありながら、陽の母であり続けることの意義をなんとしても果たすんじゃー!と思っているんだよ。
料理もその一つ。
押し付けているわけではない。
とりあえずカンタンなものが作れて、野菜とお肉ちゃんと食べとけば、どうにかエネルギーになるから。
食べることって、生きることだから。
だから、カンタンでいいから丁寧に作って食べる方法をみにつけてほしいのよ。
さぁ、あとは何が教えてあげられるかな…
不器用だから、あまり手の込んだことは教えてやれないのだけど、私なりに大切なことを伝えていきたい。
この夏で陽は、16歳なのだ。
寝かしつけにも手のかかる、ご飯はめっちゃ少食、他にも色々あったけど、親の心配もどこ吹く風でここまで大きくなってくれた。
母の出番というのは、本当に本当に人生の最初の頃の方だけなんだなぁ…と少し寂しかったり成長が嬉しかったり複雑な気持ちを持ちながら、母のそんな葛藤も全く気づかずにスパムのつまみ食いをしている陽をチラリと見る。
ちょっと、イラッ💢とする。
けど、本当は少し寂しくも感じるのだよ。