あまのはらふりさけみれば・・・・

北京で単身赴任生活2年、帰国後も中国ネタを書き綴ります。

初旅行(その2 金山嶺長城 能書編)

2014-06-11 00:11:43 | 旅行
その1で書いたように、長城が整備されたのは明の時代まで。
 清は無用の長物を放置したため、荒れるに任せていたが、中国政府は修復を始め、
現在、長城のうち北京近郊に観光客用に整備・開放されているのは、

1 八達嶺(はったつれい バー・ダー・リン)
  もっとも一般的。日本からのツアーは大体ここへ。休日はごった返す。
2 司馬台(しばだい シー・マー・タイ)
  明代の特徴をもっとも残すとされ、煉瓦にも製造年が記されたものがあるとか。
  現在修復中で、今年完成か・・・。
3 慕田峪(もてんよく ムー・ティエン・イー)
  八達嶺ほど混んでいないので、穴場とされる。ロープウェイでのぼりスライダー
 で途中移動する。楽チンかもしれない。今度はここに行こうと思っている。 
4 金山嶺(きんざんれい ジン・シャン・リン)
  今回行ったところ。各種写真、映像は大体ここが使われる。
5 居庸関(きょようかん ジュー・ヨン・グアン)
  北京防衛の指令所だったところ。そこから延びる長城で市内からは最も近い。
6 秦神島(しんこうとう チン・シェン・ダオ)
  秦の始皇帝が訪れたことからこのような地名に。河北省内の長城の最東端で、
 海に面している箇所は石積みも見事で、わざわざ見に行く価値あり。
  ただし、街の治安は良くないという声も多く聞かれ、いまだに行くことを勧
 めてくれた日本人はいない。

を挙げることができる。

 数年前、未整備の長城にツアーに行かれた日本人を含む数名が降雪に遭い、
お亡くなりになったことは皆さんもご記憶のことと思う。未整備の箇所は健脚
の方でないと難しいし、北京付近の長城は緯度的に北海道より北に位置している
ことは念頭にいれ、冬はなるべく避けたほうがよいと思う。

 今回訪れたのはこのうち、最も美しいとして、中国国営放送でも映像が流れる
金山嶺である。
 美しいバラにはトゲがある、そんな言葉を忘れていた拙者は、とんでもない目
に遭うことになるのだが・・・。

 文字通り暗雲立ち込める中、長城の麓についたのは12時前とお昼どき。
 レストランで食事をとり、いざロープウェーで登って徒歩で下山と思いきや、
雷注意報発令中のため、運行休止とのこと。
 ガイドさんから30元(旅行社優待料金 通常は40元)のお払い戻しを受け
取るが、ちっとも嬉しくない。
 雷注意報、こっちの方が気になる。

 気を取り直し、いくつもあるルートのうち地元ガイド(勝手についてくる)お
すすめの景色の良いルートを選択し、6名 + 地元ガイドで登っていく。
 急勾配の斜面の麓に着くと、すでの上りルートの9割以上を走破したような
現在位置が示してある。目の前には険しい山、ウソだろうと、皆でツッコミを入
れながらも、九十九折りの険しい山道を登っていくと、確かに10分ほどで長城
にたどり着いた。

 期待に胸をふくらませて、長城の構造物の中へと入っていく。
 階段もまた急勾配で険しい。女性の参加者は地元ガイドに引き上げられるよう
にして登っていく。
 長城の上に出ると一気に視界が開け、感激、大満足する。

 矢間に通風用の穴、様々な防御用の工夫など、戦国・城マニアならすぐに気づく
構造上の特徴をいちいち確認しながら、稜線ハイクさながらに長城の上を進む。

 すると注意報通り、雷光一閃、雷が次々と落ち始めた。
 やむなく塔の中に籠り、危機の過ぎ去るのを待つ。
 と大粒の雨が降り始め、風も強まり、危機はさらに複雑化する。
 耐え忍ぶしかない。

 小降りになれば、先を急ぐ、のだが、整備個所を過ぎると、荒れ放題の長城を
まるで山の稜線を縦走するがごとく進むことになる。足元は悪い、壁は崩れてな
くなっている、横風はキツイ、傘は使えない、帽子も飛びそうでしまうしかない。
 すると幅は数メートルもあるというのに、進むうちに心底、恐怖感が湧いてきた。
 そう、何を隠そう、隠しきれない、拙者は高所恐怖症、中国語では恐高症(
コン・ガオ・シェン)なのだ。

 途中、膝が笑い出した。危ない、まだ数十メートル先の塔まで膝で笑いながら
進まなければ・・・。パニックにならないように、下を観たくないが足元に集中し
て、崖下を意識しないように、中腰で風の影響を少なくしつつ、何とか乗り切った。
 塔の中で、膝が笑うのをやめるまで待つことに。幸か不幸か雷雨が激しくなり、
ツアー一行全員が足止めを食うことに。足止めされているにもかかわらず、足が
止まっていないのは拙者だけ。まだ笑っている。

 同じようなことを何度か繰り返し、ようやく下山の運びに。
 雨はさらに激しく、一向に収まらないため、雨具を装備していた拙者は先に下山
することとした。雨宿りの場所も狭く、どうせその外にいるのなら、動いた方が
マシである。

 下山してバスの中で新しい衣服に着替えた。
 もう二度と未整備の場所には足を踏み入れるまい、と思ったのであった。

 ずぶぬれになった皆さんが戻ってきたのは、それから約ニ十分後だった。