あまのはらふりさけみれば・・・・

北京で単身赴任生活2年、帰国後も中国ネタを書き綴ります。

初旅行(その7 承徳 写真編3 避暑山荘の2)

2014-06-16 01:47:58 | 旅行
 引っ張っているようだが、意識しているのではなく、見どころが多いので、
写真が多いのである。


 遊覧船に乗って対岸へ、また別の場所へと移動していく。
 なんと手漕ぎである。エンジンボートは環境に負荷をかけるからだとか、
ほんまかいな?


 まず目指すは、前方の塔。


 ちなみにレジャー用のボートもあるが・・・。
 女性が一人船の先端の縁に乗っている、危ないと言うか、怖くないのか?


 かつては水面から上がる霧を見るためだけに整備された建物。
 付近で湧く温泉と池の水が混じって冬になると幻想的な光景が見られるとか。
 以前は共産党幹部の保養施設だったが今は解放されているとか。

 霧はないけれど、眺めてみた。


 塔へと上がる。

 そしてみんなが塔の周りを周回する。
 一周すると、事業が成功する、
 二周すると地位が上がる、
 三周すると健康になる、
 四周すると新しい恋人ができる、
のだそうだ。

 もちろん三周してきました。


 小さな船に乗リ変えて次なる目的地へ。 


 何やら人だかり。まぁ別に珍しくもないけれど。


 ここが「熱河」です。川底から温泉が湧いているらしい。
 残念ながら、温いとも感じなかった。


 最後に牡丹園を見ながらバスへと向かう。


 蘇州にある有名な塔のコピーとか。
 コピー好きは昔からだったんですね。

 翌日、もっと壮大なコピーを見ることになる。

初旅行(その6 承徳 写真編2 避暑山荘の1)

2014-06-15 02:44:43 | 旅行
 清帝国の最盛期、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の3世代約90年にわたって整備
されたサマーパレス、それが避暑山荘。

 と聞くと豪勢なものを予想するが、案外質素。
 北京の当時の一般的な家屋である四合院(しごういん)造り、平屋の建物が
多い。


 門構えの方がむしろ立派なくらい。


 例によって、混雑と混沌。


 獅子が玉を制している、皇帝の象徴の一つ。


 ああ、人だかり。


 避暑山荘の扁額、こっからが本当の入り口みたいなもの。


 虎の皮の壁、と呼ばれる石住の壁。写真は山荘内部から見たもの。
 外側はひたすらこの壁が連なっている。


 油松という種類の松。樹齢数十年から百年以上と言うが、日本ではせいぜい20年くらい
の太さにしか見えず、そうじてこの国の木々は生育が悪いと思う。
 ちなみに一本一本の木に避雷針が付けてあるとか。絶句。
 避雷針の有効範囲は半径100Mほどの同心円だと聞いたことがあるが、そうだとすれば、
せいぜい5本も付ければいいものを、ご丁寧に数十本に付けてあるとか。世界文化遺産なの
は判るけど・・・。


 畏れ多くも皇帝の玉座に直筆の書を基にした扁額なるぞ、控え、控えぃ。ってな感じ。


 これも視にくいですが、御輿、これに乗って北京は紫禁城からヨットこさ。何日かかった
んでしょうね。300KM以上mなので十数日、下手すると二十日以上はかかったんでしょ
うね。


 玉座を見る人のカタマリ。当時の皇帝は思いもしなかったであろう光景。


 非常にわかりにくいですが、西太合の履いていた靴と書の複製。ほかにも生活用品などが
ありましたが、ガラスの反射で写真にはならず。


 彼女の暮らしたスペースは質素で、寝室、会見準備室兼生活室、そして会見室兼居間と
6帖3間程度しかない。
 食事とかほかの建物でとったんでしょうけどね。


 建物裏の記念撮影スポット。

 引く続きお庭部分のほんの一部を見学しました。狩場や山の庭園もあって、実際は広大で
1日かけても回れません・・・。
 続きは次回。

(続く)

初旅行(その5 承徳 写真編1 チベット寺院)

2014-06-14 00:41:45 | 旅行
 写真編と言いながら、肝心の部分の写真は、ナイ。
 寺院だけに仏像の撮影は御法度なので、その点、ご理解とお許しをいただきたい。


 まずは遠景。
 無駄に広いこの広場、なにかの行事にでも使うのだろうか?


 お寺公認のガイドさん、容姿端麗な女性が多い。
 ちなみに音声ガイドは中国語と英語だけ。
 北京市内の主要な観光地、故宮、天壇公園などが20ヶ国語以上の音声ガイドを
用意しているのと比べれば対照的である。


 入場券の表と裏。

 入場は裏面のバーコード部分を読み取る方式で、モギリ主流の日本よりハイテクな
感じがする。
 共通入場券、寺院3つに避暑山荘にこれで入ることが出来る、満腹満腹。
※ ハイテク自体、死語でしょうか・・・。


 寺院正門の扁額と各種由来を記した石碑の写真。
 民族の融和を掲げた清朝、その象徴的な場所でもある承徳ではいろんなものが4つ
の言語で表記されている。
 満州文字、チベット文字、モンゴル文字、そして漢字である。
 こういうのを見ていると、人類は進化しているのか退化しているのか・・・。
 先人の知恵をもう少し学ぶべきだろう、ねぇ〇〇〇さん!
 てな考えが脳裏をよぎるのであった。
 

 正門の中、左右には仁王さん(?)、かつて中国が日本のお手本だったことが、ここでも
わかりますね。
 

 境内は樹木や建物が多く並び、人が少ないこともあって、やはり厳かな雰囲気。


 とりあえず、平地では一番大きな建物。まだまだ山の斜面に寺院は展開していきます。

 
 とそこで、仏様のお姿を写したといころ、お坊様からとがめられてしまいましたので、
千手千眼観音様のお写真もありません。悪しからず。
 そんなことより拙者に仏罰が下るのでしょうか。いや仏様はきっと許して下さる。
 通った幼稚園がお寺の境内にあった拙者としては、そう思うのでした。


 チベット寺院には必ずあるマニ車。これを回すことでお経を唱えたことと同じ効果
があるとされる。チベット文字が読めない方でも信仰心があれば、仏様に祈りを捧げ
ることができるように工夫されたものである。


 さて、前方に壁面が。
 
 見上げるほどの高さ。でも登って行きます。


 この大きな建物の中に千手千眼観音様がおわすそうな。周囲には建物がたくさんあって、
多分、これがチベット様式なんでしょう、キッと。
 建物の中は非常に狭く、下から覗く混むように見上げないと観音様のお顔を拝むことは
出来ません。何でも頭の上にはご自身のお師匠様の仏像が乗っかっているそうです。
 返す返す、写真がないのが残念です。
 

 まだまだ次の場所へ。行く手にはまたしても階段が・・・。
 

 さらに上には、お金が儲かるという御利益の仏様がいらっしゃるとか。
 そう聞いちゃうと、皆、登りますわな。


 願いがかなうという南京錠。
 神戸人には懐かしい、金星台名物とおんなじ。違うのは神戸は二人の愛は永遠にというところ。


 先ほどの観音様の建物を見下ろす形に、何とも畏れ多い。


 いずこの国にもこういう落書きをするバカモンがいて困ったことです。


 磐鐘峰(けいすいほう チン・チュイ・フォン)が見えました。
 何とも不思議な岩です。山のてっぺんに直径最大約15M同最少約10M、重さ1.6Tの岩が
乗っかってる摩訶不思議な風景。
 毒ガスなのか湿気なのか、視界が悪いのが残念でした。


 出口の前には、商店街が立ちはだかります。清の時代の雰囲気を再現しています。


 書道の達人、即席で人の名前を盛り込んだ漢詩を書いてくださいます。
 でも拙者、漢字で五文字、すわりが悪いので止めにしました。


 出口もこんな感じ。


 外には露天商が。お決まりの光景でした。

初旅行(その4 金山嶺長城 写真編2)

2014-06-13 00:30:03 | 旅行
 たどり着きました、長城の上に。
 
 いやー、雄大、見晴らしも良い。


 最初の塔を目指します。
 
 入り口はこんなに狭く、入るとすぐ直角左方向に階段が。
 これも敵の侵入を遅らせ、防ぐ構造なんですね。
 行き先が見えないと一瞬、躊躇するし、明るいところから暗いところに入って目が慣れないうちに、上から
攻撃されるという訳です。
 
 塔の窓からモンゴル側を見てみました。
 蒙古軍は来るか?
 蒙古軍は、もう来ない、ヒャー寒い寒い、オヤジギャグ。

 塔の中は3重に区切られ、このなかで徹夜とかしたんでしょうね。
 陰に隠れて侵入してきた外敵を攻撃しやすい構造でもあります。

 さらに進み振り返ってみました。
 侵入してきた外敵はどちらから進んでのも、その先がどうなっているのか、行く先が見えない造りになって
います。
 心理戦、そこまでよく考えた構造です。
 写真右側の壁の切込みが、鉄砲狭間、矢狭間に相当する構造です。つまり右外側が蒙古側、左側が北京方向
となります。
 右側下の穴は、石や熱湯を落とすための穴。日本の城郭建築でも見られます。
 左側にも穴があります。
 これは風を通すための穴です。強風を受けることの多い長城を守るためには風の圧力を逃がす構造であること
が求められるのです。


 二つ目の塔には屋根がありません。武者溜りのようなものでしょう。

 階段の上り下りがツラいので、写真の女性のように細い通路を進みました。
 これが良くなかった。怖い、という感情が湧き上がってきました。


 長城から見た現代の構造物、高速道路です。

 三つ目の塔を目指します。

 三つ目の塔にも屋根がありません。

 塔の上から行く先を見てみました。先は長そうです。

 出口、というか反対側からの入り口を塔の内部から見たものです。
 入ってきた外敵は、急こう配の階段に足が止まると、写真右方向の上部から攻撃されてしまう、そんな構造
です。


 三つ目の塔を出てしばらく行くと、少し足場が悪くなってきました。未整備部分なのでしょうか。


ともかく四つ目の塔を目指します。雲行きはますます怪しく、遠くの稜線上に連なる長城が視にくく
なってきました。


 四つ目の塔、長城の外に出て見上げてみました。


 先ほどのアングルとはうって変って、塔の中は破壊が進んでいました。


 道のりはまだ続きますが、この先は相当破壊が進んでいるようです。


 壁はなく、一部は縁が崩落しています。デコボコも相当で、横風が強く、恐怖の一言。
 これで写真を終わります。というかこの後は雷雨に強風、とてもそんな余裕はありませんでした。


 下山途中です。このように麓部分と登ってからしばらくは整備されていますが、騙されてはいけま
せん。
 行きはよいよい帰りは恐い、長城ウォークでした。

初旅行(その3 金山嶺長城 写真編1)

2014-06-12 00:26:32 | 旅行
  皆さん、お待たせしました、写真です。
  承徳よりもまずは解説しやすい長城からアップします。


  いやー分かり易い。天安門広場とかにゴミ箱つなげて長城を再現してはどうだろうか?
  いや、テロ対策としては取りえない愚策でした、失礼。


  気を取り直して、まずは麓からの遠景。30分で登れるというが、それってキツクねぇか?


  疑問を感じつつも、案内に沿ってコンクリート舗装されたなだらかな上り坂を進む。


  ウソでしょ、10分ほどでもう9割がたの道を来たことに・・・。
  そう、こっからが厳しいわけ。だって同じくらい時間をかけて1割を進む計算、でしょ。


  早くも萩の花が咲いている、なんて最初は余裕があったのですが・・・。


  キツイ上りを一つクリアして振り返ってみました。階段の先が見えないのは、
 そう、そっから先は急こう配ってことですよ。
  その後は急こう配の連続で、息も切れ切れになっていきました。


  ゼイゼイゼイ・・・。着きました、ヤッター人生初長城!
  苦節50年じゃなくて、苦節27分、登ってきました。


  まずはその横顔をパチリ。


  入り口をくぐると、またもや階段。

  いよいよ長城の頂へ、というところで次回へ続く。
  もったいぶったテレビ番組みたいで済みませんね。

(続く)