【2013年9月11日の記事にフォーレの交響曲ニ短調に関するみみっちー怒りを追加しました】
電車に乗ってiPodでフォーレのピアノ五重奏曲第2番を何気なく聴いてたんですが、むっちゃ後悔しました。
こんな泣かせ王の心のこもった音楽を人前で聴いちゃいけなかった!第三楽章はその悲しみとやさしさに涙を堪えられないです
作品番号100番台の室内楽を聴いてる間はボクのような性格ヒン曲がった人間でも気持ちよく素直な人格になれる気がしますね~!
しぬ前は時間とお金をかけて地球上のいろんなところを見てまわるよりこれらの哀しくも美しく前向きな音楽たちのうち一曲だけを聴くだけで十分。。
後期室内楽曲は全部好きだけど、今の自分が特に気に入っているのがこのピアノ五重奏曲第2番と、ヴァイオリン・ソナタ第2番、それと弦楽四重奏曲です。
このうち弦楽四重奏曲はフォーレ最後の、なんと79歳のときの作品!噛めば噛むほど味が出る、スルメ音楽の代表格かも。
この曲も雑念捨てて集中して聴いたら泣くなっていうほうが無理。
ドビュッシー(ラヴェルでしたっけ?)に「フォーレ先生、弦楽四重奏曲を書いておいたほうがいいですよ」って後輩にすすめられて作られたこの曲の、特に中間楽章を聴いているときはベートーヴェン後期を含めたあらゆる弦楽四重奏曲の中でもしかしたら最高かもって。フォーレの室内楽ではベートーヴェンみたいに独りぼっちでなく、つねにフォーレが誰かと対話しているような気が。。フォーレ以外の誰かが確実にいる。
だからかもしれないけどいかに自分が日常のストレスに無意識に悩んでるかに気付かせてくれて、つらかったねって優しく癒してくれます。
本当に良い曲というのは自己主張するだけでなく、聞き手一人ひとりの心の声にも耳を傾けてくれるものなのか。
でも最初で最後のピアノなしの室内楽なもんだから、何となくピアノ欠乏感があるんですよね。いつもは当たり前のようにいた大切な人がいないっていうか。。もしかしてフォーレ自身?
実は地上の弦楽四重奏に合わせ天国でフォーレがピアノを弾く図式の五重奏曲第3番なのでは?なんて
それにしても70歳台のフランス大作曲家爺と極東のアホな若造が時空を越えてちょっとでも心が通じるなんて、音楽ってすごい~
自分もいつまでも若々しい感性のジジーになりたい!
。。。とか自己満足の世界に浸っていたら
ヴァイオリン・ソナタ第2番の第2楽章のテーマは1884年の交響曲ニ短調作品40(廃棄されちゃった、残念!)からの転用だし(チェロ・ソナタ第1番Op. 109のどこかの部分もその交響曲からの転用だそうです)、弦楽四重奏曲第1楽章はヴァイオリン協奏曲ニ短調作品14から取られたものだったんですね。知らないで初めてコンチェルトを聴いたときはビックリ!
これって有名な話らしいけど、ボクは迂闊にも知りませんでした。
なるほど爺さんの割には青春っぽいはずや。。ってか俗物の発想だと良き青春時代を回想してるわけやね。
他の室内楽曲にも若書きの引用があんのかな?
でもそんなことに関係なくボクにとって泣かせ王であることには絶対変わりないのです。
Gabriel Fauré (1845-1924) マルセル・プルースト(Marcel Proust, 1871-1922)の写真コレクションより
【追記】2016年1月25日夜7時30分からのNHK-FM「ベストオブクラシック」でヤノフスキ/クリーヴランドによる、廃棄されたはずのフォーレ交響曲ニ短調が放送されるんですね。必ず聴かねば!
【さらに追記:2016年1月25日20時30分】
怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒怒
なんか普通にフランクの交響曲が始まったけど!? 早めに帰宅して録音態勢万全で待機してたのに。。。