チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

バレエダンサー服部智恵子・笹田繁子(ワトソン・繁子)母娘(1955年)

2016-12-14 21:50:02 | バレエ

『音楽之友』1955年8月号より、バレリーナ服部智恵子笹田繁子(ワトソン・繁子)親子。ステキな写真ですね。撮影は「丹野」氏。



服部智恵子(1908-1984)は父が日本人、母がロシア人のハーフであり、ワトソン・繁子の父はロシア人なので、繁子さんは1/4日本人、3/4ロシア人ということになりますね。

記事における母・智恵子さんの言葉です。

「私なんかも今頃になって、なるほどと悟るようになった事は、みなテクニックも基本的なことばかり。バレエも日本の能なんかと同じで立派な型がありますからね。個性だとか華やかさなんてものを全然押えてきびしい訓練が必要なんです。

 繁子さんは小さい時からきかなくてね、私の云うことなどきかないのですよ。一人でコツコツやってね。でもかえっていい事だと思っています。それに前にピアノや声楽をしていましたが、これもバレエの上で役立っていると思います」

 

。。。お母さんは日本人っぽいけど娘さんの外見と性格は外人さんですね!?


日本初の音楽大学オペラ(武蔵野音大・フィガロ、1956年)

2016-12-06 00:38:19 | メモ

『時事世界』1956年12月号に「日本最初の音楽大学オペラ」という記事が掲載されています。

武蔵野音楽大学(1949年設立)が音楽学校としては我が国初の本格的オペラ科を1955年春に特設し、ドイツのアルフレッド・ボルヒャルト(Alfred Borchardt)の尽力で1956年10月20日、東京・青山の日本青年会館ホールにて「フィガロの結婚」の初公演を実現させました。


↑ 初公演当日における楽屋。出演の学生たち。リラックスしていますね。

 


↑ そのうちの一人。お名前等が判明したら追記します。

 


↑ 左端は幕間に次の場の指導をするボルヒャルト氏。奥は指揮のクラウス・プリングスハイム(Klaus Pringsheim, 1883-1972)

 


↑ 中央のお二人はドイツ大使夫妻。神妙な表情ですけど公演は予想以上の成功だったようです。

。。。本当にこれ以前に音楽大学によるオペラ公演がなかったのか・詳しい出演者など、情報を追加していこうと思います。


大阪コーラルソサエティ・演奏会記念写真(1935年)

2016-12-01 23:20:56 | 日本の音楽家

シンキャウ社刊『楽苑』1935年12月号より、大阪コーラルソサエティの写真です。



記事によると「大阪朝日会館でメンデルスゾーンのロープゲザング【Lobgesang, 交響曲第2番】を演奏したときの記念撮影。指揮者は大阪音楽学校教授、長井齊【ながいひとし、1893-1985】氏。大正15年9月創立、毎年クリスマスに50~80名の合唱団員に独奏者と管弦楽を加え、大規模の宗教音楽演奏を続行して現在に及ぶ有力の団体です。」とあります。画像に写っている独唱者たちはどなたなのかわかりませんでした。

創立10年目に入った頃の写真ということになりますね。それにしても戦前にこんな立派な合唱団があったとは。。

この大阪コーラルソサエティは今年(2016年)、90年の長い歴史の幕を下ろしたということです。