食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

オリーブ

2009-09-14 07:41:58 | 日記
 「マシア・エル・アルテット」


 巻き舌で、噛み噛み3度発音、ようやく覚えられた。


 今年、世界一に輝いたスペイン産オリーブの品種名。


 
 「私、オリーブ大好き人間なの~」とおっしゃる方のコメントを耳にすると、


 (うそくせ~)


 と思ってしまう。



 これは、僕の一方的な錯誤によるもので、叱責されるのは明らかに自分側である



  オリーブは相当に古くから存在する食材であり、「旧約聖書、ノアの方舟」の中にすでに登場している。



 この、地中海を代表する宝石、未熟な果実は塩づけ、酢づけにされ、黒くなった熟果はオリーブ・オイルに精製される。



 実を搾っただけの100%天然’一番搾り’が、バージン・オイル。 その中で、特に品質の高いのを、エキストラ・バージン・オイル。


    酸度の低さが重要なポイントである。。。。。



 ピュア・オイルは、精製したものが混ざっている。 ブレンテッドのこと。 当然、こちらの方が、格付けは下がる。



 成人病予防、抗がん作用、 美容効果に抜群の力を発揮してくれる。



 クレタ島(ギリシャ)の島民のガン罹患率が極端に低いのは、オリーブ・オイルの多用にあるといわれている。




 どうしても、 オリーブ好き = かっこ付け   の呪縛から逃れられない。

村田真一

2009-09-11 10:07:20 | 日記
 僕のように強靭な胃袋以外、別段、取り柄のない人間にとって、天賦の才に恵まれた人物の生き方や、エピソードを関知しても、いずれ人生の手本になることはない。



  ここに、村田 真一という男がいる。



 顔面神経麻痺の為、顔の左半分を自分の意思で動かすことが出来ない。


 99' 年、 横浜戦で斉藤隆にくらった死球の後、休養をとらず試合に敢行したことによる後遺症のためである。



 1981年、村田はドラフト5位で巨人軍に入団する。


 契約金、2000万円すべては借金苦に喘ぐ実家の肩代わりに消えた。


 積年の2軍生活を終え、90' 年、正捕手の座を得る。


 「チュウ」というあだ名は、ネズミのように泥まみれとなる彼の練習風景から付けられた呼称である。



  村田は、致命的なことに肩が弱かった。


 彼のフォームである 2塁へのワンバウンド投法は、少年野球のキャッチャーがする投げ方だ。


 結果こそが全てのプロの世界で、村田を最後まで起用し続けたのは長嶋監督である。


 人間心情の奥への透視ができるのも、長嶋が天才と云われる所以なのかもしれない。



 
  時折、テレビで引退後の村田を拝見することがある。



 苦労を微塵も感じさせない彼のあたたかな笑顔の横で、 交通事故で夭逝された愛娘の照れ笑い声が聞こえてくるような気がする。

塩ラーメン

2009-09-10 07:54:14 | 日記
 腎臓に負担がかかりそうなイメージを抱くが、塩をふんだんに使用するわけではないので、ご心配なく。。。。。



 塩ラーメンは、白く濁ったスープと、麺の量が一目できるほどに透きとおったスープを使用する店とに二別される。



 いずれもスープ材料の味がストレートに出るため、隠しだてができず、本音で勝負するのが塩ラーメンである。




 70年代初頭まで、塩ラーメンは超マイナーであった。



 全国普及に貢献したのが、サンヨー食品「サッポロ一番塩ラーメン」の登場。



 また、透明スープのメジャー化には函館ラーメンの存在が大きい。



 透きとおったスープの底から、微妙な質感を持って、戊辰戦争の残像が浮かび上がってくるようだ。




 一年に一、二度無性に黄金色に乱反射する透明な塩ラーメンを食べたくなる。



 そんな時、池袋の「まる九ラーメン」が優しく迎えてくれる。

2009-09-09 07:44:55 | 日記
      秋



 日差しがやわらかくなり、夕方の気配が感じられ始める頃、ふと目をやると、薄オレンジ色の空をバックに、柿が枝一杯に赤い実をつけている風景に出くわすことがある。



 日本人として、秋の心和む情景の一つである。



 我々と柿との付き合いは相当に古く、先人達も柿が体に良いことを経験的に知っていた。



 新年、正月の鏡餅に串柿が添えられるのは、その名残といえる。



 ビタミン含有、抗酸化、食物繊維量等、栄養価は食品の中でもトップクラスに位置する。



 また、砂糖が貴重だった時代、柿は自然の大切な甘味料だった。



 家の庭先に柿を植えたのは、これに由来するものだ。



 
   話変わって「柿の種」



 あられ作りの失敗作、いびつな形のものが功を奏しての誕生。


 それにピーナッツを加えたのは帝国ホテルのとあるバーが最初。



 「柿の種」と「ピーナッツ」の黄金比は、 3 : 1  がベストだと思う。




  幼少時、庭先の柿を、嫌というくらいに飽食させられた為、今、あえて柿を食べたいとは思わない。


 
       薬と思い食べよう



 

イスタンブール

2009-09-08 08:11:16 | 日記
 1978年、キャンディーズの解散コンサートが後楽園球場で行われた年、


 庄野真代の「飛んでイスタンブール」が流行した。



 イスタンブールという言葉は、歴史の枢軸に身を投じてきたトルコの大都市であることを理解していない小学生の僕にも、何となくエキゾチックに響いた。



 当時は、ドッジ・ライン 1ドル 360円の単一為替レートから、変動為替に切り代わって 7年目。    

 海外旅行のイメージが、ハワイやグアムばかりでなく、遠方なる異郷への旅として浸透し始めていた。



         

            イスタンブール



 栄華を極めたローマ帝国も、衰退し、東西に分裂する。


 東ローマ帝国は、首都をコンスタンティノーブルとし、そこの旧名がビザンティウムであったことから、 ビザンツ帝国と呼ばれるようになる。


 
 やがて、オスマントルコが登場し、ビザンツ帝国も、この大帝国により滅ぼされてしまう。


 コンスタンティノーブルは、以後、イスタンブールと改名され、オスマン帝国の首都となった。。。。。




      
           世界三大料理


     フランス料理       中華料理     トルコ料理



  トルコ料理はバラエティにとんでいる。


  ピラフはトルコが発祥


  ひき肉料理も大凡、トルコ発として過言ではない



  ロール・キャベツ      


  お弁当の定番、ピーマンでひき肉を包んだ料理


  これらの祖形はトルコに存在していた。。。。。



 道路沿いに小さなワゴン車を停めて、衆目の中、シシュ・ケバブ や ドネル・ケバブを商っているトルコ人を拝見すると、 その重厚で輝かしい歴史に思わず敬礼したくなる。