かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『いのちの煌めき 田渕俊夫展』 渋谷区立松濤美術館

2012年06月19日 | 展覧会

 いろいろな意味で圧倒された展覧会であった。ヴァラエティあふれる画題、細密な描写と大胆な余白、技法の多様性、壮大な構成力、どれをとっても驚くばかりである。
 展覧会の図録 [1] に、神谷浩が「田渕俊夫の芸術世界」を解説している。その中から田渕俊夫の絵画の特色を記述した部分を抜き出しておく。

装飾性は田渕芸術全体を貫く大きな特色である…… [2]

それ〔新たな試み〕が急展開するのが、《青木ケ原》(cat.no. 5)である。余白を十分にとり、色数は絞り込まれている。《ヨルバの神々》でほの見えていた、輪郭線と彩色のズレがはっきりと姿を現している。余白を活かしたこの《青木ケ原》は、未完成のようでもあり、当時の画壇状況の中では、ある種意表を突いた出品ともいえる。しかしこれが入選したのである。余白は、描かれていなくても絵の一部であり、描かない表現もありうるということに、今更ながら気付いたことであろう。以後、余白の使用について自信を深めたかのように、余白を活かしたおなじみの画風へと展開していくのである。 [3]

……1978年頃からは、非常に多くの風景画を描き、田渕らしさが明白となってくる。緑、青、赤など、賦彩は単色となり、時に輪郭を無視してぼかすようにほどこされる。まっ白な紙の素地に、黒い線と、緑などの単一の色がのせられ、風景画における田渕様式が完成度を高めてくる。
 この時期の風景画では、新しい試みも見られる。……かつての日本画では避けられてきた電柱やビニールハウスなどを堂々と描き込むようになったことである。 [4]

 例えば、「装飾性」、「輪郭を無視したぼかし」、「黒い線と緑などの単一の色」などの例として、《灼熱の夢》 [5] を見てみよう。
 画面中央右上に薄い青緑色の草の実が描かれている。その下には同じ実が背景の色と同じ淡緑色で描かれ、さらに線描のみの実が左右に描かれている。 

          
                       田渕俊夫《灼熱の夢》 [5]

 中央部分のうねるような背景彩色と周囲の空白の背景。草の実の描き方と背景の違いの組み合わせは、同じ草の実をえがいてもじつに多彩な効果をもたらしているように思える。
 絵の中心、緑白色のスポット状の空間には何ごとかを象徴するかのごとく、カメレオンが描かれ、彩色背景と空白背景の境には羽ばたく小鳥が配置されている。彩度は高くないにもかかわらず、装飾性の濃い作品だと思う。

 風景画の例としては、ビニールハウスを中心に描いた《濃尾平野》 [6] があげられる。田渕風景画の特色かもしれないが、画面の手前と奥の両方に余白ないしは大胆な省略が見られる。一方、描かれるべき主題部分は細密な線描が施されている。この絵でいえば、人の営みの場所の精密な実在感と省略部(余白)が象徴する大地の広がりが一体となって滑らかな世界空間を生みだしている。そんな風に感じるのである。

       
                      田渕俊夫《濃尾平野》 [6]

 そして、何よりも驚いたのは、《刻》という絵である。私の日本画のイメージの中に《刻》のような絵はなかった。画題にも驚いたが、その描法もまた私には未知のものである。
 《刻》と同じような描き方をする作品はいくつか展示されていたが、それらの作品と中国の「界画」との共通性を指摘して、味岡義人は次のように述べている。

 界画は、屋木画とか宮室画ともいわれる。中国絵画の技法の一つで、定規などを用いて、楼閣や橋梁などの構築物、舟や車などを精密に描く技法である。文献上では六朝に遡り、作品としては、五代の衛賢の《閘口盤車図巻》(上海博物館藏)が古い例であろう。また、唐の懿太子墓壁画(705年)もそうした古い例の一つといえる。界画は宋代に隆盛となった。
  ……(中略)……
 それらの〔田渕の界画的描法を用いた〕作品からは、卓越した技法のみならず、精緻で閑雅な趣きを感じ取ることが出来る。それは、他の風景画にも共通するところの田渕の歴史を見る、人の営みを讃える情感からにじみ出てくるものであり、袁江の「蓬莱仙島図」に見られる一つの理想郷を追求する姿勢とも通いあうものと思われる。 [8]

          
                         田渕俊夫《刻》 [7]

 その他に、壁1面を覆うような大作がいくつか展示されていて、その構成力と迫力に圧倒されるが、その中でひときわ目を引いた作品が、《緑溢れる頃》 である。画家本人が次のように述べている [9]。

「ここに描いた木は、代々木公園で見つけたもので、太い幹を無残に切り取られながら、なおも緑の葉を生い茂らせている姿に打たれました。」

 太い幹と枝が何カ所も無造作に切られ、いわば醜い姿をさらしていたはずの木である。残った細い枝を広げ、萌えだしたばかりのような小葉をたくさんつけている姿を、墨一色で雄大に描きあげていて、生命の逞しさ、人間の醜い行いを超克するような神々しさを具象化している、そんな絵である。

 しばらくは日本画に注目せざるをえなくなった、そんな展覧会であった。
 

[1] 田渕俊夫監修『いのちの煌めき 田渕俊夫展』(以下、図録)(中日新聞社、2012年)。
[2] 神谷浩「「流転」、「時刻」田渕俊夫の芸術世界」図録、p. 8。
[3] 同上、p. 8。
[4] 同上、p. 9。
[5] 田渕俊夫《灼熱の夢》(1970年、紙本着彩123.0×76.8cm、大川美術館蔵、取材地:ナイジェリア)、図録、p. 31。
[6] 田渕俊夫《濃尾平野》(1977年、紙本着彩65.0×90.0cm、メナード美術館蔵、取材地:岐阜・長良川河畔) 、図録、p. 47。
[7] 田渕俊夫《刻》(1989年、紙本着彩145.5×112.5cm、名古屋市蔵、取材地:名古屋) 、図録、p. 79。
[8] 味岡義人「田渕俊夫の絵画―中国我を通しての―」図録、p. 155。
[9] 田渕俊夫《緑溢れる頃》(2005年、紙本墨画、屏風(四曲一双)175.0×368.0cm、個人蔵、取材地:東京・代々木公園) 、図録、pp. 128-129。


『初期伊万里展 ~日本磁器のはじまり~』 戸栗美術館

2012年06月19日 | 展覧会

 伊万里焼であれ何焼であれ、日本の陶磁器の基本的な作品を常設展示している施設があって、1年に何回か(回数を区切ることはないけれど)気が向いたときに眺めに行けたら、豊かに気分になれるかも知れない。
 そういった意味で、『初期伊万里展』のような戸栗美術館所蔵品の企画展示は、大切な機会を提供してくれる。仙台からわざわざ出かけて来る身にしてみれば、「気が向いたとき」などと贅沢な気分はまったくないのだが。

 展示室に入って、まず目を引いたのは「染付 吹墨梅花紋」の皿である。美術館の所蔵品を収録した『初期伊万里』 [1] には含まれていないのが残念だが、初めて眼にした図案である。吹墨といえば、図版のような「白兎紋」や「白鷺紋」が代表的(少なくとも私はそのような図案で吹墨を知った)だと思うのだが、梅花紋に吹墨というのは、春霧に霞む庭園で梅が咲いているような、かなりリアルな想像力をかきたてる表象のようで、「じつにいいなぁ」と思ったのである。私の「いいなぁ」は器として使ってみたいということなのだが、初期伊万里では到底不可能で、明治以降の写しでも探すしか手はないのである。 

        
        「染付 吹墨白兎紋 皿 (伊万里、江戸時代(17世紀前期) 口径21.0 cm)[2]

 「山水紋」の器もたくさん展示されていたが、もっともシンプルな下の図版の鉢に惹かれた。岩山に陋屋、遠くに小舟、さらに遠くに山並みが描かれている。中心の空白が抜群である。背後に岩山を背負う村、その前に広がる大河(または湖)、遙か遠くの山脈。この広大さは、もうすでに世界そのもののようだ。中心の空白がかきたてる想像世界は広大無辺なのである。 

        
          「染付 山水紋 鉢(伊万里、江戸時代(17世紀前期) 口径47.1 cm)[3]

 展示品の中では、この山水紋の鉢の絵がもっとも素朴でシンプルである。その他は、絵が上手になり、加えられるものが多くなり、立派な風景画(山水画)となっているが、世界は風景に切りとられた部分に縮小しているように思う。素晴らしい描画技術が世界を描きうるわけではない、ということか。

 菊花紋もよくある図案だが、下の左図に良く似た皿の展示があって、「後年、菊花紋は16弁に図案化されるが、初期では16弁よりも多く描かれている」旨の作品説明があった。確かに、尾形光琳の完全にデザイン化された菊花は16弁である。私は琳派の絵は好きだが、光琳のデザイン化された菊花、特に別誂えで作っておいてペタペタと貼ったような菊花だけはどうしても受け付けないのである(さすがに酒井抱一も鈴木其一も16弁菊は引き継がなかったように思うのだが)。

        
        「染付 吹墨白兎紋 皿 (伊万里、江戸時代(17世紀前期) 口径左20.7cm、右cm)[4]

  自然の菊花の弁数に近いほどいいなどとはけっして思わないが、上の左図くらいの弁数が落ち着いていて、いいように感じる。右の器はたくさん描こうとして何となくバランスを失しているように思う。弁数を多く、かつ美しく表現するには平板化せずに、花弁を重ねるしかないのではないか、自然の八重咲きの花が全てそうであるように。

 いや、いずれにしても、気分の安らぐ時間ではあった。

[1] 後藤恒夫、下条啓一、戸栗美術館監修『初期伊万里 ―蔵品選集―』(戸栗美術館、1997年)。
[2] 同上、p. 17。
[3] 同上、p. 10。
[4] 同上、p. 26。