かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(10)

2024年12月11日 | 脱原発

2016513

 この頃、めっきり読書量が減った。読書の時間が少なくなったことと、読みたい本がなかなか見つからないのである。読むべき本はたくさんあるが、読む気になれる本が少なくなった。興味や関心を維持する気力が減退したのだろう。
 「日本会議」が出版社に出版停止を求めたということもあって、入手困難だと話題になっている菅野完さんの『日本会議の研究』という本も、刊行二日後にはきちんと手元に届いた。さっそく読み始めたが、15ページくらいで止まってしまった。面白くないわけではない。なぜ、日本会議のもろもろの事情を読まねばならないのか、腹が立ってしまったのだ。敵の本質を知ることは政治的闘いには重要であり、この本が批判的に書かれているとは分かっていながらも、心底から軽蔑している人間たちの行いを詳らかに読むのはなんとも気が進まないのだった。私が政治家にも運動家にもまったく不向きな理由だ。
 読書に費やする時間が減ったこともある。早朝3時半から4時くらいに目覚めて、それから6時くらいまで本を読み、6時から7時くらいまではイオという犬と散歩するのが習いだった。ところが、イオも年老いて足が弱り、近所をゆっくりと歩くだけになった。4050分ほどかかるが、私の歩数は1000歩程度で終わってしまう。イオの調子次第では500歩という時もある。イオには散歩であっても、もはや私には朝の散歩とは言い難い。
 そこで、朝5時にイオとの散歩に出て、次いで7時くらいまで私一人で歩くことにした。急ぎ足での散歩は1時間強で8000歩ほどになる。相棒がいない無聊さを償おうとカメラをぶら下げていくが、写したいと思う被写体はほとんどない。いや、被写体を発見する能力がないのだ。
 そんなことで朝の読書時間が減った。減ったどころか、ゆっくりと読めないと思うと、本を開くことさえまれになったのだ。ほかの時間帯を読書に使えばよさそうなものだが、そちらはそちらで習いとしてやるべきことがあるのだ。

人生に宿題が多すぎて
読むべき本としんぶんとてがみと
うたふべきうた きくべきうたが多すぎて
まるで 生きてゐるひまがない

     吉原幸子「無意味なルフラン」部分 [1]

 若いころ、こんなことを気取って言える人生を夢見ていたが、このフレーズが似合わない方へ私の人生はどんどん傾いでいくようだ。
 本が読めていないなあ、という実感にさいなまれているものの、数日前に2冊の本をあっという間に読み終えた。2時間近く仙台市図書館を徘徊しても読みたい本が見つからず、これでいいかと手にした本が上原善広著『日本の路地を旅する』だった。同じ著者の『異貌の人びと』が並んでいたのでそれも借り出した。表紙に「中上健次は、/そこを「路地」と呼んだ/「路地」とは/被差別部落のことである」とあった。「中上健次」の名前と「被差別部落」という言葉が借り出した最大の理由である。
 自らも関西の被差別部落の出身である著者が日本中の被差別部落を訪ね歩いたルポが『日本の路地を旅する』で、世界のさまざまな被差別民を訪ねたルポが『異貌の人びと』である。著者の心情と差別され続ける人々の複雑な感情が織りなす物語といえるようなルポルタージュだ。著者の恋愛や幼年期、家族との複雑な感情の交流まで内包する良質のエッセイ、小説といってもよいような作品である。二日で二冊、あっという間に読み終えた(他のことどもを投げうって)。
 私たちの社会に深く根差している差別。貧しい農漁村への差別としてあった原発建設。琉球の民族差別を押し隠して進められてきた沖縄の軍事基地化、新たに壮大な経済差別を生み出し続ける新自由主義なグローバル政治、その末端としての自公政権が課している民主主義を要求する日本国民への政治差別。極右政権を後ろ盾としてマイノリティへ言葉の猛威を振るうヘイト集団。
 差別を克服し、否定しようと意思表示をする人びとを社会的に孤立させ、差別することによって成立しているようなこの国の政治システムに思いが及ぶのも、脱原発デモの効能の一つかもしれない。

[1] 『吉原幸子全詩 II』(思潮社、1981年) p. 113

 


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