《2016年7月22日》
デモの列に前後して写真を撮りながら、一枚の写真を思い浮かべていた。ジル・キャロンの《サン=ジャック通りで舗石を投げる人、1968年5月6日》 [1] と題する写真である。
6月の末に東京都美術館で開かれている『ポンピドゥー・センター傑作展』で見た一枚だ。その美術展では、1906年から1977年まで1年に1作品だけを当てて選んだ作品が展示されていて、その写真はタイトル通り1968年の作品として展示されていた。
1968年のカルチェ・ラタンの一シーンで、砕いた敷石を投げる一人の青年の後ろ姿が写っている。空中に浮かぶように写しとられた石礫の先に壁のように並ぶ黒ずくめの警官が立っている。弾圧する国家権力への激しくも切ない一投の瞬間である。
機動隊に押しつぶされ、暴力をもって排除されている沖縄・高江の人びとの一投はいったい何だろうと考えてみる。言葉だろうか、眼差しだろうか。あるいは生身の身体そのものだろうか。
才能があれば、その場でこのような一枚を撮ってみたい。ジル・キャロンの写真を見た一瞬、そんなことを思ったのだが、いったい石を投げる人間になりたいのか、それを写しとる人間になりたいのか、この年になるまで分かっていないことに気づくばかりだった。
デモはいつものようにとても元気に進み、青葉通りに入る。国道4号の大通りを越えれば、もう解散地点である。沖縄・高江の映像がもたらす感情をうまく処理しきれないままに歩いていたが、コールをあげていると少しは気分が和らぐのだった。
どのような組織、セクトにも属していない私は、いつでもただの一人としてデモに参加している。そんな私でも、この社会で生きていくからには多くの組織、集団に帰属することになる。かといって、けっして私が帰属するものを無条件に愛するなどということはない。おそらくは、私はもともと帰属意識が希薄なのである。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
寺山修司 [2]
若いころからしばしば寺山修司のこの歌を思い浮かべて、「愛するに足る祖国であるか」、「愛するに足る〇〇であるか」という設問を立てていた。日本で生まれたという単純な事実のみで無媒介に祖国愛とか愛国心に突き進む心性がいかに歴史を誤ったかはあまりにも明白なので、寺山修司のこの歌でみずからが帰属するものから少し身を引き、踏みとどまるのはけっして悪いことではないと思ってきた。
しかし、日本の政治権力が警察という国家暴力装置を駆使して沖縄の辺野古や高江で行っている大衆意思の圧殺の時代を生きていると、寺山の歌をさらに突き詰めて考えざるを得ないだろう。
こんな歌がある。
初夏愕然として心にはわが祖國すでに無し。このおびただしき蛾
塚本邦雄 [3]
[1] 『ポンピドゥー・センター傑作展 ―ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで―』(朝日新聞社、2016年)p. 163。
[2] 寺山修司短歌集(鵜沢梢選)『万華鏡』(北星堂書店 2008年) p. 72。
[3] 『現代歌人文庫 塚本邦雄歌集』(国文社 1988年)p.45。
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