かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(32)

2024年12月03日 | 脱原発

2026年3月4日

寒椿怠らざりし日も昏るる 石田波郷 [1]

 暖冬に戸惑っていたらしい庭の椿も藪椿を中心にポツポツと花の数が増えだした。「今生は病む生なりき烏頭」[2] と詠った波郷は、今日という日を愛おしみ、今、この時間を惜しみ、怠らないように必死に生きたにちがいない。なにしろ、「雪はしずかにゆたかにはやし屍室」[3] と詠まざるをえない日々を送っていたのだから。
 さて、たくさんの時間が残されているわけではない私はというと、今日の「怠り」の言い訳のように、のっそりと家を出て県庁前に向かうのである。
 今日の正午近く、安倍政権が辺野古新基地建設の代執行訴訟について福岡高裁那覇支部の工事中止を含む和解案を受け入れるというニュースが流れた。和解案には、沖縄を含めオールジャパンで最善の解決策を合意して米国に協力を求めるべきこととか、延々と裁判が続けば国が勝ち続ける保証はなく、むしろ知事の広範な裁量が認められて国は敗訴するリスクは高い、などの内容が含まれていた。沖縄県は和解案受け入れをすでに表明しており、和解案に不満を漏らしていた政府がようやく受け入れを表明した形だ。
 金デモの常連の一人が3月1日から辺野古に入っていて、フェイスブックで現地の様子が次々に届いている。政府の和解案受け入れのニュースを聞いて、辺野古ゲート前で座り込みの人たちが全員でカチャーシーを踊る様子が動画で届いた。少なくとも半年程度は工事が中止されるだろうから、ひとまずは喜んでいいのだ。警察と海上保安庁という二つの国家暴力装置を前面に押し出して権力の意図を通そうとした政権の目論見が頓挫した意味は決して小さくない。
 安倍政権の思惑は、参議院選挙や沖縄県議会選挙で辺野古新基地問題を争点から外して有利に選挙戦を進めようということだろうし、話し合いが不調に終わり再び訴訟合戦となっても行政の一機関に堕したような最高裁では最終的には勝てると踏んでいるにちがいない。砂川判決のように「統治行為論」で国家統治に関わる政治性の高い行為は裁判所の審査権の外にあるなどとして政府勝訴の判決が出る可能性に期待しているだろう。
 しかし、最高裁判決が出るまではそれなりの時間がかかるのだから、それを、安倍自公政権を替えてしまうために私たちに与えられた時間と考えることができる。
 辺野古ほど大きな運動ではないが、政治権力に向き合う市民という意味で、もう一つ注目すべきニュースがあった。《保育園落ちた日本死ね!!!》と題した次のような内容のブログ(一部抜粋)がネットで話題になっていた。

何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。
どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。

 民主党の議員がそれを国会で取り上げたら、「安倍晋三首相は「匿名である以上、実際に本当であるかどうかを、私は確かめようがない」と答弁。議員席からは「誰が(ブログを)書いたんだよ」「(質問者は)ちゃんと(書いた)本人を出せ」とやじが飛んだ」という。明らかに国民の生活にとって深刻な問題にもかかわらず、そんな反応しかできない政治家の愚劣さはいかんともしがたいが、それは先刻承知のことで、腹は立つがそんなに驚かない。
 ニュースのツボは、腐った問題意識しか持たない政治家の言葉に怒った人たちが、「#保育園落ちたの 私だ!」というプラカードを持ってすかさず国会前に集まって抗議したという点にある(#のついたハッシュタグは、ツイッターで検索するためのキーワードを意味していて、ネット上で話題になっていることを示している)。
 報道写真では、本当に若いお母さんとお父さんたちが3、40人ほど集まって抗議している。時代は本当に変わったのだと実感できる光景だ。組織化されていない普通の市民が、自分自身のことを政治イッシューとしてとらえてただちに行動を起こしているのである。
 もはや、右翼vs左翼だとか国家権力vs反政府勢力などという図式ではない。「政府vs市民」なのである。日本人のマジョリティは政治に関心がない、選挙にもいかないと言われている一方で、普通のその辺にいるなんでもない市民が政治イッシューの前面に立っているのだ。
 けっして「怠り」のエクスキューズではない(と本人は思っている)デモも終わった。忙しくしているつもりだが、何ごとかを為したという実感の裏打ちがない。もしかしたら、ただただ人生にうろたえているだけかもしれない。

椿その紅蓮なすもの身に受けてうろたえおりし去年(こぞ)の春はも
                   福島泰樹 [4]

[1] 『石田波郷読本(『俳句』別冊)』(角川学芸出版 平成16年)p. 154。
[2] 『石田波郷句集 初蝶』(ふらんす堂 2001年)p.72。
[3] 『石田波郷句集 初蝶』(ふらんす堂 2001年)p.50。
[4] 福島泰樹「歌集 月光」『福島泰樹全歌集 第1巻』(河出書房新社 1999年)p. 268。

 

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