「The Life Eater」は、かけがえのない支援をくれた人への尽きない感謝と、同時に個人的な備忘録として意味をもたせながら書いている。
備忘録として書いているのは、あの日、心の底に刻み込まれた恐怖感と喪失感、そして「顔を上げて生きていかなきゃ」、という気持ちにしてもらえた瞬間を忘れないようにしたいから。このあたりの目的は、ほぼ書き残すことができたように思う。
あとは、切れ切れの苦労話を笑いながら語ることぐらいかな(笑)。
時は3月の下旬ころ、まだ仄暗い早朝の5時。
その日、僕は本を二冊持って車に乗った。
目的はガソリンの供給。
持った本はいわゆる大衆歴史(娯楽)小説。斬った貼ったの八百八町カキーンカキーンってやつ。
狙っていたGS(ガソリンスタンド)は国道沿いのわりと小さいところ。
ここは細々とながらも毎日ガソリンを販売してくれるようになってきていた。
だから毎日クルマが行列をなしている。販売が終わっていても、翌日の販売のため一晩中クルマが並んでいる。
来る日も来る日も、ガソリンが供給され始めているGSでは延延とクルマが並んでいた。
キチガイじみている・・・。
僕だけじゃない、きっとだれもがそう思っているはずだ。
震災からのち、ずっとこのような風景ばっかり。
でも行列に並ばなければいつまで待ってても燃料は手に入らない。
じゃあ朝早く並べばなんとかなるのだろうか。
そういうわけで、比較的GSに近い路地に行列の最後尾を見つけ、クルマを詰めた。
アイドリングするわけにいかないのでエンジンもストップ。
3月末の仙台。早朝なら氷点下も珍しくない。けれどヒーターも使えない。そもそもガソリンがなくて買いに来ているのだ。アイドリングもヒーターもますますクルマのガソリンを減らすだけ。
僕はブランケットを膝に掛け、BELAちゃんが用意してくれた水筒のお茶を一口だけ飲んだ。
GSでガソリンの販売開始は9時だという。それまで3時間以上ある。
そのあいだ、寒いクルマの中でひたすら耐えなければならない。トイレも行けない。
だからこういうときのために本を持ってきていたのだ。
大衆歴史(娯楽)小説にしたのも、自分が煮詰まってしまわないため。
これが本格歴史小説になると、周辺知識が必要だし、やたらと登場人物が多かったりする。
現代小説は、時代小説にくらべて極端に展開が早いか、または流れが薄いものもある。
娯楽性があって、お侍さんが腰に大小挿して歩いているくらいの時代が一番おもしろい。
さあ読んで時間に耐えるぞ。耐えてやる。
お話は、とある藩の藩主。しかも将軍のご落胤。
ご落胤とはいえ、どんな育ち方したものか、まったくの山童で、それゆえケンカと剣のウデはめっぽう立つ。
しかもモテる。モテるくせに少女のような女と淡雪のような純愛をダラダラとくりひろげる。
さらにさしたる理由もなく小心者の為政者と恐ろしい殺人集団を敵に回してしまう。
しかし、結局その破天荒なキャラでどんな局面でも圧し切っちゃう。
なるほど、「花の慶次」の原作者だけあって、痛快娯楽劇としてパネェっす。
ぐんぐん読んでいるうちに日はすっかり昇り、すこしだけ車内も温められてきた。
行列の前方が動いた。ほんのクルマ一台分だけど。
どうやらGSで販売が始まったようだ。僕もエンジンを廻しクルマを前進させる。そしてまたエンジンを切る。
また前方が動いた。僕も前進する。そしてまたエンジンを切る。
これをGSにたどり着くまでえんえんと繰り返すのだ。キチガイじみている。
おそらくバッテリーにものすごい負担がかかっていると思う。
こんなことを2時間も3時間もしているのだ。毎度毎度・・・。
ふと、GSのツナギを着た人が駆けてくるのが見えた。あれ、GSまで結構な距離のはずなんだけど・・・?
ツナギの人はクルマ一台一台に声を掛けている。ソレを聞いたクルマはなぜだかどこかへ走り去ってゆく。
ヤな予感がする・・・。ガソリンもう売り切れとか・・・?
「この道からは、列に入れませんよ! 列はずっとむこうから続いているんですからね!」
ツナギの人が僕のクルマに向かってどなった。
- うわ、最悪。 -
これは実際、理不尽な話だ。
もともとウチから出てすぐ近くにあるGSなのだ。普段なら、そのまま最短距離で国道に出てすぐに入れるGSなのに、震災からあとは、とにかく列の最後尾を捜して行儀良く並んでくれ、というのだ。
もちろん行儀良く並ぶことについて異論はない。
けれど道路なんて、はてしなく一本道なんてことはありえないわけで。枝道も多岐ある。そのどこかが正しい行列で、他の枝道はワリコミなんだと、誰に決めることができるというのか。
仕方がないから、一旦国道に出て、行列の全容を見ておく必要がある。そうして最後尾を捜すしかない。
あーあ、ガソリンもったいねぇやね。
ぐーんと国道をさかのぼって行列の最後尾を捜す。
そのうち、不思議なことに気がついた。
行列は4㌔も5㌔も連なっている。その道沿いには複数のGSがあって、正直どこのGSがお目当てで並んでいるのか見分けがつかない。
仙台のガソリン不足は震災後の1ヶ月までがホントに深刻で、このころクルマの行列は日に日に長くなっていたのだ。
ほんと、キチガイじみている・・・。
適当に見当をつけた枝道に回りこんで並んでいたクルマの後ろへ並ぶ。またエンジンを切り、小説を読み始めた。
奔放かつ豪快な主人公は恐れを知らない。さすが「ご落胤」。その無敵の主人公の前に、恐ろしい殺人集団が取り囲むように立ちはだかった。どちらが仕掛ける?息詰まる瞬間・・・!
ふと前方のクルマが動いた。
なぜか列を飛び出して、その先へと向かう。まるで魚のウロコがはがれるように数台がそれに続いた。
なんだなんだ。
つられてクルマを前進させると、自分が並んでいた行列が途中で道を曲がり、さっき通り過ぎてきたGS(誰もいなかったけど?)のほうへ廻っている。げっ、1ブロック分カンケーない行列がトグロまいていただけかっ。
僕もウロコの1枚になって離脱。あわてて先を急ぐ。
ヤな予感がする。
お目当てのGSがある方向の道路が急に空きはじめた。まるで今まで行列があったのがウソみたい。
あれ、もうすぐGSについちゃうぞ。
そのとき、GSのツナギを着ている人が歩道に立っているのが見えた。
持っているダンボールに切れっぱしに何か書いてあった。
「ホ・ン・ジ・ツ・ウ・リ・キ・レ」
なーんーだーとーぉぉぉぉぉっ。
すんげー空しい気持ちでGSの前を通り過ぎた。
ほんと、キチガイじみている。
この日、それでも遠くのGSに粘り強く並んでやっと2000円分ガソリンをゲットできた。
もちろん、もって行った小説は2冊とも読破しましたとも。
いっぱい待たされたからねっ。
備忘録として書いているのは、あの日、心の底に刻み込まれた恐怖感と喪失感、そして「顔を上げて生きていかなきゃ」、という気持ちにしてもらえた瞬間を忘れないようにしたいから。このあたりの目的は、ほぼ書き残すことができたように思う。
あとは、切れ切れの苦労話を笑いながら語ることぐらいかな(笑)。
時は3月の下旬ころ、まだ仄暗い早朝の5時。
その日、僕は本を二冊持って車に乗った。
目的はガソリンの供給。
持った本はいわゆる大衆歴史(娯楽)小説。斬った貼ったの八百八町カキーンカキーンってやつ。
狙っていたGS(ガソリンスタンド)は国道沿いのわりと小さいところ。
ここは細々とながらも毎日ガソリンを販売してくれるようになってきていた。
だから毎日クルマが行列をなしている。販売が終わっていても、翌日の販売のため一晩中クルマが並んでいる。
来る日も来る日も、ガソリンが供給され始めているGSでは延延とクルマが並んでいた。
キチガイじみている・・・。
僕だけじゃない、きっとだれもがそう思っているはずだ。
震災からのち、ずっとこのような風景ばっかり。
でも行列に並ばなければいつまで待ってても燃料は手に入らない。
じゃあ朝早く並べばなんとかなるのだろうか。
そういうわけで、比較的GSに近い路地に行列の最後尾を見つけ、クルマを詰めた。
アイドリングするわけにいかないのでエンジンもストップ。
3月末の仙台。早朝なら氷点下も珍しくない。けれどヒーターも使えない。そもそもガソリンがなくて買いに来ているのだ。アイドリングもヒーターもますますクルマのガソリンを減らすだけ。
僕はブランケットを膝に掛け、BELAちゃんが用意してくれた水筒のお茶を一口だけ飲んだ。
GSでガソリンの販売開始は9時だという。それまで3時間以上ある。
そのあいだ、寒いクルマの中でひたすら耐えなければならない。トイレも行けない。
だからこういうときのために本を持ってきていたのだ。
大衆歴史(娯楽)小説にしたのも、自分が煮詰まってしまわないため。
これが本格歴史小説になると、周辺知識が必要だし、やたらと登場人物が多かったりする。
現代小説は、時代小説にくらべて極端に展開が早いか、または流れが薄いものもある。
娯楽性があって、お侍さんが腰に大小挿して歩いているくらいの時代が一番おもしろい。
さあ読んで時間に耐えるぞ。耐えてやる。
お話は、とある藩の藩主。しかも将軍のご落胤。
ご落胤とはいえ、どんな育ち方したものか、まったくの山童で、それゆえケンカと剣のウデはめっぽう立つ。
しかもモテる。モテるくせに少女のような女と淡雪のような純愛をダラダラとくりひろげる。
さらにさしたる理由もなく小心者の為政者と恐ろしい殺人集団を敵に回してしまう。
しかし、結局その破天荒なキャラでどんな局面でも圧し切っちゃう。
なるほど、「花の慶次」の原作者だけあって、痛快娯楽劇としてパネェっす。
ぐんぐん読んでいるうちに日はすっかり昇り、すこしだけ車内も温められてきた。
行列の前方が動いた。ほんのクルマ一台分だけど。
どうやらGSで販売が始まったようだ。僕もエンジンを廻しクルマを前進させる。そしてまたエンジンを切る。
また前方が動いた。僕も前進する。そしてまたエンジンを切る。
これをGSにたどり着くまでえんえんと繰り返すのだ。キチガイじみている。
おそらくバッテリーにものすごい負担がかかっていると思う。
こんなことを2時間も3時間もしているのだ。毎度毎度・・・。
ふと、GSのツナギを着た人が駆けてくるのが見えた。あれ、GSまで結構な距離のはずなんだけど・・・?
ツナギの人はクルマ一台一台に声を掛けている。ソレを聞いたクルマはなぜだかどこかへ走り去ってゆく。
ヤな予感がする・・・。ガソリンもう売り切れとか・・・?
「この道からは、列に入れませんよ! 列はずっとむこうから続いているんですからね!」
ツナギの人が僕のクルマに向かってどなった。
- うわ、最悪。 -
これは実際、理不尽な話だ。
もともとウチから出てすぐ近くにあるGSなのだ。普段なら、そのまま最短距離で国道に出てすぐに入れるGSなのに、震災からあとは、とにかく列の最後尾を捜して行儀良く並んでくれ、というのだ。
もちろん行儀良く並ぶことについて異論はない。
けれど道路なんて、はてしなく一本道なんてことはありえないわけで。枝道も多岐ある。そのどこかが正しい行列で、他の枝道はワリコミなんだと、誰に決めることができるというのか。
仕方がないから、一旦国道に出て、行列の全容を見ておく必要がある。そうして最後尾を捜すしかない。
あーあ、ガソリンもったいねぇやね。
ぐーんと国道をさかのぼって行列の最後尾を捜す。
そのうち、不思議なことに気がついた。
行列は4㌔も5㌔も連なっている。その道沿いには複数のGSがあって、正直どこのGSがお目当てで並んでいるのか見分けがつかない。
仙台のガソリン不足は震災後の1ヶ月までがホントに深刻で、このころクルマの行列は日に日に長くなっていたのだ。
ほんと、キチガイじみている・・・。
適当に見当をつけた枝道に回りこんで並んでいたクルマの後ろへ並ぶ。またエンジンを切り、小説を読み始めた。
奔放かつ豪快な主人公は恐れを知らない。さすが「ご落胤」。その無敵の主人公の前に、恐ろしい殺人集団が取り囲むように立ちはだかった。どちらが仕掛ける?息詰まる瞬間・・・!
ふと前方のクルマが動いた。
なぜか列を飛び出して、その先へと向かう。まるで魚のウロコがはがれるように数台がそれに続いた。
なんだなんだ。
つられてクルマを前進させると、自分が並んでいた行列が途中で道を曲がり、さっき通り過ぎてきたGS(誰もいなかったけど?)のほうへ廻っている。げっ、1ブロック分カンケーない行列がトグロまいていただけかっ。
僕もウロコの1枚になって離脱。あわてて先を急ぐ。
ヤな予感がする。
お目当てのGSがある方向の道路が急に空きはじめた。まるで今まで行列があったのがウソみたい。
あれ、もうすぐGSについちゃうぞ。
そのとき、GSのツナギを着ている人が歩道に立っているのが見えた。
持っているダンボールに切れっぱしに何か書いてあった。
「ホ・ン・ジ・ツ・ウ・リ・キ・レ」
なーんーだーとーぉぉぉぉぉっ。
すんげー空しい気持ちでGSの前を通り過ぎた。
ほんと、キチガイじみている。
この日、それでも遠くのGSに粘り強く並んでやっと2000円分ガソリンをゲットできた。
もちろん、もって行った小説は2冊とも読破しましたとも。
いっぱい待たされたからねっ。