「3.11東日本大震災」を考えるとき、忘れられない写真がある。
津波でできた、だだっぴろい荒地で、ひしゃげた幼稚園バスが泥に半分埋まっている。(だいたいどこの場所かは推測できました)
その傍らにしゃがむ母親らしき姿。横には父親らしき人も。
母親はぐにゃりとゆがんだ窓から手を入れている。
テロップによれば、泥に埋もれているわが子の髪をなでているのだという。
見た瞬間に息が詰まった。
抜けるような明るい青空。
まばらな松林からは早春の潮風が吹き寄せていることだろう。
けれどもそこは悲しみに満ちていた。
この写真には続きがある。
自衛隊に助け起こされてよろよろと立ち上がる母親の姿。
まるで小さな女の子のように顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
きっとあの子は泥の中。髪の毛だけが風にそよぐ。
どんな慰めも、どんな鎮魂も足りない。
けど、慰めも鎮魂もない世界は、もっと気が狂いそうになる。
やはり、そんなものが欲しいと思うときもあるのだ。
先月、皇族の方々が宮城県にも慰問にきてくださった。
なかでも天皇皇后両陛下がいらしたときには、なぜか空気感がちがった。
お二人で海岸に立ち、海に向かって黙礼をする。
その瞬間、人も海も山もみんな静止した。不思議な一瞬だった。
「天皇」と呼ばれる存在は、きっとこういうものなのだろう。
誰にも代わることが出来ない役割。最高位の「鎮魂者」。
「鎮魂」とともに思い出すのが「慰め」の力。
「慰め」とは今やあまり響きの良くない言葉になりつつあった。
少なくとも「震災」が起きるまでは、僕は好きではない言葉だった。
けれど、疲労した身体に甘味が良いのと同じで、疲弊した心に「慰め」は沁みる。
そのことを、僕は音楽で実感した。
民放で、はじめ遠慮がちに流れ出した音楽たち・・・。
きっとそれは、僕たちが日常の感覚を取り戻すのに大きな助けとなったのだ。
「3.11」の震災から、「芸能」を生業とする多くの人たちが自分の無力感に苛まれたという。
けれども、そこから軋むような心地で一歩を踏み出す人たちもいた。
その「芸能」は、少しずつ僕らの心に沁みて、甘味のようにとろけた。
それは「娯楽」や「チャリティ」である前に「慰め」であったからだ、と思う。
あらためて気が付いた。
「芸能」の本来は慰めであった。
それは生者のみならず「死者」にも届いていたのではないか。
たぶん、そうだ。
音楽も、詩も、演劇も、絵も、みんなみんな「慰め」から始まっている。
だからどうかアーティストのみなさん、絶望しないでほしい。
あなたの「芸能」がきっとだれかの心に沁みている。
そして「慰め」は「鎮魂」にもつながってゆく。
津波でできた、だだっぴろい荒地で、ひしゃげた幼稚園バスが泥に半分埋まっている。(だいたいどこの場所かは推測できました)
その傍らにしゃがむ母親らしき姿。横には父親らしき人も。
母親はぐにゃりとゆがんだ窓から手を入れている。
テロップによれば、泥に埋もれているわが子の髪をなでているのだという。
見た瞬間に息が詰まった。
抜けるような明るい青空。
まばらな松林からは早春の潮風が吹き寄せていることだろう。
けれどもそこは悲しみに満ちていた。
この写真には続きがある。
自衛隊に助け起こされてよろよろと立ち上がる母親の姿。
まるで小さな女の子のように顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。
きっとあの子は泥の中。髪の毛だけが風にそよぐ。
どんな慰めも、どんな鎮魂も足りない。
けど、慰めも鎮魂もない世界は、もっと気が狂いそうになる。
やはり、そんなものが欲しいと思うときもあるのだ。
先月、皇族の方々が宮城県にも慰問にきてくださった。
なかでも天皇皇后両陛下がいらしたときには、なぜか空気感がちがった。
お二人で海岸に立ち、海に向かって黙礼をする。
その瞬間、人も海も山もみんな静止した。不思議な一瞬だった。
「天皇」と呼ばれる存在は、きっとこういうものなのだろう。
誰にも代わることが出来ない役割。最高位の「鎮魂者」。
「鎮魂」とともに思い出すのが「慰め」の力。
「慰め」とは今やあまり響きの良くない言葉になりつつあった。
少なくとも「震災」が起きるまでは、僕は好きではない言葉だった。
けれど、疲労した身体に甘味が良いのと同じで、疲弊した心に「慰め」は沁みる。
そのことを、僕は音楽で実感した。
民放で、はじめ遠慮がちに流れ出した音楽たち・・・。
きっとそれは、僕たちが日常の感覚を取り戻すのに大きな助けとなったのだ。
「3.11」の震災から、「芸能」を生業とする多くの人たちが自分の無力感に苛まれたという。
けれども、そこから軋むような心地で一歩を踏み出す人たちもいた。
その「芸能」は、少しずつ僕らの心に沁みて、甘味のようにとろけた。
それは「娯楽」や「チャリティ」である前に「慰め」であったからだ、と思う。
あらためて気が付いた。
「芸能」の本来は慰めであった。
それは生者のみならず「死者」にも届いていたのではないか。
たぶん、そうだ。
音楽も、詩も、演劇も、絵も、みんなみんな「慰め」から始まっている。
だからどうかアーティストのみなさん、絶望しないでほしい。
あなたの「芸能」がきっとだれかの心に沁みている。
そして「慰め」は「鎮魂」にもつながってゆく。