放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

<花巻界隈(風鈴)紀行6>

2014年09月07日 02時13分37秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 翌朝、雨が強い。
 みんな朝風呂入りに行くという。
   
 自炊部?と訊くと、そうだという。
 昨日はみんな自炊部の廊下をあれこれ迷ったらしい。うまく辿れるかどうかわからないけど行くという。ちょっとした冒険かい?

 僕もタオルを出した。
 みんなで部屋を出る。小奇麗な廊下の突き当りを降りて、思いドアを開けるとそこにはしっとりとした木の床と、手すりと、すすけた天井があった。

 こりゃ、いいね。
 木造独特の香り。年季を帯びた、味わい深い琥珀色フィトン・チット。ここが自炊部だ。
 床板はまるで羊羹のようにつややかに光る。各部屋を仕切っているのは障子戸。跚も引き手もすっかり古びて角もまるくなっている。
 スリッパで歩くのはなんだかもったいない気がする。できれば裸足で歩きたい。
 廊下を突き当たると次の廊下が繋がっている。人ひとり通れる位の幅だったり、階段になっていたり、なんだか面白い。
 なるほど、これは冒険だね。
 昨日は迷ったというが、実は楽しかったんじゃないかしら?

 途中、BELAちゃんは女湯へ。僕らは突き当りの混浴露天風呂をめざす。
 
 最後の階段を降りるとそこがもう風呂だった。ここはよく雑誌に載る風呂なのでどこかで見たことあるかもしれない。

 すぐ裸になって、掛け湯をする。
 それから露天風呂へ身を沈めた。

 雨が降っている。
 そのせいだろうか、湯がややぬるい。
 せっかくだから雨のなかへ泳ぐように出た。
 背中や肩に冷やっとする水滴がおそいかかる。
 それでも朝の空気はさわやかで、立ちのぼる湯気が山へと吸い上げられてゆく。暖気と寒気が入り混じりながら身体にまとわりついた。そして身体の細胞がつぎつぎと目覚めてゆく。アルコールの抜けもいい。そんなに飲みすぎなかったということだろうか(飲みすぎで入浴するとたいてい吐きます)。さすが銀河高原ビール、抜け際もさわやか(あくまで個人の感想です)。 

 ふと外を見ると、すこし高い橋の上を渡る人が見えた。川むこうの菊水館へ行くのだろう。あれ、こっち丸見えじゃん。
 いまさら気が付くのも間抜けな話だが、なるほど、昔ながらの混浴露天風呂だ。配慮もへったくれもない。
 こっちが裸でじゃぶじゃぶやっている向こうで、宿泊客が知ったことかい、と橋をすたすた渡ってゆく。すごい開放的。
 
 すこし気だるくなってきたので風呂から上がった。
 なぜか僕達親子だけ、だぁれもいなくなってしまった。雨だしね。
 ちょっと又三郎の気分。

 浴衣をはおり、再び自炊部の廊下をぎしぎし歩く。
 まだ寝ている人もいるのだろう、障子の前にスリッパがそろえてある。これそろえるのは自炊部の夜警さんだそうで。こまこまめな仕事をなさいますね。頭が下がる。

 廊下が枝分かれしている。左は菊水館へ行けるらしい。ちょっと左へ行ってみる。つきあたりで下りれるようになっていてドアがある。ノブをまわして開くともう屋外だった。目の前に木の曲がり橋がかかっている。ははぁ、さっき露天風呂で見上げた橋はコレか。菊水館まで行ってみたかったが、雨がひどくて断念。
 このあたりの景色はきっと賢治さんの頃とちっとも変わらないのではないだろうか。雨の橋も風情があっていい。

 ふたたびメインの廊下にもどる。
 おお、食堂かな。メニューが貼ってある。いいなぁ。右手は売店か。なんか木造の廊下で見る商品ってみんなレトロに見える。茶の間もある。じーさんが一人新聞を読んでいた。じーさん似合いすぎる・・・。
 一人旅なら自炊部もいいかもしれない。「障子一枚へだててお隣さん」って環境に慣れればね。

 またせまい階段を下りて山水閣へ。
 ロビーにあがりひろいソファーでBELAちゃんを待つ。
 なんか、さっきまでの自炊部とえらい雰囲気が違う。こっちはふかふかの絨毯。おしゃれなLEDの照明。
 しばらくしてBELAちゃんも戻ってきた。彼女はやっぱり温泉のはしごをしたらしい。心臓丈夫だねぇ。
 
 部屋に戻り、服に着替える。いよいよ朝食だ。
 朝食はバイキングだった。
 こういうところのバイキングって、ついいろいろ目移りしてしまう。
 お皿にいっぱいいっぱい盛り付けて席へ座る。
 ご飯の他にわんこそば食べたり、パン食べたり、もうメチャクチャ。でも牛乳おいしー。
 昨日の仲居さんがお給仕の合間にあいさつしていった。ありがとう。

 食べ終わってから、売店へ行ってみた。
 あ、昨日の吟醸アイスが売っている。
 あ、漬物おいしそー。お土産にいいな。
 あ、南部鉄器・・・。
 魅惑の黒鉄(くろがね)色。重厚かつ端正。急須やカップもある。そして風鈴も。

 盛岡や水沢の駅に降りたことのある人なら知っていると思うが、南部風鈴をずらっと並べて一斉に風になびかせている。
 一つでもキンキンと冷たい音をだすのに、それが十も二十も集まるとそこら一帯の気温がすぅっと下がる気すらおぼえる。
 岩手の夏の風物詩といってもいいかもしれない。
 この季節、南部風鈴をみると、またアレを聴きにいきたいなと思ってしまう。

 ふと次男が店の一角でなにかをじいっと見つめている。
 ーどした?ー
 「んー?」
 子供が見ていたのは細長い文鎮。
 なんだオマエしぶいナ・・・と言おうとしてよく見るとそれはSL機関車に客車を連ねた軽便鉄道だった。
 サイズはNゲージよりやや小さいくらい。
 なるほど、南部鉄で銀河鉄道・・・。岩手の思い出としてはぴったりだね。でもシブいな。 
 「ボクのお小遣いで買えるかな。」
 -わかった。すこし手伝ってあげよう。ー
 
 南部鉄の文鎮(銀河鉄道)を買うにあたり、僕も思いきって風鈴を選んだ。 
 なるべく音の澄んだやつを選んだ。
 風鈴の専門店にいけば、もっといろいろあったかもしれない。けれど観光客の目にとまるところにある風鈴は、どれも高価だ。 
 けっきょく、多少値が張ったとしても自分が気に入った音色を探せば、それで「まぁ悪くない買い物をした」と思うよりほかはないのだ。

 9時過ぎにお宿をチェックアウト。
 すてきなお宿でした。また来たい。

 今日も雨降り。 
 いよいよ遠野をめざす。
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<花巻界隈(風鈴)紀行5>

2014年09月07日 02時13分05秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 大沢温泉「山水閣」に到着。チェックインが遅れたので駐車場はいちばん端っこになってしまった。

 大沢温泉は、そんなにお宿の数があるわけではない。手前にある志戸平温泉の奥座敷的なところといえばいいか。それでも寂びれた感じがしないのは、ここが歴史あるホンモノの湯治場であること。それから宮沢賢治のおかげというのもあるかもしれない。
 ここは賢治がよく気に入って訪れたところ。とくに自炊部と川向いの菊水館は古い木造建築そのまま。賢治が見た当時の景色を見れるというのだから、一度は訪れてみたいと思う人は多いのだろう。

 僕らは湯治未経験者なので新館(山水閣)のほうへ泊まる。もちろん自炊部のお風呂も利用できる。
 お部屋へ通されて、すぐに中居さんがご挨拶に来た。話しやすそうな人だった。
 
 ひと風呂浴びて(身体がほぐれるくらい気持ちいいお湯だった!)、すこししてから料理が運ばれてきた。
 お飲み物は?と訊かれて、やっぱり「銀河高原ビール」を頼んだ。瓶入りの銀河高原ビール。これは貴重! 通販でしか手に入らないんだよなぁ。
 
 銀河高原ビールのいいところは「お米」「大豆」を使っていないこと。 
 小麦、ホップ、水、それだけ。「ヴィルヘルム4th=ドイツ純粋令」を遵守しているのだとか。それでこそブラウ・マイスター!
 甘みがあるけどベタベタしていない。飲んで出る汗もベタベタしない。国産ビールの面白くないところをすっかり払拭してくれる。いいなぁ、こんな素敵なビールがあるなんて、岩手県はいいなぁ。

 瓶を空けたあと、こっそり缶の方も開けて飲んだ。
 んー、やっぱり瓶のほうが余計な匂いが付いていなくてよかったな。缶は少し金属臭くなる。ドライビールなら気にもならないところだけど、銀河高原ビールのように贅沢なものを飲むと、いろいろ気になってしまう。

 さて、食後にデザートが付く。大吟醸のアイス。青ばた茶豆のアイスとともに追加注文して食べた。これ、お土産にほしいぃぃぃ、ってダメだ。溶けちゃう。

 みんなはこの後、自炊部のお風呂を探検に行った。
 僕は少しウトウトさせてもらった。幸せぇ-。
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<花巻界隈(風鈴)紀行4>

2014年09月07日 02時12分16秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 宮沢賢治記念館を出て再び市街地へ向かう。
 ここからちょっと食い気へ走る。目指すのは「マルカン百貨店」。
 ウラ道へ廻り、専用駐車場へ車を停める。そこから小さな路地を突っ切って百貨店へ入る。

 うわぁ・・・。
 なんというか、これまた年季の入ったクラシカルな百貨店ですこと・・・。
 
 今の時代、こういう地方ならではのクラシカルな百貨店(都市開発を無用とする在り方)は、貴重なのを通り越して、ご利益さえ感じてしまう。こういうところを嗅ぎあてるBELAちゃんの感覚って、すごい・・・。

 で、そのBELAちゃんのお目当ては、レストランで食べられるソフトクリーム。
 このレストランもまた、なんとも年季のはいった・・・。
 なんとなく壁紙にも油がしみこんでいるような・・・。でもここだけ若い人が多い!!ここにだけ集中しているとも言えるかな。
 4時半という時間帯を考えると、この客の入りはかなり不思議。しかもラーメンとかガッツリ食べているし。
 ソフトクリームを食べている人も多い。これがただのソフトクリームではない。めちゃめちゃ高さのあるソフトだ。みんなこれを箸でつまんで食べている。
 ・・・ははあ、なかなか他所では見ない光景ですな。

 しばらくしてこちらにもソフトクリームが来た。
 あらためて見ると高いなぁ。コーンはふつうだけど、上に乗っかっている部分だけで20cm近い。これ・・・コーンに乗っけたひとスゴいな・・・。バランス崩さずに持ってきた人もすごいけどね。あんまり高いから、スタンドつきだった(笑)。
 実は僕だけ頼まなかった。誰かがギブアップしたときに備えて。お腹も空いていなかったし。っていうか、みんな別バラ? さっき山猫軒でひっつみうどんとか食べていなかったっけ? しかも余裕で平らげているし。
(後日BELAちゃん曰く「また行きたい」とのこと。別バラ、恐れ入りました)
 
 さあ、すこし急ごう。この時点で5時過ぎ。今日のお宿は大沢温泉。ここから結構距離がある。
 マルカンデパートを出て、県道12号線を目指す。また雨が降ってきた。

 ここからは結構苦労させられた。県道12号線は得体のしれない道だった。
 土地勘のないところでは道路表示や案内板が目印となる。けれど、どの方角でも「12」マークがある。あれ、あれ、あれれ、とどんどん遠くへと導かれてしまう。
 僕の印象では、この県道12号線は地図に描いてあるようなわかりやすい一本道ではなかった。混乱した頭ではまるで県道が数条にわかれて存在し、どの県道を選択すればよいのか惑わせているように感じられたのだ(この時に僕の方向感覚はずいぶん乱されたようで、遠野でも大いに迷うことになる)。

 混乱の極みは、欠端(かけはた)付近の道路標示。どの方角の道にも「12」のマークが付されている。これ、どこ行けばいいのかわからん。
 どうにか「花巻南IC」ポイントを越えてから、やっと県道12号線は一本道だと思えるようになってきた。この時点で6時を廻っている。ずいぶん遅くなっちゃった。BELAちゃんがお宿へ遅れる旨を連絡してくれた。

 道は素直に西へ向かっている。だんだん山地が近くなってきた。花巻温泉との分岐路のコンビニでトイレ休憩。

 軽くお菓子でも買おうかと店内をぶらぶらしていたら、なにやら見慣れないものがお酒のコーナーに・・・。

 こ、これはもしかして・・・!
 え、なになに?
 ほら、これこれ。
 わ、「銀河高原ビール」!

 しかも一缶240円。地元の人は「?}かもしれないが、仙台ではかつて一缶450円くらいで販売していた。声のトーンが「ふなっしーレベル」になるくらいすごいものを発見した心持ちである。これ買いでしょっ、当然。ってか買って。お願い!! クーラーボックスに入れて行こう!

 道にまよったけど、しっかり得るべきものを得た気分で山道を進む。やがて大沢温泉「山水館」が見えてきた。
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<花巻界隈(風鈴)紀行3>

2014年09月07日 02時11分41秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 童話村を出て、こんどは宮沢賢治記念館へと向かう。
 雨がまた降り始めていた。駐車場も混んでいる。
 駐車場の奥には「山猫軒」がある。いかにもという名前だがご安心を。捕って喰ったりはしません。
 時間は午後の2時半。遅いけどすこし食べていきますか。

 ここのお店は以前訪れた時にはいっぱいで入れなかった。お昼ピークをすぎていたのが幸いしたかも。20年越しでやっと入れた。

 めいめい食事をすまして、賢治記念館へと向かう。けっこう遅い時間になりつつあった。
 ここで僕はわがまま言って別行動取らせてもらうことにした。

 近くに「花巻新渡戸記念館」がある。
 僕は新渡戸稲造博士を「武士道」の著者としてしか知らない。
 博士のご先祖・新渡戸一族の功績を紹介している記念館があるというので見てみたいと思った。
 
 丘を下り、少しちいさな路地を抜けると、林に囲まれた静かなところに記念館はあった。もともと新渡戸氏の居館があったという。林の奥には氏神様もそのまま残っていた。

 新渡戸氏は、鎌倉期からの武功もある一方で、時代の権力者とも上手く渡り合い続いてきた名家である。
 本貫地は「下総国新渡戸駅」と言われているが、現在ではどこなのか判らなくなってしまった。次の本貫地として判っているのがここ、花巻の高松ということなんだろう。
 新渡戸氏はこのあと十和田の方へ移り、幕末にかけて開拓事業に貢献する。

 記念館では、歴代の新渡戸氏の書や武具を多く展示。ジオラマを使い、土木・治水事業へも造形の深かった一族の技量を紹介していた。
 ひとつ知りかったことは、新渡戸氏の武技がどのようなものであったか、ということ。
 古くから東北に伝わる古流や南部藩の御留流「諸賞(掌)流」について知りたかった。
 残念ながら、「新陰流の目録」などの全国的なものしか書かれているものはなかった。あれこれ見るうちに時間切れ。残念。
 しかし、風のきもちいい、いい場所だったな。

 再び丘の上の宮沢賢治記念館を目指す。
 もう4時。また雨が強くなってきた。閉館間際でエントランスにすべり込む。
 エントランスには賢治の描いた絵(「日輪と山」拡大版)がお出迎え。この絵、好きです。
 館内では賢治のセロが展示されている。これも20年ぶりのご対面だ。
 館内からは胡四王山(なんか高麗人が入植したような地名)の豊かな自然が堪能できる。途中、デッキがあって、そこから沢のほうへ降りられる。降りてゆけば「イーハトーブ館」の方へ続いているのではないだろうか。しかし雨がすごい。ちょっとデッキに出る勇気はなかった。

 一旦展示室を出て、ロビーでみんなと合流。さあ、今日のお宿へ行こうか。
 なんか、雨ばっかりで残念だけど、これはこれで思い出深い旅かもね。暑さもやわらいでありがたいし。
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<花巻界隈(風鈴)紀行2>

2014年09月07日 02時11分00秒 | Weblog
 花巻市街地に入った。雨は降ったり止んだりを繰り返す。
 時間は12:30頃だっただろうか。いい時間すぎてなかなかお店に入れない。
 すこしお腹がすいてきた。こりゃあいつものパターンかも。

 いつも家族で移動する時って、必ずお昼ごはんで苦労する。
 車だから駐車場のないお店には入れない。〇〇ビルの△階なんてのはちょと無理。
 一方、いい時間(お昼時)ともなれば、駐車場だって満車のところが多い。逆にお昼時に駐車場のすいているお店では、なんだか心配になる。
 結局、車を流しながら入りやすそうな店を物色することになり、駐車場の空き具合、建物の雰囲気などをあれころ見て迷っているうちにみんな後方へと過ぎ去ってゆく。
 知らない町だと必ずこういうことになる。

 国道4号線バイパスから旧道へとそれて花巻市街地を北上する。もうお昼はあきらめていた。
 天気はなんだかはっきりしない。夏とは思えないくらいに涼しい。
 北上川も増水している。これじゃどこがイギリス海岸なのかサッパリわからない。
 
 あれこれ迷って、やっと宮沢賢治童話村へ到着。
 ちょうど雨も一段落。銀河ステーション(白鳥の停車駅?)を想像させるエントランスに向かった。
 風通りのよい天井を見上げると、なるほど、ちょっと旅人の気分になれる。

 言い方は悪いが、ここは特になにか特別なものがあるわけではない。賢治の遺品もないし、彼がここを訪れたというエピソードがあるわけでもない。あるのは豊かな森と小川、そして賢治のキーワードを散りばめた散歩道と、博物学的な好奇心を誘う標本たち。そして感覚を刺激する小さな体験型ミュージアム。
 
 これが子どもたちには思いのほかウケが良かった。
 不思議なくらい透明な空をちいさくちいさく凝縮したツユクサのレンズ。それを集めて小川は冷たく透き通って川床の石にふしぎな虹をかける。その虹はたちまち空へと上がって水蒸気となり、森に清らかな潤いを降らせている。
 森ではカッコウがまるで誰かを呼ぶように高く鳴き、見上げているとふいに頬のあたりをスズメバチがかすめてゆく。
 木の階段をのぼれば、少し湿気を含んだデッキが広く張り出していて、眼下にはポラーノの広場が横たわっている。
 あちらから電動トレインがのんのんと走ってきた。帰りはあれに乗ろう。
 
 デッキに並ぶ木造りの建物たち(賢治の教室)は、木材のエーテルを充満させて来訪者の気持ちを惑い、琥珀のなかの標本が本当は生きているかのように見せたり、部屋の中を小鳥の声でいっぱいにしてみたり、不思議な不思議なギラギラ光る模型を銀河のように見せたりするのだ。

 ここには遊具らしいものはないし、絶叫マシンもB級グルメもない。それなのに、人はなぜここに集まってくるのだろう。なぜ子どもたちはこんなに喜んでいるのだろう。

 遠くからきいんと鳴る音で我に返る。
 なんだろう、きれいだな。
 高く澄んだ音。そのまま成層圏まで届きそうなくらいまっすぐ響く。

 また鳴った。風鈴だ。

 売店の奥で風鈴が掛けてあった。風鈴だけではない。卓上鈴もある。
 重量感のある黒鉄色(くろがねいろ)。南部鉄器だ。
 緑青をまぶして着色してるのもある。
 いかにも重そうな(実際ずっしりと重い)鉄器なのに、こんなに澄み切った高い音を出すのは不思議でならない。
 
 ここで何か鉄器を買おうかと思ったが、少し待つことにした。何を?って、いい音色の鉄器に出会えることを。
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<花巻界隈(風鈴)紀行1>

2014年09月07日 02時09分03秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 平成26年8月の9~11日の期間で岩手県花巻市や遠野市を旅した。
 花巻や遠野といえば、「イーハトーブ」や「遠野物語」といったキーワードがすぐに浮かんでくるだろう。確かにそういったキーワードにどっぷりつかった旅だった。
 そこで、今回の紀行文では二部構成としてみたい。第一部の<花巻界隈(風鈴)紀行>は時系列に沿った紀行文。そして第二部の<花巻界隈(幻想)紀行>は旅の余韻そのものを書いてみたい。

 そもそも花巻へ行くのは1994年以来、実に20年ぶりだった・・・!
 あの時は、宮澤賢治(1896-1933)の生誕100年が目前、という時期で、これを逃したらもうゆっくりと花巻を訪れることはできないのではないかと思い実行した旅だった。そぉかぁ、もう20年か。そうだよな、僕らも結婚20年だもんな。

 今回も旅の計画は例によってBELAちゃん。
 女の子は旅の計画を考える(空想する)と、もう既に旅の喜びが始まっているらしい。
 男はその点ダメで、実際にそこへ行かないと旅の喜びというものは味わえない。
 BELAちゃんがガイドブックを広げながら楽しそうに話す計画を聞いていて、彼女の翼のような想像力がうらやましかった。
 けれど計画の喜びに浸る一方で、どうしてもあきらめなければならなかった場所がいくつも出てきた。
 まず沿岸部を訪れるという計画は、ほぼすべてボツになった。
 理由は、花巻ー遠野にほとんどの時間を費やすことが予想された旅なので、宮古や釜石には寄れないだろうということ。
 いっそのこと花巻ー遠野と切り離した旅行を考えないととてもムリだろう。

 同じ理由で、平泉も盛岡も八幡平もボツ。
 さらに一関の猊鼻渓も厳美渓もボツ。代わりに「ドラゴンレール」と呼ばれる一関ー気仙沼線に乗って厳美渓を覗くことにした。

    
 当日、朝早く出かけた。今回のツールは自動車。
 比較的時間の融通が利く一方で、疲れても眠くても誰も助けてくれない。

 天気はあいにく曇りから雨。まあ、暑いよりはいいか。
 東北道にあがり、宮城県から越境してゆく。
 岩手県に入ってから、北上江釣子ICで高速を下りた。
 
 ここには鬼剣舞(おにけんばい)の伝承保存館がある。「鬼の館」という。
 「剣舞」とは文字通り刀を使った勇壮な踊りで、今は念仏踊りの形態をとる。おそらくその根っこの部分に早池峰神楽などの影響があるように思われる。
 いずれも豊作や厄払いを願う祭りである。舞い手はみなオニの面をかぶり、扇や剣で格調高く、ときに激しく踊る。
 オニの面はツノがない場合が多い。悪いオニではない、オニの顔は仏や明王の憤怒相だからである。
 
 鬼剣舞は「賢治」つながりなのだが、ここはあらゆる剣舞の歴史や経緯が説明されており、フォルクローロ(民俗学)の資料として興味深い。けど、それだけではなく、世界各地から蒐集されたオニの面が展示されており、次男坊も飽きることなく見てくれるかなぁ、と期待していた。思いのほか面白がってくれたので少し安心。

 北上市ではメンチカツが有名、とガイドブックに書いてあったので、近くのコンビニで訊いて見ると、「さぁ・・・」の一声。えぇぇ、なんだ話が違うぞ。
 北上展勝地のほうかなと思ったが、それらしい情報もない。
 あとでインターネット検索したら、「メンチカツ」ではなく「コロッケ」でした。頼むよぉぉガイドブック!!!
 観光協会では「コロッケマップ」なるものまでサイトに掲示してあった。「鬼の館」付近にもいくつかお店があったらしい。残念・・・。

 最後まで北上グルメとの縁にありつけぬまま、4号線を北上。花巻市へと入る。20年ぶりー!
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