放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

<花巻界隈(風鈴)紀行16>

2014年09月28日 23時25分53秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
 千厩(せんまや)めざして大船渡線(通称「ドラゴンレール」)出発。二両編成のディーゼル車輌だ。
 街をぬけ、山をかすめ、やがて川と並走するようになる。砂鉄川だ。そのまんま砂鉄が取れたのだろう。そしてその向こうには鉱山がそびている。いまでも露天掘りで掘削している現役の鉱山だ。この山をぐるりっと廻りこむようにして反対側にでるとそこが千厩町だ。
 え、そのまえに猊鼻渓はどうしたって? さあ・・・。

 さあ、というか、ドラゴンレールで猊鼻渓が見られると思ったのだが、どこなのか、こっちが訊きたい。
 ドラゴンレールは実は気仙沼街道からわざわざそれるようにして砂鉄川を溯上する。それは砂鉄川が山を削って作ったという景観「猊鼻渓」へ客を運ぶためである。
 確かに猊鼻渓駅はあった。けれどそこから山陰に川は隠れてしまい、どこが渓谷だかわからない。
 猊鼻渓見れると思ってせっかく乗ったのに・・・。
 結局、ドラゴンレールで面白かったのは鉱山の巨大な掘削現場を見れたことだけか・・・。

 千厩駅に到着。
 がらんとした駅。「銀河鉄道の夜」のプリオシン海岸へと下りる停車場がこんな感じではないか。
 レールをまたいで向こう側にいくと小さな駅舎がある。
 中はがらんとした待合室。ずらり椅子が並んでいたが誰もいない。大きく開け放たれた出口から熱風だけが入ってくる。その向こうで陽に灼けたアスファルトがへんに白く光っていた。
 とりあえず地域の情報・・・と思ったが待合室には何もない。観光地の案内ばかり。窓ガラスに一関市と気仙沼市をくっつけた図案のポスターがある。このあたりは県をまたいで交流があるのだ。

 暑さを覚悟して炎天下の案内板まで行く。セミの合唱が雨のようにふりかかる。
 タクシーの運転手がいぶかしげにこちらを見ている。明らかにヨソモノをみる目だ。
 
 「千厩」と書いて「せんまや」と読む。奥州藤原氏の時代から川に沿って千の厩(うまや)が立ち並んでいたという。文字通りこのあたりで大規模な馬の取り引きが行われていたのだ。おそらく岩手の鉄の文化は馬の生産地であることと無縁ではない。
 川や山から採れる鉄は馬具になる。川のそばでは鍛冶屋も軒を並べていたであろう。奥州に強大な武力がある、と思わせるに足るだけの馬と鉄が平泉のすぐそばにあったのだ。
 
 とりあえず千厩川に沿って歩こう。制限時間は次の上り列車がくるまで。
 このあたりの建物もけっこう古い。木組みに漆喰を塗っている。白いのもあれば空色の漆喰もある。高度成長期に取り残されそうになってそれでもハイカラに見せようとした当時の商店の苦労を垣間見る気がした。
 商店の窓ガラスには「創業○○年」という板が立ててある。みんなで一斉に用意したのだろう。古い商店は江戸期の年号。新しいのは平成期である。ゆっくり廻りたかったが交流施設「まちの駅JAJA馬プラザ」で引き返すことにした。
 このあたりが千厩のなかの千厩。つまり中心部である。このあたりには資料館もあるし私設の美術館もある。本当にご縁があればゆっくり伺いたい。今日は時間制限がきびしい。
 かつてにぎわったであろう古い商店を見れただけで僕には満足だった。方向感覚も狂うこともなかったし、少し低めの軒に大沢温泉と同じフィトンチットを感じた。ような気がした。

 またしばらく歩いて千厩駅に戻った。
 待合室でさっき「JAJA馬プラザ」で買ったもちを広げる。
 さっきよりも人が集まっている。みんな一関行きのディーゼル車に乗るのだろうか。
 
 ふと頭上でちりり、と音がした。
 見上げると風鈴。格子型にびっしりと風鈴が釣り下がっている。それぞれ垂れ帯に子供の字で標語のようなものが書いてある。震災のことを書いているものもあった。
 風があったらさぞかし綺麗な音を立てていたことだろう。
 座ったまま手を伸ばす。垂れ帯に指があたり、ちろちろと風鈴が鳴り出す。
 最後でやっと出会えた。駅の風鈴。南部鉄の透きとおった音色。夏にこれ聴かなきゃ岩手に来た甲斐がない。

 あいにくもう行かなきゃならない。
 みんななんとなく腰を上げたり時計を見たりしている。僕らも食べた容器を始末して席を立った。
 
 ぞろぞろとみんなでレールをまたいでゆく。レールの向こうにかすかに萌える陽炎。さわったら熱いんだろうな。
 やがて、遠くからディーゼルのかわいい二両編成がやってきた。

コメント
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