いわゆる「モリヌークス問題」は、デュドロ「盲人書簡」のなかで取り上げられている。
― あるところに開眼手術に成功した人(成人)がいた。彼(彼女)は生まれつきの全盲であり、生まれてからこれまでに一切の視覚経験をしてこなかった。開眼手術の成功は、つまり視界を妨げるものの除去に成功したといってよい。さて、この人は、球体(ボール?)と三角錐とを見せられて、それに触ることなく、どちらが球体で、どちらが三角錐であるかを正しく言えるだろうか。その時、この人の物の見え方は、視覚経験を積んできた同年齢の人と同じものなのだろうか。
これが「モリヌークスの問題(又は質問)」と呼ばれるものである。
「盲人書簡」は僕も苦労して読んだが、やっぱり難解すぎた。哲学書なんかまともに読んだことないもん。
いわゆる「認識に関する哲学」なのだが、おもしろいのは、「自分とは条件の違うひとと、はたして同じ認識を共有できるのか?」という問いかけがあったこと。
生まれつき全く目の見えない人が、ある日手術に成功して視界をさえぎるものが取り除けたとして、その時、球体と三角錐とを、触ることなく区別することができるのか?
そのときの認識は健眼者と同じなのか?
哲学書はここで質問そのものが成立するか否かで終始するのだが、僕らの疑問はそこではない。
「モリヌークス問題」は発育の重要性を訴えているように思えてならない。
つまりは、生まれてからの発育に、障碍があると重大な結果が残るというものだ。
肢体不自由、内臓疾患、セロトニン受容器障害、そして眼疾患も。
壺井榮「大根の葉」は、単に「そこひ」を題材とするだけではなく、健康な発達を願う人の情を織り交ぜることでリアリズムを持たせている。
健康な発達を願う母の気持ちを子が察するところからお話は始まり、孫の健康な発達を願う祖父母の気遣い。さらに健康な発達を願う地域の人々。
家族の気遣い合う暖かさを瑞々しく描きつつも、それを取り巻く祖父母との考え方のズレも多次元的に取り入れている。そしてそれが、本当にリアルに読む人の心を締めつける。
いろいろなことを思い出して、思い出して、思い出して・・・。
そして、最後に大事なことも思い出した。僕らもまだ道半ばなのだ。せめて子どもたちが運転免許を取れるくらいまで、がんばらなきゃ。
健ちゃんとお母さんがみた観音山も、僕が仙台の病棟でみたクリスマスツリーも同じ。
次の季節がきっといい季節であるように、願う、子と親のいる風景なのだ。
― あるところに開眼手術に成功した人(成人)がいた。彼(彼女)は生まれつきの全盲であり、生まれてからこれまでに一切の視覚経験をしてこなかった。開眼手術の成功は、つまり視界を妨げるものの除去に成功したといってよい。さて、この人は、球体(ボール?)と三角錐とを見せられて、それに触ることなく、どちらが球体で、どちらが三角錐であるかを正しく言えるだろうか。その時、この人の物の見え方は、視覚経験を積んできた同年齢の人と同じものなのだろうか。
これが「モリヌークスの問題(又は質問)」と呼ばれるものである。
「盲人書簡」は僕も苦労して読んだが、やっぱり難解すぎた。哲学書なんかまともに読んだことないもん。
いわゆる「認識に関する哲学」なのだが、おもしろいのは、「自分とは条件の違うひとと、はたして同じ認識を共有できるのか?」という問いかけがあったこと。
生まれつき全く目の見えない人が、ある日手術に成功して視界をさえぎるものが取り除けたとして、その時、球体と三角錐とを、触ることなく区別することができるのか?
そのときの認識は健眼者と同じなのか?
哲学書はここで質問そのものが成立するか否かで終始するのだが、僕らの疑問はそこではない。
「モリヌークス問題」は発育の重要性を訴えているように思えてならない。
つまりは、生まれてからの発育に、障碍があると重大な結果が残るというものだ。
肢体不自由、内臓疾患、セロトニン受容器障害、そして眼疾患も。
壺井榮「大根の葉」は、単に「そこひ」を題材とするだけではなく、健康な発達を願う人の情を織り交ぜることでリアリズムを持たせている。
健康な発達を願う母の気持ちを子が察するところからお話は始まり、孫の健康な発達を願う祖父母の気遣い。さらに健康な発達を願う地域の人々。
家族の気遣い合う暖かさを瑞々しく描きつつも、それを取り巻く祖父母との考え方のズレも多次元的に取り入れている。そしてそれが、本当にリアルに読む人の心を締めつける。
いろいろなことを思い出して、思い出して、思い出して・・・。
そして、最後に大事なことも思い出した。僕らもまだ道半ばなのだ。せめて子どもたちが運転免許を取れるくらいまで、がんばらなきゃ。
健ちゃんとお母さんがみた観音山も、僕が仙台の病棟でみたクリスマスツリーも同じ。
次の季節がきっといい季節であるように、願う、子と親のいる風景なのだ。
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