月照寺の山門を出る。
もう随分と日が翳ってきていた。
やがて宍道湖の向こうに日が沈む。「神々の黄昏」が始まっていた。
北欧神話のラグナ・レクと違い、神々は滅びない。宇宙樹も枯れない。宍道湖の向こうに夕日が沈む。宍道湖の向こうには出雲大社。祀神は大国主命。根の堅州国(死者の国)の王でもある。その出雲大社に向かって夕日が神々しく沈んでゆくのである。日没と日の出を入滅と再生になぞらえるという意味ではラグナ・レクと根源は近しいものがあるかも。25年前の今ころ、僕たちは宍道湖の岸辺にいた。そこで4枚の写真を撮った。一枚目は二人で宍道湖に向かい座っているところを背後からタイマーセットして撮った。二枚目もほぼ同じポーズ。三枚目で振り返り、四枚目は誰もいない宍道湖を撮った。もう少し茜色であったならば、かなりいい感じの夕湘景だったと想う。
松江市内にはいくつか「神々の黄昏」を拝めるポイントというのがあって、今回狙っていたのが島根県立美術館の庭園だった。また時刻とポイントさえ合えば、JR山陰本線からも拝めるのではないか、などど考えていたが、現在居るところはそのどちらでもない。月照寺の山門だ。
どうやって戻ろう? ってかどっちに行くの?
いろいろ迷って、JR松江駅に戻ることにした。エキナカで和菓子も買いたいし、そもそも今日は夕方6時過ぎにはJR出雲市駅ちかくのお宿に入っていなければならない。
循環バスだと到着時間が読めないからやっぱりタクシーを呼ぶことにした。
ところが・・・。
なかなか来ない。そのうち循環バスが一本通過していった。なんかこういうのって妙にアセる。
どんどん日が翳ってきたぞ。そんなに日没早いの?
ってかもっと空が夕日の染まってもいいはず・・・、はず。
はず? あ、タクシーきた。
どうも空の様子がおかしい。
日が翳っているのは、曇ってきたんでないかい?
宍道湖を渡る橋の上から西の空を見る。雲多いな。お日様すっかり隠れている。
太陽の下半分が雲から覗いていて、まるで漏れているかのような日照がぼんやりと雲に滲んでいる。光が弱くて空がぜんぜん茜色に染まっていない。これはキビしいぞ。
松江駅に着くと、すぐにエキナカで松江の和菓子を爆買いしてJR山陰本線に飛び乗った。せめて移動しながら「神々の黄昏」を拝みたい。
25年前、僕たちは5時頃まで松江に居て、それから一畑電鉄で出雲に行った。一畑電鉄は宍道湖の北側を回るので当然夕日は拝めない。山陰本線ならば宍道湖の南側なので運が良ければ夕湘景が拝めるだろうか。
ところが、宍道湖がよく見える側の席には座れなかった。そんでもって意外と混んでいて、ゆっくり景色を拝める状況にない。折角在来線を選んだのに・・・。こんなことならもう少し松江にいて特急に乗ればよかった。
相変わらず雲が厚い。夕日はまるで雑炊に沈む玉子のよう。白身が邪魔で輪郭さえよくわからない。ほんの少しだけ夕日が湖面を照らしていたが、やけに遠く感じられた。
こりゃやられたね。まいったまいった。
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