昨日は何と果てしなく遠いところへ。
三木市から大阪の岸和田まで。
遠いぜー。1番遠いと感じる距離感。
日帰りができるギリギリのラインである。
そしてそこに何があるのか?
ドヨーン。
岸和田城である。
それだけが目当てじゃなく、
園芸関係の大型ホームセンター「国華園」がメインだった。
僕は体良く運転手をさせられ、長距離を走らされた。山陽自動車道から近畿道で松原、堺。そこから阪和道で海沿いまで出て、阪神高速湾岸線で貝塚へ。
ホームセンターはもう田舎の広いホームセンターとなんら変わらない。その後、ランチと観光を兼ねて岸和田に足を伸ばした。
堀はドヨーンと濁り、石垣は草刈りを怠って草が生えている。薄汚い亀の大群が休める場所がないから斜めの石垣の麓で10匹以上集まって甲羅干し。
気色悪っ!



そして城下町、だんじりのルートをぶらり。
すると味のある古い店構え。

ドーン
時雨餅
そして購入。
餅?
かるかん?
羊羹のようなシルエットでかるかんの肌触り。

口からポロポロこぼれる様が時雨の様だと名付けられたと。
どうやら元祖らしき口ぶりで「しぐれもち」の由来や他者の模倣品の愚痴などをひとしきり聞かされ、味のある婆ちゃんを後にした。
食べると素朴で不思議な食感。
ほのかな甘みとモチモチ食感。
不思議なお菓子。
江戸時代の人は喜んで食べたのだろうと想像した。
小さな街歩きもシャッターが多く降りていた。
どうやらNHK朝ドラ「カーネーション」のロケ地だった様で、コシノ洋裁店も残っていた。
尾野真千子の芸名も思い出せずネットで調べてやっと思い出した。
そのロケ地の狭い路地も店が立ち並ぶ訳でもなく、悲しく住宅街の様に静かなものだった。
出演者が懐かしの場所として訪れても悲しみしか感じないだろう。天下の朝ドラのロケ地は数年経つとこれほどの廃れようになるのだと、栄枯盛衰、諸行無常。
お寺の鐘が虚しく響いた。
どうやら議会選挙の投票日だったらしく、観光客の我々よりも投票に来た地元民を優先して駐車場に停めさせていた。
そんな地元愛が、衰退を招く悲しき現状を目の当たりにして、高速道路にのった。
残念だなぁ。
恐らくリピートもしない。
悲しいなぁ。
だんじり愛は祭の方向だけを向いている。
祭の時には人が集まり、観光客で埋め尽くされる。そして1年間の稼ぎをそこで潤すのは分かる。
しかしそれ以外の日々の悲しさ。
祭だけを愛して、城や町を愛していないのがよくわかる。愛せよ、地元!と叫んでみても、予算の壁が高くそびゆる。
誰も城の石垣の草払いはしないのだろう。シルバー人材が金を貰えば働くのだろう。
またひとり観光客は減っていく。
地方の悲しき無限ループ。
「祭があるからええやんけ」
どうぞそのままお祭り騒ぎでお過ごし下さい。
祭命で胡座をおかきください。
岸和田城二の丸は公園として地元のガキどもが楽しく遊んでいる。あのガキどもがまた神輿を担ぎ練り歩くのだろう。
その祭の日のためだけに働いて、祭の日のためにだけ生きるのだろう。
ご当地住民以外には到底計り知れない地元の遺伝子があるのだろう。
僕は黙って子供達に手を合わせた。
三木市から大阪の岸和田まで。
遠いぜー。1番遠いと感じる距離感。
日帰りができるギリギリのラインである。
そしてそこに何があるのか?

岸和田城である。
それだけが目当てじゃなく、
園芸関係の大型ホームセンター「国華園」がメインだった。
僕は体良く運転手をさせられ、長距離を走らされた。山陽自動車道から近畿道で松原、堺。そこから阪和道で海沿いまで出て、阪神高速湾岸線で貝塚へ。


気色悪っ!



そして城下町、だんじりのルートをぶらり。
すると味のある古い店構え。


時雨餅
そして購入。
餅?
かるかん?
羊羹のようなシルエットでかるかんの肌触り。


どうやら元祖らしき口ぶりで「しぐれもち」の由来や他者の模倣品の愚痴などをひとしきり聞かされ、味のある婆ちゃんを後にした。
食べると素朴で不思議な食感。
ほのかな甘みとモチモチ食感。
不思議なお菓子。
江戸時代の人は喜んで食べたのだろうと想像した。
小さな街歩きもシャッターが多く降りていた。
どうやらNHK朝ドラ「カーネーション」のロケ地だった様で、コシノ洋裁店も残っていた。
尾野真千子の芸名も思い出せずネットで調べてやっと思い出した。
そのロケ地の狭い路地も店が立ち並ぶ訳でもなく、悲しく住宅街の様に静かなものだった。
出演者が懐かしの場所として訪れても悲しみしか感じないだろう。天下の朝ドラのロケ地は数年経つとこれほどの廃れようになるのだと、栄枯盛衰、諸行無常。
お寺の鐘が虚しく響いた。
どうやら議会選挙の投票日だったらしく、観光客の我々よりも投票に来た地元民を優先して駐車場に停めさせていた。
そんな地元愛が、衰退を招く悲しき現状を目の当たりにして、高速道路にのった。
残念だなぁ。
恐らくリピートもしない。
悲しいなぁ。
だんじり愛は祭の方向だけを向いている。
祭の時には人が集まり、観光客で埋め尽くされる。そして1年間の稼ぎをそこで潤すのは分かる。
しかしそれ以外の日々の悲しさ。
祭だけを愛して、城や町を愛していないのがよくわかる。愛せよ、地元!と叫んでみても、予算の壁が高くそびゆる。
誰も城の石垣の草払いはしないのだろう。シルバー人材が金を貰えば働くのだろう。
またひとり観光客は減っていく。
地方の悲しき無限ループ。
「祭があるからええやんけ」
どうぞそのままお祭り騒ぎでお過ごし下さい。
祭命で胡座をおかきください。
岸和田城二の丸は公園として地元のガキどもが楽しく遊んでいる。あのガキどもがまた神輿を担ぎ練り歩くのだろう。
その祭の日のためだけに働いて、祭の日のためにだけ生きるのだろう。
ご当地住民以外には到底計り知れない地元の遺伝子があるのだろう。
僕は黙って子供達に手を合わせた。