ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

PAについて

2020-05-04 | 雑念
Facebookの週間レポートがiPhoneから通知される。

今週は◯%増えました。と教えてくれる。つまりFacebookよく見てますねーって。

ついつい見ちゃいますね。
でも僕は友人達の投稿はほとんど見ていなくて、見たい時に探しにいくイメージ

つまり設定でタイムラインには上がってこない。◯◯さんどうしてるかな?だから検索して投稿を見にいくって感じ

その方が見たい情報だけ見られるから

「見さされる」のがたまらなくイヤなのです。

だからテレビも同じ。
できるだけ観たい時に観たい番組を

だからYouTubeやAmazonプライム・ビデオなのだ。

でもたまに偶然目に入る(漏れてくる)投稿もあって、それは何か意味ある情報なのかな?と意味を考える様にしている。

そんな時に「プロジェクトアドベンチャー(以下PA)」という言葉が目に入ってきた。

あれだけハマっていたPAなのに、
「万能ではない」と現場での実感を言葉にしている自分に違和感もあった。

その大切な友人の投稿は「PAが自分のベースだ」というもの

その言葉を僕も改めて噛み締めた。

僕が今、仕事をしたり
遊んだりすること
人生のベースになっているものも
PAのチャレンジバイチョイスやフルバリュー(外部ページ)の考え方は根底にある。

でも僕は天邪鬼がこじれて、大切にしていたPAをも否定し始めている自分に気づいた。

これから何を信じて、何を大切に生きていけばいいのか?

こんな大切な宝物を、無意識にひとつの手法だと蔑んで(さげすんで)いた。

それは恐らく自分自身が世間に認められない腹いせに、自分以外に原因を求めて悪態をついていた。

誰がなんと言おうと僕は旅路の途中で出会ったPAに救われて、奇跡の衝撃を肌で感じた。

「こんな仕事がしたい」と本気で考えた。

その時の自分はPAオタクになりそうなほどなりふり構わずメモを取り、研究し、実践して、失敗を繰り返した。

そのやり方は僕にとっては新鮮であり、プライドもなにもなかった。

僕なりに本当にマニアックなPAファンだった。

僕は人生で初めて「学びたい」と思った瞬間だった。

その後はPAの素晴らしさを人に語った。
その楽しさを体全体で表現していた。

でも今は…

すっかりその情熱は息を潜めている。

PAを信じられなくなっている自分がいたのだ。

でも原因はPAにあるのではない。

単純に僕自身がもっと奥深くまで深入り出来ないという壁に当たって、諦めていただけだ。

「僕の限界はここだ」と自分で限界を決めてしまっていたのだ。

ここ5年くらいは足踏みをしている感覚。

もっと研究がしたい。

そしてもっと信じたい。

ひとりで研究するのは限界があることを実感した。

だからみんなオンラインしてるのかっ!

そんな簡単なことを気づかないなんて!

僕はもう一度PAを深めていきたい。

オンラインで対話しながら研究したい。

もし興味ある人は対話しませんか?

PA_Dialogs

目的:PAについてテーマを決めて対話をし、価値観の多様性を感じて自分自身の生き方・在り方を考える場所をCreateする。

興味ある方はオンラインダイアログ(通信対話)しませんか?

また学びなおしたいと心から思う。





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