縄文の世界に魅了されて
狩猟採集の民の循環型社会
エレルギーは等価交換である。
森から動植物を獲得すれば、
祈りや儀式で魂を返還する。
だから森や自然に感謝し、
自分自身を大自然の一部であると考える。
その後、タネを増殖させ
稲作などのエネルギーが等価交換ではなくなったことで
農業革命が起こり、
定住や牧畜により
エネルギーを作り出す力を得てしまった。
そこにリスクが生じ、
頭のいい未来を考える人々は宗教を生み出し
生きる指針を示した。
僕は現代のSDGsは狩猟採集民族の「等価交換」の考え方に
パラダイムシフトすることが大切なのではないかと思う。
どこかしらに「太陽エネルギー」や「風力発電」、
「昆虫食」などで1000年程度の人類の生き残りアイデアで乗り切るつもりだろうが
そもそも持続可能な思考回路ではない。
食い尽くすまでの時間稼ぎでしかない。
つまり「感謝」が本当の意味のそれではない。
大いなる力への心から畏敬の念は、そこにはないような気がする。
なぜなら科学が自分たちを危機から救うと考えているから。
そこに循環社会はない。
僕は縄文に関する書籍を少しずつ読み始めている。
もう少し勉強して循環社会やその精神性を学びたい。
そしてこれからの人類の話を美しい星空の下で
火を囲んで語り合いたい。
生きるとは何か?
死とは何か?
大いなる自然とは何か?
プール Pool
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