
すんごくいい空

豊かな実り
明日は、我が父親の三十三回忌の法要が予定されている。法要が近づいてくると、父親が亡くなる前後に起こった様々な出来事や、見送りに関わった人々の心模様が思い出されてくる。…それは、単純なものではなかった。
久し振りに喪服を準備する。見るからに『重苦しい鎧』だ。心まで重くなってしまう。
ああ、そうか。だから、昨日のような変な詩が浮かんできたんだ。ここ暫く、自分の中に、この行事を抱えながら過ごしていたことに気付き、納得してしまう。
その時、二十代で喪主を務めることになった。父が亡くなってから暫くは、それこそ無我夢中で法事を執り行ってきた。結構気を遣う大変な儀式だった。
私は、定期的に営まれる法要で、立場上あいさつをしなければならない。そのために、父親との思い出を振り返ってあいさつに盛り込む。それを繰り返していくうちに、不思議な感覚に包まれるようになってきた。
息子が小学生になった頃、私は、家族を連れて海や山に出掛けていくようになっていた。その頃行われた法事で、初めて分かったことがあった。父との思い出を辿っていくと、幼かったときの自分の記憶が、今、自分がやっていることと同じであることに気付いたのだ。
私は、父がやってきたことをなぞりながら、今を生きているのかもしれない。別の言い方をすれば、父は、私の中に生き続けているのだ。

これまで背中を追ってきた父 これからも一緒に過ごす父に感謝
それから、私と子どもたちとのつきあいにも、いろいろあった。これからもあるだろう。しかし、自分がそうだった頃の父の行動を思い出すと、「同じなんだ」と安心できるのだ。
父親のいないままここまで歩んできた自分。しかし、実は、父親の後ろ姿を見て歩んできた自分。いないけれど、確かにいる。不思議な一体感に支えられながらここまできた。
今回の法要は、特別である。亡くなったときの父の年齢を超えてしまった自分がここにいる。
もう、なぞってきた道はない。追いかける背中もない。しかし、私の中に父はいる。そして、いつまでも応援してくれるはずだ。

熟成が近づく季節
台風19号が来る前に、なんとか遊びに行きますよ。これも、父の教えかな?
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