平成31年2月28日に開催したえりも町郷土資料館講演会「1882年(明治15年)襟裳岬近くに難破したイギリス船」(講師:北海道博物館 山田伸一学芸主査)が、無事終了しました。
講演の内容は・・・
香港を出港したイギリス船籍メリータサム号は、1884年4月10日の朝、襟裳岬近くのテスケに座礁。乗客乗員約700名が幌泉村(現:えりも町)に約50日滞在した。乗客はアメリカ大陸の鉄道敷設工事に新天地を求めた清国人。ポートランドへ向かっていた矢先の遭難。
海岸線に道路もない時代。幌泉には電信線もない時代。住民はおにぎりなどを作り提供した。お腹を空かしていたのか魚の盗難もあった。昆布を干していた清国人もいた。
6月1日ようやく工務省の明治丸(灯台建設に従事していた)が幌泉に来航。遭難民を函館に移送した。
応急修理したメリータサム号は、曳航中、浸水し幌泉付近にて沈没。
メリータサム号は、香港~長崎~日本海~津軽海峡~襟裳岬沖~ポートランドの経路を予定していた。
海峡は海の境界、移動の通路、アジアと北米を結ぶ通路であることを認識、とのお話でした。
4月10日に発生した遭難、その日、英語を話せる函館の商人が滞在していた!
幌泉の警部は札幌に報告に出向き14日に到着し報告。翌日には職員を幌泉に派遣、18日到着!スピーディーだな~
幌泉の住民は700名もの遭難民を分宿させ世話をした。「御備官米」があったらこそできたこと。
でも、言葉が通じない遭難民へのお世話。厳しい自然の地域で、助け合い暮らしていたからこそできたのかな~と感じた。
中国(広東省開平県、新会県など)や北米大陸に、この遭難民の子孫がいるのだろう。幌泉住民の暖かさがつながっているのだろう。
「遠慮はいらないから~温まっていきなよ~」
山田学芸員ありがとうございました!
(中岡利泰)
講演の内容は・・・
香港を出港したイギリス船籍メリータサム号は、1884年4月10日の朝、襟裳岬近くのテスケに座礁。乗客乗員約700名が幌泉村(現:えりも町)に約50日滞在した。乗客はアメリカ大陸の鉄道敷設工事に新天地を求めた清国人。ポートランドへ向かっていた矢先の遭難。
海岸線に道路もない時代。幌泉には電信線もない時代。住民はおにぎりなどを作り提供した。お腹を空かしていたのか魚の盗難もあった。昆布を干していた清国人もいた。
6月1日ようやく工務省の明治丸(灯台建設に従事していた)が幌泉に来航。遭難民を函館に移送した。
応急修理したメリータサム号は、曳航中、浸水し幌泉付近にて沈没。
メリータサム号は、香港~長崎~日本海~津軽海峡~襟裳岬沖~ポートランドの経路を予定していた。
海峡は海の境界、移動の通路、アジアと北米を結ぶ通路であることを認識、とのお話でした。
4月10日に発生した遭難、その日、英語を話せる函館の商人が滞在していた!
幌泉の警部は札幌に報告に出向き14日に到着し報告。翌日には職員を幌泉に派遣、18日到着!スピーディーだな~
幌泉の住民は700名もの遭難民を分宿させ世話をした。「御備官米」があったらこそできたこと。
でも、言葉が通じない遭難民へのお世話。厳しい自然の地域で、助け合い暮らしていたからこそできたのかな~と感じた。
中国(広東省開平県、新会県など)や北米大陸に、この遭難民の子孫がいるのだろう。幌泉住民の暖かさがつながっているのだろう。
「遠慮はいらないから~温まっていきなよ~」
山田学芸員ありがとうございました!
(中岡利泰)
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