えりも町郷土資料館ほろいずみ水産の館のBlogです。

襟裳岬やえりもの様子や資料館ほろいずみの活動を紹介しています。

えりも町文化財保存活用地域計画 郷土食の試作会①

2023年12月13日 09時33分52秒 | えりも町文化財保存活用地域計画作成に取り組んでいます
2023年(令和5年)12月11日 
えりも町文化財保存活用地域計画策定協議会 食文化部会による郷土食の試作会を開催しました。
えりもの特徴は何といっても「昆布」です。試作メニューは「昆布のきんぴら」「昆布巻」「昆布チップス」そして、お正月のはれの料理「サケの飯寿司」を仕込みました。


「昆布巻」は圧力釜で柔らかく仕上げしました。



今は「昆布チップス」と呼びますが、かつては「昆布菓子」などと呼ばれていました。油で素揚げした後、今回は仕上げにグラニュー糖を使いましたが、昔は白砂糖を使うことが多かったようです。


「昆布のきんぴら」水で戻した昆布を細切りにし、ニンジン、ごぼうと炒め、味付けして完成。




「サケの飯寿司」の仕込み。ニンジン、大根、生しょうがは千切り、サケは短冊に切り、水で洗ってしっかりと血抜きをして水分を切ります。硬めに炊いたご飯と、麹、日本酒、みりん、ザラメ、塩を味付けに使います。野菜、調味料、サケ、野菜、調味料、サケ・・・という順にしっかり押して空気を抜きながら樽に詰めていきます。最後は、野菜で蓋をするようにし、重石が均等にかかるようさん蓋をして、袋の口を閉じます。

最初は2kgの重石、その後、徐々に重石を乗せ、最後には60~100kgも載せる家庭もあるようです。

飯寿司づくりは、各家庭で、それぞれの手法があり、野菜や調味料も異なっています。味も、サケの身のしまり具合(硬さ)も違い、家庭の味です。

麴菌の発酵力で飯寿司が作られます。お披露目は40日後になります。
最近、えりも町ではサケの漁獲が極端に少なく、サケの飯寿司がなかなか作れない、作っても少しだけという声も聞こえます。また、昔ながらの食文化、食習慣が少なくなり、飯寿司や漬物も自宅で漬けることも徐々に少なくなっています。


ご飯は、参加者のご協力ご提供で、昆布を入れてご飯を炊き、醤油バターで味付けした豆つぶ、ほっきのひも、そしてサケのほぐした身を加えた混ぜご飯を試作。襟裳岬産の岩のりの味噌汁、ヤナギダコの刺身、昆布と大根の酢の物もご提供いただきました。











えりも町文化財保存活用計画のワークショップ③

2023年10月18日 16時55分23秒 | えりも町文化財保存活用地域計画作成に取り組んでいます
令和5年(2023)10月28日 アイヌ文化部会ワークショップが開催されました。
福祉センターにて、えりも町のアイヌ文化や地名について説明を聞いた後、巡検に出かけました。

歌別川の河口から漁港へ向けて、この近くには以前「クッフルエ大明神」の石碑と社がありました。意味は、赤い崖。


東洋地区の「油駒チャシ跡遺跡」、北海道内には多くのチャシがありますが、ここは長方形で外に壕が掘られています。発掘調査がされていないので、チャシでない可能性もあるかもしれません。存命なら100歳を越える方が語った「子どもの頃、森の中を歩いていくと、そこだけ木がなく平らで、アイヌが動物の毛皮を干していた」の記録があります。

(立ち入りには許可を得ています)

東洋地区のヲショロスケ、ここには「いじわるじいさん」の伝説があります。
海の難所「襟裳岬」を避けるため、イタオマチップ(板つづり船)を、ここで陸揚げし、荷物もろとも西海岸のヲゴシ(小越:現襟裳岬地区)へ運んだことに由来する地名。


国名勝ピリカノカ襟裳岬ヲンネエンルム。アイヌ民族の聖地的な場所として指定された。北海道内に12か所あります。「ヲンネ」は、大老の、偉大なるという意味があり、それだけ素晴らしい岬ということでしょうか?

松浦武四郎は、「アイヌは神様のひげとしてここのコンブは採らない」と記録しています。

百人浜にある「一石一字塔」は、江戸時代の1806年に奉納されました。蝦夷三官寺の一つ様似町等澍院の住職が法要を執り行い、仏法の力を蝦夷地に知らしめた、なる旨の碑文が刻まれていますぅ。シトウの近くにあります。


「シトウ」はアイヌ語で「本当の沼」という意味です。しかし、昭和40年代の観光ブームの時に国鉄バスのバスガイド用に、えりも町史に記載されている伝説から創作された悲恋物語から「悲恋沼」と呼ばれるようになりました。松浦武四郎やその他の著述者、絵図にも「シトウ」と記載されています。
えりも町郷土資料館では「シトウ」と呼ぶよう奨励していきます。

福祉センターに戻り意見交換。今年、えりも町に引っ越しされてきたアイヌ民族の方はえりも町は素晴らし~~と、アイヌによって影響を受けた文化がえりもにはある!と述べられました。






えりも町文化財保存活用計画のワークショップ①

2023年10月18日 16時28分25秒 | えりも町文化財保存活用地域計画作成に取り組んでいます
令和5年(2023)9月30日に、文化財歴史部会のワークショップを開催しました。えりも高校生5名も参加、その一部を紹介します。

町福祉センターに集合後、東洋地区から襟裳岬へ

襟裳岬はアイヌの聖地として、国名勝ピリカノカ襟裳岬(オンネエンルム)に指定されています
先端では、豊國丸殉難者追悼碑を見学、昭和10年(1935)に襟裳岬で遭難し死亡した78人の追悼碑です。

庶野稲荷神社にも立ち寄りました。ここには新潟佐渡様式の狛犬があります。

最後は黄金道路入口で、その歴史について学び、廃道になった道やトンネルを確認しました。

協議では、知らない場所や歴史がたくさんあり、学ぶことができた。貴重な歴史を後世に残したい。ある高校生は「えりもの海はとてもきれいであり、この景観を今まで残してきたという行為を象徴するものなので、文化財と呼ぶに値すると思います」と感想を述べました。








襟裳岬の礫岩

2023年08月30日 16時38分48秒 | えりも町文化財保存活用地域計画作成に取り組んでいます
えりも町文化財保存活用地域計画に活かせるか?
襟裳岬の礫岩、約1400万年前、日高山脈が上昇して陸地になり、山脈を作り始めると、持ち上げられた山脈の岩石は削り落ち周囲の海に運び込まれ、礫岩となりました。
花崗岩と泥岩がくっついていいます。貝化石も含まれています!


火成岩の花崗岩、堆積岩の砂岩、泥岩がぐちゃぐちゃに混在しています。

花崗岩の巨大礫

この日は、えりもの地質の下見に来られたS氏にご教授いただきました。

福祉センターにて、えりも町内の写真を展示中です 

2023年08月16日 14時37分15秒 | えりも町文化財保存活用地域計画作成に取り組んでいます
えりも町の素敵なところといえば、どんなものを思い浮かべますか?

福祉センターロビーにて、えりも町の歴史文化、景観、自然、アイヌ文化、食文化に関する写真を展示しています。



えりも町では、町の大切な文化や文化財、自然や景観などを次世代に引き継ぐために、「文化財保存活用地域計画」の作成に取り組んでいます。

「文化財保存活用地域計画」の作成に向けて、えりも町の素敵なところを「えりも宝」と名付け、町の皆様を対象にどのような「えりも宝」があるかアンケート調査を実施します。
アンケート用紙は、福祉センターロビーの写真展示コーナーや町内の施設に設置する予定です。

写真をご覧になって、えりも町の素敵なところについて考えてみてください!
みなさまのご意見をお待ちしております!