えりも町にある石碑・石仏を紹介していきます。
寒さが本格化する前、気になっていながらも、足を運ぶことを怠っていたのですが、今日、ようやく確認することができました。
えりも町本町にある「法光寺」(佐野俊也住職)http://www4.plala.or.jp/hokoji/index2.htm
その境内にある「不動明王」えりも町指定文化財です。
花崗岩ですが、かなり劣化しており、左手に「ひび」が入っているのが気になっていました。
岩石用接着剤をひびの中に入れ、「なんとか落ちないでおくれ~」とお祈りしておきました。
この「不動明王」、実は江戸時代の廻船商人「高田屋嘉兵衛」由来のもの。
嘉兵衛は、文化九年(1812)に国後島でロシアに捕らわれ、カムチャッカ・ペトロパブロフスクへと連れられた。
嘉兵衛が、蝦夷地(国後島)に戻ってきたのが文化十年五月である。
この不動明王の碑文には「文化十年癸酉三月 施主 高田屋」とある。
嘉兵衛がロシアにいた時期「文化九年八月十三日~文化十年五月」。その時期、嘉兵衛の故郷淡路島では、嘉兵衛や水主たちの無事帰国を祈願する奉納などが行われていた。この不動明王が作られたのは、嘉兵衛がロシアにいる時期と重なり、幌泉(現:えりも町本町)においても、なにがしかの法要がおこなわれていた可能性がある。
なお、この不動明王は、もともと「法光寺」にあったものではなく、いつの頃か、町内に散在するものが持ち込まれたものの一つだそうだ。
(中岡利泰)
寒さが本格化する前、気になっていながらも、足を運ぶことを怠っていたのですが、今日、ようやく確認することができました。
えりも町本町にある「法光寺」(佐野俊也住職)http://www4.plala.or.jp/hokoji/index2.htm
その境内にある「不動明王」えりも町指定文化財です。
花崗岩ですが、かなり劣化しており、左手に「ひび」が入っているのが気になっていました。
岩石用接着剤をひびの中に入れ、「なんとか落ちないでおくれ~」とお祈りしておきました。
この「不動明王」、実は江戸時代の廻船商人「高田屋嘉兵衛」由来のもの。
嘉兵衛は、文化九年(1812)に国後島でロシアに捕らわれ、カムチャッカ・ペトロパブロフスクへと連れられた。
嘉兵衛が、蝦夷地(国後島)に戻ってきたのが文化十年五月である。
この不動明王の碑文には「文化十年癸酉三月 施主 高田屋」とある。
嘉兵衛がロシアにいた時期「文化九年八月十三日~文化十年五月」。その時期、嘉兵衛の故郷淡路島では、嘉兵衛や水主たちの無事帰国を祈願する奉納などが行われていた。この不動明王が作られたのは、嘉兵衛がロシアにいる時期と重なり、幌泉(現:えりも町本町)においても、なにがしかの法要がおこなわれていた可能性がある。
なお、この不動明王は、もともと「法光寺」にあったものではなく、いつの頃か、町内に散在するものが持ち込まれたものの一つだそうだ。
(中岡利泰)
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