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「散る桜 残る桜も散る桜」 世の無常をうたった良寛さんの句です。 私たちは、生まれ、生き、死んでいく。これは、悲しいことかもしれませんが、不幸なことではありません。当たり前のことです。 これを、仏教用語で、諦めるといいます。これは、ギブアップの意味ではなく、現実をあきらかに見るという意味です。 世の中のほとんどの方は、死ぬことは、不幸だと思っています。しかし、それは、現実をあきらかにみていないかもしれません。 もしかしたら、亡くなった方からみれば、私たち、生きている者こそ、不幸だな、かわいそうだなと思っているかもしれません。 誰も死んだ経験がないのに、死ぬのは不幸だ、だから死にたくないと思っているだけかもしれないのです。将来、どうなってしまうのだろうと、いろいろな不安を持ち、生きています。阿弥陀如来に救われた方には、死の不安はありません。病気の不安もありません。将来の不安もありません。
「人は、苦の数は数えるが、幸せの数は数えようとしない。」 という言葉があるそうですが、その通りだと思いました。現実をあきらかにみることが出来れば、今ある幸せがたくさんあります。生きているということ、お寺にお参り出来るということを、当たり前と思っていないでしょうか?仏様は、今、既にある幸せに気付いてくださいと願われているのです。状況は変わらないのに、考え方ひとつで、人生が幸せに見えたり、不幸にみえたりするものです。
本日の法話会 沢山のお参りありがとうございました。