11月に入りましたが、まだまだ穏やかな日です。昼間は、半袖でも過ごせるような陽気です。私たちは、この世に産まれた時、既に、前世の因縁によって、定命が決められているそうです。そのように、私は、教わりました。しかし、そう聞かされても、私は、長生きがしたいので、毎日、健康に良いとされているサプリを飲んだり、運動をしたりして、何とか、寿命を延ばそうとしております。それが、無駄なのかもしれませんが、長生きしたい欲のために、そうしております。私は、今まで、数多くの方の葬儀を勤めさせて頂きましたが、健康にまったく気を使わない方が長生きしたり、その逆もあり、人間には、定命があるのだということは、何となく納得せざるおえません。もし、そうでなければ、長生きする方もいれば、早死にする方がいる理由が分かりません。でも、それを、長生きする方が幸せで、早く亡くなった方は可哀そうだと思う、人間の心情は、間違っていると思います。早く亡くなった方を、可哀そうと思うかもしれませんが、それは、他人事ではありません。もしかしたら、自分が、過去世において、早死にしたかもしれません。そもそも、親鸞聖人が生きた鎌倉時代の平均寿命は20代だったと教わりました。今は、長生きすることが、当たり前になっており、私たちの考えるものさしがおかしいのではないかと思います。その時代に、親鸞聖人は、90歳という定命でした。大正時代までは、親鸞聖人は、架空の人物だったのではないかとの歴史学者がいらっしゃったと教わりました。無理はありません。90歳まで生きられるなんて、その時代、考えられなかったのかもしれません。親鸞聖人の生涯で、私は、いつも、凄いと思うのは、60歳を過ぎて、20年間住んだ茨城県より、京都にお帰りになられたことです。今なら、新幹線であっという間ですが、鎌倉時代です、もしかしたら、京都までたどりつけなかったかもしれません。そして、京都で、余生をゆっくり過ごしたのではなく、主著 教行信証の完成や、80歳を過ぎても尚、著作にはげまれ、今でいえば、生涯現役です。ご自身が、阿弥陀如来に出逢うことが出来た喜びを、後世の人々にお伝えするためです。親鸞聖人は、阿弥陀如来の化身であったのだと思います。京都の西本願寺のご本尊は、親鸞聖人のお木造です。もともと、本願寺の起りは、親鸞聖人の墓所だったためだと教わりましたが、私は、親鸞聖人は、阿弥陀如来の化身であり、今も、仏様となって、人々を救い、生き続けていらっしゃると私は頂いております。
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