私の長女は、幼稚園の先生をしておりまして、長女の話す子供の話は、とても、勉強になります。特に、よく話すのは、子供は、今を生きているという話です。だから、昨日、友達と喧嘩をしても、次の日は、もう忘れていて、普通に仲良く遊びます。未来の心配もしていません。私も、幼稚園児の頃は、過去を悔やんだり、未来を心配していなかったと思います、もう、ぜんぶ、忘れてますが。それは、親に守られている安心感があるからだと思います。親は、子供を産んだから親になるのではなく、子供の事を一番に考えるはたらきを親というのです。虐待する方を親とは言いません。自分の事を最優先にする方も親ではありません。子供の為といいながら、子供を操り人形のように、自分の思い通りにしようとするのもどうかと思います。為という字は、偽という字に似ています。〇〇の為というのは、実は、自分の満足の為なのです。私は、もう子育てを終えてしまいましたが、多いに反省すべき点が多いです。親は、子供によって、親に育てられるのです。阿弥陀如来を古来より親様と言われます。私は、阿弥陀如来から産まれた訳ではありませんが、私の幸せを願い、私の事を第一に考え、はたらいてくださる仏さまです。
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