今年も残すところ10日ばかりになりました。どうやら、私の周りでは、住職は、山で転んで骨折したということになっているようです。確かに、先週、この時期、落ち葉で足を滑らせることが多いので気を付けてはいたのですが、下山途中に足を滑らせて、慌てて、木につかまってから、手首が痛いので、病院に行きましたら、レントゲンを撮り、骨は異常なし、湿布をされ、包帯をグルグル巻きにして下さいました。安静にしてくださいとは言われたものの、この時期は、お寺は超忙しいのです。お坊さんが忙しいのは良いことではないのですが、時期的に、仕方がありません。コロナ禍の時も、ちょっと、今日は、喉が痛くてとは言ったのですが、いつのまにか、住職、コロナ感染という話になっていました。悪い噂はすぐにひろまり、良い噂は、ひろまりません。どうも、私の思い違いかもしれませんが、他人がケガをしたという話をするときのお顔が、皆さん、少し嬉しそうなのは気のせいだろうか。
昔、「急に、親戚が来れなくなったので、法事をキャンセルしたい」という電話がありました。私は、最初、なんでなんだろうか?と疑問だったのですが、少し考えてみて、たぶん、法事を、親戚のてまえ仕方がなく勤めることにしたのだろうと思いました。コロナ禍の前までは、法事といえば、遠方でも親戚に声をかけるのが当たり前だったのが、今は、そうではなくなりました。コロナのお陰と言ってはいけません、コロナで亡くなった方もいらっしゃいますから、でも、コロナによって、法事の勤め方も葬儀の勤め方も大きく変わり、私は、良かったと思っています。コロナ禍の前までは、法事を勤めるのがとても大変だった、ハードルが高かったのです。上記のように、正直、今回の法事を勤めるのは気がすすまないが、親戚の手前、やらないわけにはいかないというお宅も多かったように思います。私の寺の地域のしきたりとして、もっと面倒でした、親戚は当たり前、血のつながりもない、隣近所の方にも法事のお声がけをしなければならず、私は、疑問でした。それは、たぶん、お互い様の思いだったと思います。しかも、見栄もあり、豪華な食事を用意しなければならず、わざわざ、遠方まで食事の為に行かなければならず、それは、一日がかりの大仕事です。終わったら、身も心もへとへとでした。しかし、今は、すっかり、その習慣も無くなり、本当に良かったと思います。葬儀も同じく、近親者だけでやる家族葬ばかりです。これが今の主流、私も、この流れに賛成です。法事も気軽に勤めてください。