さて、本来の旅行の話に戻ります。
阿蘇から戻り、年が明けて、知り合いの人が家を建て替える間、私に向いた本を100冊程預かった。又、小耳に挟んだ本のタイトルで、必要と思える物は探して購入した。
ノワタリさんと熊野に行く約束をしたが、「熊野に行くんだけど、はっきりしないのよ。一つは滝、一つは山、そして岩なんだけど何処なのかわからない。」と言われていた。(ずいぶん前なので、これも不確かだけど)
どのコースを歩こうかとか、宿は何処にとろうかと思案していたところ、参加者が一人増えたと連絡があった。
1月のある晩10時頃、その男性から電話を貰った。始は互いに「よろしく」とかの挨拶だったが、何故か、電話を切る頃には、互いに譲らず言い争いになった。何で揉めたかなと思い返しているうちに、思い出した...。(顔をあわしたことも無い人と喧嘩するのも、珍しいと人に言われた。私もそう思う。)
私の立てかけているプランは壊され、彼は自分の計画を強引に押し通した。なぜ、途中から割り込んできた彼に振り回されないといけないのか?苦労して前日から夜行バスに乗り電車を乗り継いで、松阪迄行って合流するはずなのに、現地集合とは...行ける筈がない。「それも判らないのか、大バカ野郎!」と思ったが、ぐっと堪えて、それは口にしなかった。後で、彼に聞いたら、向こうもイラついて、
を投げたそうだ。お互い様
結局、電話を置いた途端、腹立しさが収まらず、眠気は吹っ飛び、イライラしてもう寝るという事はできなくなっていた。仕方なく、預かった本でも読もうと1冊の本を取った。
「万世一系の原理と般若心経の謎」霞ヶ関書房 浜本末造著であった。
偶然にも、この中に熊野大社の奥宮と言われる玉置神社の事が書いてあった。
天啓で書かれたような不思議な内容で、ぐいぐいと引き込まれた。
これはと思い、ノワタリさんにメールを送った。夜中の2時になっていた。
「ネコちゃん、これです。その神社に行きます。」との連絡が来た。瓢箪から駒とはこの事だろう。でも、言い争いがなければ、これって見つからなかったのだろうか?
この玉置神社には、それから毎年のように、お参りに行く事になる。
その前に、至恩郷と伊勢神宮に行く事になった。