獅子岩 砂浜と海がきれいでした
4月17日、松阪駅でノワタリさん達に合流した。今回は、ノワタリさんのお友達と4人の車での旅だ。
出発の前日、隣町の交差点で、後ろから追突され、いけるかどうかちょっと心配だった。運の良い事に、低速だったのと、まともに当てられたのではなかったので、軽くて済んだ。私ってタフ!と思ってたら月末になって、首が回らなくなった。
事故後、相手がベンツから降りてきた。坊主頭で、首には重そうな鎖のようなゴールドのネックレス、おまけに雪駄履のお兄さん。絶対、係わりたくない人種だ。反対だったら、面倒な事になっただろうと思う。
おまけに、その夜 例の割り込んできた男性Hはまた電話の向こうで「現地集合だ。」と喚いて来た。こちらも粘って、「松阪でと」と折り合いをつけた。
ノワタリさんは、和やかな旅にするために、喫茶店で話し合いの時間を取った。でもあきれ果てた事に、彼は前日の夜出発して、二人を車に残したまま、京都で遊んでやってきた。
花窟神社
花窟神社 カグツチの尊
松阪を出る時、車のナビの時間計算はとても不正確で、熊野まで5時間と出ていた、それもあり、松阪で停まったことは不服そうだった。私は3時間もあれば行けると思っていたので、余り気にならなかった。
やはり、3時間もしないうちに花窟神社に着いた。
この神社の御神体はこの後ろの岩でイザナミの尊と、カグツチの尊の親子の神様であった。お神酒と水と粗塩でお清めしてノワタリさんは歌われ、みんなでご挨拶をして私たちにも、エネルギーを入れた。お参りをしだすと、朝のギクシャクもなくなった。広い境内をゆっくり巡り、摂社、末社もお参りしてお接待のお茶を出口で頂いて出た。
今回の旅の岩とはこの花窟神社であり、山は玉置神社であり、最後の滝だけがまだ、判らなかった。三重県と和歌山県には、多くの滝があり、ガイドブックに出ている滝の名前をfaxしたが該当する物はなかった。
産田神社にて、お仕事するノワタリさん
途中、産田神社により、お参りして、ナビの誘導のまま、山道に入った、何処を走っているのか判らないくらいの山中で、曲がりくねった車1台分の巾の狭い道で、途中離合した車もなかったが、玉置山という表示がナビに出たり消えたりしていた。それを過ぎると、熊野川沿いにでて、本宮の大斎原の鳥居が見えた。
日本一高い鳥居
元の本宮の石祠
ノワタリさんが「私だけでいいと思ってたら、みんなも明日は 肌につけるものは新しいのにしてくれって神様が言ってる。」と言ったので、遅いお昼のお弁当を買いに行った店で、清め用の酒、水、粗塩の他に肌着を買って大斎原に向かった。
大変広く、明治22年の水害までは、今の本宮の8倍の広さがあったという。大斎原はとても壮麗だっただろうと思った。鳥居からあちらこちらと、ノワタリさんの指示に従い清めながら歩いた。
上の写真の石祠の前に来た時、霊能者と思われる中年男性が上に土足で上がって、祈るわけでもなく、手をかざしたリしながら歩き回っていた。その人が去るのを待って、石祠の前に行った。「『土足で上がったので、清めてくれ。』と言ってるわ。」と言ったので、丁寧にお清めした。ノワタリさんは地面に座って、歌を歌い、ご挨拶をしたので、私たちも習った。
その後、反対側にある慰霊碑に回り、周囲から清めた。全国のお寺の名前が一つ一つに掘ってあった。般若心経、光明真言、慰霊碑の文字の南無阿弥陀仏(記憶違いだったらお許しを)上げて祈った。
その後、熊野大社に、お参りして、川湯温泉の民宿に泊まった。