玉置神社
玉置神社2006年9月
翌日、私達は早起きして、宿にアッパッパのようなワンピースをお借りして、川原に行き、自然の温泉を楽しみ、体を清めて玉置神社に向かった。この日の玉置神社が、今回の旅のメインである。後で、思い返しても、現実離れした不思議な1日だった
。この神社の事が書いてあった「万世一系と般若心経の謎」と言う本に書かれていた事が目の前で起きた。この本を読んでいたのは私のみである。
十津川村に入った時、山の向こうにきれいな虹が出た。
その後、ノワタリさんが苦しみだした。「う~ん、う~ん、『出してくれ、出してくれ!』と私の中で誰かが言ってるの。 男の神様みたい」と、とても苦しそうに顔をしかめていた。(本によると思兼神様だろう)
山道を上がり、広い駐車場に着いたが、他には車は1台位しかいなかった。さすがに1000m越すので少し肌寒かった。
ご挨拶をして、鳥居の所から参道をずっと 男性であるHが、1升びんを持ち、ノワタリさんの指示にしたがってお神酒をかけ、私が塩を盛り、水を掛けた。車を降りる時、すべてそれらを2個ずつ持っていたので、大変だった。そのうち、近ずくにつれて、御神木の大きな杉の木が見えてきた。
玉置神社は、まだ石楠花には早く、桜が散りかけていた。
本殿前で 2006年9月
初めて訪れた玉置神社は、とても良いエネルギーで、神秘的な趣があった。
この神社のご祭神様方はとてもすごく、国の根幹に係わる神様ばかりだった。
国之常立尊、イザナギ尊、イザナミ尊、天照大神、神日本磐余彦尊方であった。
おまけに、ミッキーマウスの頭をさかさまにしたようなこの州浜の神社の紋は母の実家の門と同じなので、お札を頂いて持ち帰ると、喜んだ。
本殿にご挨拶して、一つ、一つ、末社もお清めしてご挨拶をしていると、ノワタリさんがその中に高倉下神の名前を見つけ「高倉下神を主際神に祀っている神社に行かなければ、いけない。」と言ったので、後で社務所に尋ねて行く事にした。
三柱神社
三柱神社2006年9月
ご祭神の神様方
社務所を通り過ぎて、三柱神社にご挨拶して、お清めした。ここはお稲荷さんなのだが、赤い鳥居ではないし、普通言われる稲荷の神様である倉稲魂神様の他に、天御柱神、国御柱神様が祀ってあった。ノワタリさんが歌っていると、中に、白でなく、茶色のお狐様が3匹見えたという。「お神酒を供えて」とノワタリに言われ、お神酒を社務所に買いに行き、ふたを開けて、幕の中に供えた。
商売繁盛、五穀豊穣の他に、悪魔退散に御神得があり、近年まで、裏部屋でその祈祷をしていたそうだ。
出雲霊社、真名井社とご挨拶し、清めながら、玉石社に行き、ご挨拶して、ノワタリさんが歌い清めた。ここの神社はすべて、歌も綺麗で明るいメロディだった。記憶が不確かなので間違いかもしれないが、さくらさくらのメロディも出たかもしれない。
この時初めてお参りしたが、その後、2007年まで、毎年訪れた。その頃には、また書くと思うが、だんだん変化していき、何故か若い人が多くなった。
社務所に行き、国之常立尊様の絵と悪魔退散が裏表に書いてある御神符を買い、高倉下神様が主祭神である神社を教えてもらったが、どれ位の時間が掛かるかと尋ねたら、その場にいた地元の人が、「ここは日本一広い村ですよ。」と言われた。
もう午後になってはいたが、竹筒と言う集落を目指して走った。
途中、竜神様が祭られている所があり、御神水を分けて頂いた。しかし、道を間違えたらしく、私達は、木立の中の道を走り続け、また1台の車にも会わず、気付けば、瀞峡のほうに行っていた。鮎 鮎の看板が見えるが何処も開いている店はなく、運転しているH以外は空腹に耐え切れず、おせんべいや菓子パンを食べて空腹を紛らした。(後日、HのマークⅡ
の中は菓子屑だらけで、車体は小さな擦り傷だらけになり、ブーブー言ったらしい
)行ったり来りして、やっと竹筒の集落に着いたが、神社らしき物は見当たらない、通過する車や、宅配のドライバーに聞いても判らず、諦める訳にもいかず、民家を尋ねて教えてもらった。
廃校になった小学校の裏の森の中にひっそりとあった。
ご挨拶して、お清めしたが、ノワタリさんは さくらさくらのメロディを歌いだしたが、30分経っても終わらなかった。ヘロヘロになりながら歌っていた。
「とても喜ばれて、放してくださらないの」と言っていた。
そうでしょう。ここは集落の人しか来そうにない感じで、寂しかったと思う。
その日回った神社では さくらさくらの歌が出た。(私もその歌は今日始めて聞いた)
「さくらさくらの歌がでると、其処は開いて、本来の働きをし始めるのよ。」と、ノワタリさんは言われた。
そこで夕方近くなり、今夜の宿の那智勝浦に向かって、出発した。
写真はノワタリさんに頂いた物です。