ゆめ未来     

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灘の生一本の生一本とは!

2015年02月12日 | さらに酔うもう一杯の日本酒に
■生一本てなんだ!   2015.2.12

 『2015年3月号 dancyu&一個人』から。

dancyuの「日本酒検定」に、次のようなおもしろい問がありました。

 問9 1939(昭和14)年にアルコール添加の酒が誕生。
     その理由は?

解説によると、「寒さで酒が凍るため
 アルコール添加の酒が造られたのは、戦時下の満州。
極寒の満州でも凍らないよう、エチルアルコールを加える方法がとられるように。
さらに、味の薄さを補おうと糖類も添加するようになったのが、"三増酒"の始まりといわれます。


『一個人』には、「戦後~60年代」「ガンガン飲んで高度成長/あこがれは「灘の生一本」」とありました。
この「生一本」の意味、聞き流して、なんとなく分かったような気にもなります、雰囲気で。
でも、よくよく考えてみると、正確には、なんなんだ、と思いませんか。

2つの雑誌を読んでみて感じました。
アル添、三増酒が絡んでいそうだなと。
日本酒の歴史です。

 昭和20年(1945)、長かった戦争の時代も終わりを告げる。
昭和18年(1943)から配給制となっていた日本酒も、昭和24年(1949)から自由化された。
しかし需要に供給が追いつかず、密造酒=闇酒が横行する結果となる。.....
米を原料としない合法的な酒の製法が真剣に研究された。
そして開発されたのが三倍増醸酒(三増酒)だ。
三増酒は造るだけ売れた時代であった。
それは良質な酒を生産しよう、という企業努力が報われないことでもあったのだ。
大手メーカーが地方の零細蔵の酒をタンクごと買い取り........そのまま自社ブランド瓶に詰めたりして販路に乗せた。
こうすることで、大手メーカーと零細蔵の双方が節税することができたのである。
しかし消費者には、それぞれの酒蔵特有の味が届かなくなる。


 この時代、人気を集めていたのが「灘の生一本」とよばれた、江戸時代から続いたブランド酒だ。

 【生一本】 きいっぽん
純粋でまじりけのないこと。また、そのもの。「灘(なだ)の―」
同質のものだけからできていて、異質なものが混じりあっていないこと。
「灘(なだ)の生一本」のように、日本酒などの、純粋で混じりけのないものをいうことも多い。


 【三増酒】
醸造アルコール、糖類、酸味料、グルタミン酸ソーダなどを添加し、清酒を約3倍に増量したもの。
戦争中の物資不足、特に米の不足から生まれた負の遺産といえる。

コメント
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