■黒武御神火御殿/宮部みゆき 2020.9.28
序
三島屋の変わり百物語では、お店の奥の「黒白の間」という座席に一度に一人、または一組の語り手を招き、差し向かいで耳を傾ける聞き手も一人である。そこで語られた話はけっして外には漏らさず、
「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」
これをもっとも大切な決め事としている。
第一話 泣きぼくろ
「たいていの人は、身に迫る急な理由(わけ)がない限り、上手な嘘はつけないものです。大きな嘘をつくには大きな器量が要りますもの」
お勝もまた鋭いことを言う。
宥めて慰めて、拝むように説教するだけだよ
第二話 姑の墓
器量好みで十六の生娘をねだる四十男など、どれだけ金持ちだろうが男前だろうが嫌らしい。百歩譲って「囲いたい」というならまだ呑み下しようがある嫌らしさだが、どっちみち、その申し出をつるっと受けてしまう正木屋の主人もまたどうかしている。
「まるで娘に嫌がらせしているみたいだ」
第三話 同行二人
好き勝手ばかりしてきた。奢り高ぶって自らを省みることをしなかった。継父にいっぺん頭を下げたくらいではいけなかったのに、優しくしてもらって満足していた。餓鬼風邪が亀一の命より大事なものを根こそぎ奪っていったのは、彼が溜めていた横暴と傲慢のツケを一気に精算するためだったのだ。
----福であれ障りであれ、拾ったものは拾ったところに戻すのが筋だ。
----いいか、亀一。よく考えろ。ここはおまえさんの人生の峠越だよ。
赤い襷の男は、なぜ化け物になって迷っているのか。どうして亀一を選んでくっついてくるのか。
「そこにはきっと理由(わけ)がある。おまえさんでなけりゃならない理由が」
----それを解してやろうとするのが、どんなお経よりもお祓いよりも効くはずだ。
支配人は、亀一の泣き顔は見なくても、彼の嘆きと絶望のほどは充分に察していた。
「だからどうだという理屈は言いませんでした。ただ、あっしのなかに死人の魂を引き寄せる何かがあるのだとしたら、その何かにけりをつけるのは、あっし自身にしかできないんだって言ってくれたんです」
長いこと飛脚稼業をやっていたら、いろんなものに行き遇う。いろんなものを拾うし、いろんなことを見聞きする。
----その全てが一期一会だ。たとえ相手が化け物であっても、この世のあっちからこっちまで駆け抜けるのが身上のの飛脚が、袖ふり合った縁を無下にするな。どんと構えて勇気を見せろや。
「こうして言ってみると、いい台詞ですよ」
富次郎も心からそう思う。
「情があって肝が太いお人の言葉ですね」
一人生き残った俺が、てめえの苦しみのことしか考えていなかったせいで。
----おまえは顔を失くしたが、俺は心を失くしてたんだ。
おまえにくっついてこられて、おまえと連れだって走ってきて、やっと俺にもそれがわかった。
第四話 黒武御神火御殿
ぐるぐると踏み車を回しながら、放蕩の道へと堕ちていった。</fint>
「酒と女で身を持ち崩す札差はいないが、博打だけは駄目だ。根性が腐る」
ならば甚三郎は、一日ごとに生き腐れとなりつつあるのだろう。
「思い通りの目が出たとき、この世の全てを自分が転がしているような、思いのままにしているような気がする。それがたまらないんだって」
「禁教だと承知で耶蘇教を拝んで、罰を喰らって島流しになったんでしょう。何を怒るっていうんですよ」
自業自得じゃねえか。俺みたいな博打ぐるいだって、お上のご禁制には触れねえよ。
禁じられた異国の教えをもたらすバテレンは、新しい知識をもたらす使いでもあった。
「それらの知恵と技術もまた耶蘇教の神の恵みであると説かれれば、魅せられた心は教えを受け入れてゆく」
現世利益を求めて信仰に踏み込む無垢と純真、よりよい生への渇望を愚かだと責めることは容易い。しかし、それが人の情であり、人の弱さなのだ。
こうして、梅屋甚三郎と名乗る男は、語り終えて三島屋から去っていった。
語って語り捨て、聞いて聞き捨て、変わり百物語の決め事がある以上、もうその後の様子を詮索してはいけない。それが聞き手のけじめだ。富次郎は心残りを呑み込んだ。
第一話から第三話は、短編。
第四話は、p309だから長編と言える。
いずれも、江戸の化け物の話です。
ぼくには、 『第三話 同行二人』 が一番面白かった。
「天神裏の亀一と言えば、手に負えないんで知られてござんした」
亀一は今年ちょうど五十歳。いわゆる知名(ちめい)の歳である。
天神裏の暴れん坊が、紆余曲折、いろいろな人に助けられ飛脚となる。
さて、飛脚となった亀一だが、順風満帆とは行かない。
あろう事か化け物に取り憑かれてしまうのだが。
飛脚の名前が、「亀一」というのも愛嬌。
第三話もそうだが、いずれの話にも素敵な人物が現れる。
主人公と共に彼らの説得にじっと耳をかたむけてしまう。
ぼくの長い人生の途上でも、彼らに出会ってみたかった。
人生がもっと豊かなものになっていたことだろう。
「三島屋変調百物語六乃続」ということは、続とあるから、まさに前、またその前があるはずだ。 楽しみだ。
『 黒武御神火御殿/宮部みゆき/毎日新聞出版 』
序
三島屋の変わり百物語では、お店の奥の「黒白の間」という座席に一度に一人、または一組の語り手を招き、差し向かいで耳を傾ける聞き手も一人である。そこで語られた話はけっして外には漏らさず、
「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」
これをもっとも大切な決め事としている。
第一話 泣きぼくろ
「たいていの人は、身に迫る急な理由(わけ)がない限り、上手な嘘はつけないものです。大きな嘘をつくには大きな器量が要りますもの」
お勝もまた鋭いことを言う。
宥めて慰めて、拝むように説教するだけだよ
第二話 姑の墓
器量好みで十六の生娘をねだる四十男など、どれだけ金持ちだろうが男前だろうが嫌らしい。百歩譲って「囲いたい」というならまだ呑み下しようがある嫌らしさだが、どっちみち、その申し出をつるっと受けてしまう正木屋の主人もまたどうかしている。
「まるで娘に嫌がらせしているみたいだ」
第三話 同行二人
好き勝手ばかりしてきた。奢り高ぶって自らを省みることをしなかった。継父にいっぺん頭を下げたくらいではいけなかったのに、優しくしてもらって満足していた。餓鬼風邪が亀一の命より大事なものを根こそぎ奪っていったのは、彼が溜めていた横暴と傲慢のツケを一気に精算するためだったのだ。
----福であれ障りであれ、拾ったものは拾ったところに戻すのが筋だ。
----いいか、亀一。よく考えろ。ここはおまえさんの人生の峠越だよ。
赤い襷の男は、なぜ化け物になって迷っているのか。どうして亀一を選んでくっついてくるのか。
「そこにはきっと理由(わけ)がある。おまえさんでなけりゃならない理由が」
----それを解してやろうとするのが、どんなお経よりもお祓いよりも効くはずだ。
支配人は、亀一の泣き顔は見なくても、彼の嘆きと絶望のほどは充分に察していた。
「だからどうだという理屈は言いませんでした。ただ、あっしのなかに死人の魂を引き寄せる何かがあるのだとしたら、その何かにけりをつけるのは、あっし自身にしかできないんだって言ってくれたんです」
長いこと飛脚稼業をやっていたら、いろんなものに行き遇う。いろんなものを拾うし、いろんなことを見聞きする。
----その全てが一期一会だ。たとえ相手が化け物であっても、この世のあっちからこっちまで駆け抜けるのが身上のの飛脚が、袖ふり合った縁を無下にするな。どんと構えて勇気を見せろや。
「こうして言ってみると、いい台詞ですよ」
富次郎も心からそう思う。
「情があって肝が太いお人の言葉ですね」
一人生き残った俺が、てめえの苦しみのことしか考えていなかったせいで。
----おまえは顔を失くしたが、俺は心を失くしてたんだ。
おまえにくっついてこられて、おまえと連れだって走ってきて、やっと俺にもそれがわかった。
第四話 黒武御神火御殿
ぐるぐると踏み車を回しながら、放蕩の道へと堕ちていった。</fint>
「酒と女で身を持ち崩す札差はいないが、博打だけは駄目だ。根性が腐る」
ならば甚三郎は、一日ごとに生き腐れとなりつつあるのだろう。
「思い通りの目が出たとき、この世の全てを自分が転がしているような、思いのままにしているような気がする。それがたまらないんだって」
「禁教だと承知で耶蘇教を拝んで、罰を喰らって島流しになったんでしょう。何を怒るっていうんですよ」
自業自得じゃねえか。俺みたいな博打ぐるいだって、お上のご禁制には触れねえよ。
禁じられた異国の教えをもたらすバテレンは、新しい知識をもたらす使いでもあった。
「それらの知恵と技術もまた耶蘇教の神の恵みであると説かれれば、魅せられた心は教えを受け入れてゆく」
現世利益を求めて信仰に踏み込む無垢と純真、よりよい生への渇望を愚かだと責めることは容易い。しかし、それが人の情であり、人の弱さなのだ。
こうして、梅屋甚三郎と名乗る男は、語り終えて三島屋から去っていった。
語って語り捨て、聞いて聞き捨て、変わり百物語の決め事がある以上、もうその後の様子を詮索してはいけない。それが聞き手のけじめだ。富次郎は心残りを呑み込んだ。
第一話から第三話は、短編。
第四話は、p309だから長編と言える。
いずれも、江戸の化け物の話です。
ぼくには、 『第三話 同行二人』 が一番面白かった。
「天神裏の亀一と言えば、手に負えないんで知られてござんした」
亀一は今年ちょうど五十歳。いわゆる知名(ちめい)の歳である。
天神裏の暴れん坊が、紆余曲折、いろいろな人に助けられ飛脚となる。
さて、飛脚となった亀一だが、順風満帆とは行かない。
あろう事か化け物に取り憑かれてしまうのだが。
飛脚の名前が、「亀一」というのも愛嬌。
第三話もそうだが、いずれの話にも素敵な人物が現れる。
主人公と共に彼らの説得にじっと耳をかたむけてしまう。
ぼくの長い人生の途上でも、彼らに出会ってみたかった。
人生がもっと豊かなものになっていたことだろう。
「三島屋変調百物語六乃続」ということは、続とあるから、まさに前、またその前があるはずだ。 楽しみだ。
『 黒武御神火御殿/宮部みゆき/毎日新聞出版 』