■償いのリミット/カリン・スローター 2021.8.23
カリン・スローターの 『償いのリミット』 を読みました。
ウィルと悪魔のごとき悪女のアンジーとの奇っ怪な人間関係、そこに割って入る天使のようなサラ。
水と油。 修羅場にならないわけがない。
現実の生活ではいざ知らず、物語では、サラは退屈な女に感じる。
“彼の腕に抱かれていると、これが永遠に続いてほしいとしか考えられなくなるの”
これを読んだとき、アンジーは笑った。
永遠は人が思うほど長くない。
その点、アンジーの人物像は興味津々だ。
本作で、アンジーの生育歴が明かされる。
悪魔のアンジーだが、遠い昔に捨てた娘、ジョセフィン・フィガロアにむける愛情は本物で、自ら彼女を守ろうと体を張るのだが......。 そこを読ませるのが、この物語。
「シリーズ最高傑作!」とあるが、それにしてもp700は、ぼくにはちょっと長すぎた。
アンジー・ポランスキーは、ウィルが十一歳の頃からあたかも蚊のように彼のまわりをひらひらと飛びまわっていた。ふたりは<アトランタ子どもの家>という養護施設でいっしょに育ち、どちらも虐待やネグレクトや放置や折檻を生き延びてきた。そのすべてが社会から受けた仕打ちだったわけではない。青年期にウィルは数々の苦痛を味わったが、どれひとつとしてアンジーからうけた苦痛に及ばなかった。いまもまだ与え続けていると言えた。
アンジーはウィルを守ろうとする姉のようだった。セックスで彼をコントロールしようとするひねくれた恋人のようだった。結婚生活を続けたくはないけれど、彼を手放したくもない憎しみに満ちた妻のようだった。
アンジーはウィルを愛している。憎んでいる。必要としている。彼女は時々姿を消した。
数日のこともあれば、数週間、数カ月のこともあった。丸一年いなかったことも一度ならずあった。そしてまたその後、必ず戻ってくるというのが、この三十年近く、ウィルの人生で変わることのなかった唯一の事実だった。
「あたしよ、ベイビー、寂しかった?」
壁に頭をもたせかけた。窓の外の暗い空を見つめた。天使が存在すると信じるにはあまりに多くの死を見すぎていたが、死後の世界に悪魔がいるのならアンジー・ポランスキーはそこで魔女のように高笑いしていることだろう。
記憶にあるかぎりの昔から、アンジーは未来しか見てこなかった。過去はいまさらどうしようもない。たいていの場合、現在はひどすぎて考えたくもなかった。母親のポン引きに捕まった。 一時的なこと。また違う里親のところに送られる? いまだけ。車の後部座席で暮らす? 長いことじゃない。時間が彼女を前へと進ませた。来週、来月、来年。
彼女はただひたすら前を見つめ、走り続けてきて、そしてようやく角を曲がったのだ。
だがこうして角を曲がってみると、そこにはなにもないことがわかった。
普通の女性は、アンジーがまだ持っていないなにを求めているのだろう?
家。夫。娘。
アンジーには、遠い昔に捨てた娘がいた。ジョセフィン・フィガロアは二十七歳だ。
アンジーは首を振った。いまはウサギの穴に落ちていくように、失ったもののことやその理由を考えているときではない。自分が生き延びてきたことを、自分がどれほど強いのかを考えなくてはいけない。アンジーはカミソリの刃の上を走るような人生を送ってきた。
たいていの人がそちらに向かって駆けていくものから全速力で逃げてきた----子供、夫、家、人生。
幸せ。充足感。愛。
フィルが欲しがったものすべて。自分が必要とすることは絶対にないとアンジーが思っていたものすべて。
「だれかを愛したら、その人を傷つけたりはしないものよ。その人を苦しめたり怯えさせたり、恐怖の中で暮らさせたりしない。そんなものは愛じゃない。普通の人間はそんなことはしない」
アンジーとルーベンに重なる部分があることは、アマンダに指摘されなくてもわかっていた。
「ありがたいですが、今日のたとえ話は聞き流すことにしますよ」
アマンダは何も言わなかった。
『 償いのリミット/カリン・スローター/田辺千幸訳/ハーパーBOOKS 』
カリン・スローターの 『償いのリミット』 を読みました。
ウィルと悪魔のごとき悪女のアンジーとの奇っ怪な人間関係、そこに割って入る天使のようなサラ。
水と油。 修羅場にならないわけがない。
現実の生活ではいざ知らず、物語では、サラは退屈な女に感じる。
“彼の腕に抱かれていると、これが永遠に続いてほしいとしか考えられなくなるの”
これを読んだとき、アンジーは笑った。
永遠は人が思うほど長くない。
その点、アンジーの人物像は興味津々だ。
本作で、アンジーの生育歴が明かされる。
悪魔のアンジーだが、遠い昔に捨てた娘、ジョセフィン・フィガロアにむける愛情は本物で、自ら彼女を守ろうと体を張るのだが......。 そこを読ませるのが、この物語。
「シリーズ最高傑作!」とあるが、それにしてもp700は、ぼくにはちょっと長すぎた。
アンジー・ポランスキーは、ウィルが十一歳の頃からあたかも蚊のように彼のまわりをひらひらと飛びまわっていた。ふたりは<アトランタ子どもの家>という養護施設でいっしょに育ち、どちらも虐待やネグレクトや放置や折檻を生き延びてきた。そのすべてが社会から受けた仕打ちだったわけではない。青年期にウィルは数々の苦痛を味わったが、どれひとつとしてアンジーからうけた苦痛に及ばなかった。いまもまだ与え続けていると言えた。
アンジーはウィルを守ろうとする姉のようだった。セックスで彼をコントロールしようとするひねくれた恋人のようだった。結婚生活を続けたくはないけれど、彼を手放したくもない憎しみに満ちた妻のようだった。
アンジーはウィルを愛している。憎んでいる。必要としている。彼女は時々姿を消した。
数日のこともあれば、数週間、数カ月のこともあった。丸一年いなかったことも一度ならずあった。そしてまたその後、必ず戻ってくるというのが、この三十年近く、ウィルの人生で変わることのなかった唯一の事実だった。
「あたしよ、ベイビー、寂しかった?」
壁に頭をもたせかけた。窓の外の暗い空を見つめた。天使が存在すると信じるにはあまりに多くの死を見すぎていたが、死後の世界に悪魔がいるのならアンジー・ポランスキーはそこで魔女のように高笑いしていることだろう。
記憶にあるかぎりの昔から、アンジーは未来しか見てこなかった。過去はいまさらどうしようもない。たいていの場合、現在はひどすぎて考えたくもなかった。母親のポン引きに捕まった。 一時的なこと。また違う里親のところに送られる? いまだけ。車の後部座席で暮らす? 長いことじゃない。時間が彼女を前へと進ませた。来週、来月、来年。
彼女はただひたすら前を見つめ、走り続けてきて、そしてようやく角を曲がったのだ。
だがこうして角を曲がってみると、そこにはなにもないことがわかった。
普通の女性は、アンジーがまだ持っていないなにを求めているのだろう?
家。夫。娘。
アンジーには、遠い昔に捨てた娘がいた。ジョセフィン・フィガロアは二十七歳だ。
アンジーは首を振った。いまはウサギの穴に落ちていくように、失ったもののことやその理由を考えているときではない。自分が生き延びてきたことを、自分がどれほど強いのかを考えなくてはいけない。アンジーはカミソリの刃の上を走るような人生を送ってきた。
たいていの人がそちらに向かって駆けていくものから全速力で逃げてきた----子供、夫、家、人生。
幸せ。充足感。愛。
フィルが欲しがったものすべて。自分が必要とすることは絶対にないとアンジーが思っていたものすべて。
「だれかを愛したら、その人を傷つけたりはしないものよ。その人を苦しめたり怯えさせたり、恐怖の中で暮らさせたりしない。そんなものは愛じゃない。普通の人間はそんなことはしない」
アンジーとルーベンに重なる部分があることは、アマンダに指摘されなくてもわかっていた。
「ありがたいですが、今日のたとえ話は聞き流すことにしますよ」
アマンダは何も言わなかった。
『 償いのリミット/カリン・スローター/田辺千幸訳/ハーパーBOOKS 』