■殺しへのライン 2022.11.7
アンソニー・ホロヴィッツの三作目 『 殺しへのライン 』 を、読みました。
ホロヴィッツには、安定したおもしろさがあります。
今回は、ダニエル・ホーソーンの意外な一面を知ることになります。
《ディズニー》社にオプション権が売れたばかりだという。作家として、こんな幸せがあるだろうか。それでも、去って行くアンはやはり悲しげに見えた。仕事はこれほど順調なのに。だが、心には人生が重くのしかかっているのだろう。
「まさか、本気じゃないんだろう」パーティーからホテルへ戻る交通手段について、よもやアンが嘘をついていたかもしれないなどと、わたしは思ってもみなかった。
「いや、本気だよ。誰かから何かを訊いたら、必ず裏をとる。それがおれの仕事だ」
こちらを見るホーソーンの目に、ふいに傷ついたような表情が浮かんだ。こんなふうにふとホーソーンの弱さを垣間見てしまい、この男もやはり人間なのだと実感させられるのは、けっしてこれが初めてではない。妻や息子と別れ、がらんとしたアパートメントの部屋にひとりで
暮らし、どうやら深い傷を心に残した子ども時代をとりもどそうとしているかのように、《エアフィックス》社のプラモデルをせっせと作りつづける。このホーソーンという人物は、本人がそう見せかけようとしているほど頑強な心の持ち主ではないのだ。もしかしたら、わたしが
何より苛立つのは、こんなにもあつかいにくい相手だというのに、それでもホーソーンという人間に関心を抱いてしまうからなのかもしれない。本を書いているときのわたしは、ホーソーンが解いてみろとばかりに提示する事件の謎と同じくらい、この男自身に興味をそそられてい
るのだ。
冷静沈着冷徹なホーソーン。物語を通していつも冷たい印象の男なのだが、意外な一面を知る。
息子が幼い頃、毎晩、息子に童話の読み聞かせをしていたのだ。
息子もホーソーンも『ふたごのフラッシュバン、海へ行く』が、一番のお気に入りだった。
ホーソーンは、すでに内ポケットから一冊の本を取り出している。表紙には、鮮やかな色彩でふたりの子どもと海賊船の絵が描かれていた。そして、剣をふるっている片目の海賊も。題名は『ふたごのフラッシュバン、海へ行く』 サウサンプトンでホーソーンが話題に出した一冊だ。本だけではない。ホーソーンはペンまで用意していた。
「うちの息子に、サインをお願いできますかね?」
アンはしばし目を見はっていたが、やがて本とペンを受けとった。「喜んで、息子さんのお名前は?」
「実をいうと、うちの子もウィリアムでね」
「あら」
アンがペンを走らせるのを、わたしはじっと見ていた。“ウィリアムへ、愛をこめて、ずっと、本を好きでいてね! アン・クリアリー” ----そして、本とペンを返す。
「ありがとう」
「どういたしまして、ミスター。ホーソーン」
わたしたちはその場を去った。
『 殺しへのライン/アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳/創元推理文庫 』
アンソニー・ホロヴィッツの三作目 『 殺しへのライン 』 を、読みました。
ホロヴィッツには、安定したおもしろさがあります。
今回は、ダニエル・ホーソーンの意外な一面を知ることになります。

《ディズニー》社にオプション権が売れたばかりだという。作家として、こんな幸せがあるだろうか。それでも、去って行くアンはやはり悲しげに見えた。仕事はこれほど順調なのに。だが、心には人生が重くのしかかっているのだろう。
「まさか、本気じゃないんだろう」パーティーからホテルへ戻る交通手段について、よもやアンが嘘をついていたかもしれないなどと、わたしは思ってもみなかった。
「いや、本気だよ。誰かから何かを訊いたら、必ず裏をとる。それがおれの仕事だ」
こちらを見るホーソーンの目に、ふいに傷ついたような表情が浮かんだ。こんなふうにふとホーソーンの弱さを垣間見てしまい、この男もやはり人間なのだと実感させられるのは、けっしてこれが初めてではない。妻や息子と別れ、がらんとしたアパートメントの部屋にひとりで
暮らし、どうやら深い傷を心に残した子ども時代をとりもどそうとしているかのように、《エアフィックス》社のプラモデルをせっせと作りつづける。このホーソーンという人物は、本人がそう見せかけようとしているほど頑強な心の持ち主ではないのだ。もしかしたら、わたしが
何より苛立つのは、こんなにもあつかいにくい相手だというのに、それでもホーソーンという人間に関心を抱いてしまうからなのかもしれない。本を書いているときのわたしは、ホーソーンが解いてみろとばかりに提示する事件の謎と同じくらい、この男自身に興味をそそられてい
るのだ。
冷静沈着冷徹なホーソーン。物語を通していつも冷たい印象の男なのだが、意外な一面を知る。
息子が幼い頃、毎晩、息子に童話の読み聞かせをしていたのだ。
息子もホーソーンも『ふたごのフラッシュバン、海へ行く』が、一番のお気に入りだった。
ホーソーンは、すでに内ポケットから一冊の本を取り出している。表紙には、鮮やかな色彩でふたりの子どもと海賊船の絵が描かれていた。そして、剣をふるっている片目の海賊も。題名は『ふたごのフラッシュバン、海へ行く』 サウサンプトンでホーソーンが話題に出した一冊だ。本だけではない。ホーソーンはペンまで用意していた。
「うちの息子に、サインをお願いできますかね?」
アンはしばし目を見はっていたが、やがて本とペンを受けとった。「喜んで、息子さんのお名前は?」
「実をいうと、うちの子もウィリアムでね」
「あら」
アンがペンを走らせるのを、わたしはじっと見ていた。“ウィリアムへ、愛をこめて、ずっと、本を好きでいてね! アン・クリアリー” ----そして、本とペンを返す。
「ありがとう」
「どういたしまして、ミスター。ホーソーン」
わたしたちはその場を去った。
『 殺しへのライン/アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳/創元推理文庫 』