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ヨルガオ殺人事件 アランはけっして読者をごまかすことがない。

2021年11月22日 | もう一冊読んでみた
ヨルガオ殺人事件(上・下)/アンソニー・ホロヴィッツ 2021.11.22  

アンソニー・ホロヴィッツの 『 ヨルガオ殺人事件(上・下) 』 を読みました。
文句なしに面白かった。
とくに作中作の 『 愚行の代償 』 は面白く、一気に読んでしまいました。

アラン・コウウェイは、アティカス・ビュントにこう言わしめている。 心して注意深く読み進め。

 ビュント自身、『犯罪捜査の風景』の序文でこう記している。----“ある意味では、探偵と化学者のはたすべき役割はよく似ている。事件にいたるまでのものごとの流れは、分子を形成する原子のように、密接に絡みあっているものなのだ。たったひとつの原子を軽視したり、見落としたりすることは往々にしてありがちだが、その結果、砂糖だと思っていたものが塩に変わってしまわないともかぎらない”と。

アラン・コウウェイの元編集者だったスーザン・サランドンは、彼のことを作品の随所でぼろんくそん、ケチョケチョにけなしているんだが、そんな彼女でさえため息をついた。

 わたしが個人的に驚いたのは、ふたりいる犯人が誰なのか、はっきりと記憶したまま読みはじめたというのに、それでも最後まで読書を楽しめたことだ。アラン・コンウェイはミステリに分類される作品を書くのを嫌い、このジャンルを見くだしてさえいたけれど、すばらしい才能を持っていたのはまちがいない。複雑に絡み合った謎がきっちりと解かれていく過程には、大きく満足の吐息をつかずにはいられなかった。初めてこの作品の原稿を読んだときの喜びの幾分かが、こけだけの年月を経てもそのまま生き生きと胸のうちに湧き上がってくる。アランはけっして読者をごまかすことがない。それが、成功の秘訣のひとつなのだろう。

このミステリが面白いのは、こうして生み出されるからか。

 ビュントは殺人事件の捜査をゲームだと思ったことはないし、ましてや溶くべきパズルとして見たこともない。この仕事は、このうえなく暗い場所で必死にあがく、人間の心の考察なのだ。なぜそこに至ったのかを理解して、初めてその事件を解決することができる。

そしてパズルのパーツのように全てがあるべき処にピッタリと嵌まり謎は解ける。

ぼくにすれば、スーザンのアランの人間性に対する見方は、罵詈雑言のたぐいだと思うのだが、そんなアランが、人間味溢れるアティカス・ビュントを生み出している。このような人物を生み出すことが出来る人物が、スーザンの評価どおりの人間とはとても思えない。

ぼくは、スーザンがあのり好きになれなかった。
アンドレアスに対する心の変遷。
英国でクレイブにお世話になることなど。
極めて自分にご都合よく考えるところがあるような気がする。

 「結局、どれくらい親しかったの?」わたしは尋ねた。
 「それ、わたしが想像しているような意味で訊いているのよね? スーザン、あなたって人は、いつもあまりに露骨すぎるのよ。相手の気持ちなんか、これっぽっちも思いやってくれないんだから」メリッサはうっすらと笑みを浮かべた。


そんなスーザンだが。

 言うまでもなく、素敵なことだってたくさんある。エーゲ海に沈む夕陽は、世界のどこでもお目にかかれないほどの眺めだけれど、わたしはそれを毎夕うっとりと見つめているのだから。ギリシャ人が神々を信じるようになったのも不思議ではない----へーリオスは黄金の戦車を駆って果てしない大空を征き、ラシティオティカの山々を包む幾重もの薄霞はまず薄紅色、そして藤紫色に変わりながら、しだいに暗く色あせていく。

 しかし、わたしは何も言わずにおいた。世の中には、できるだけ議論せずにおきたい相手というものが存在する。まちがいなく、リサはそんなたぐいの人間だ。

 こうして自分の姿を見てみると、わたしはあまりに自分を甘やかしすぎたのではないかと思わずにはいられない----自分を解放するといったら聞こえはいいけれど、その先に待っているのは精神のゆるみ、そして堕落ではないか。

いろいろ人生の機微も見ました。

 まるで懸賞稼ぎのボクサーどうしが、本当にパンチを当てる気はないまま、にらみあってぐるぐると円を描いているかのような、実のところ、渾身の殴りあいにでもなっていたほうが、お互いずっとすっきりしていたかもしれない。年月を重ねた夫婦にありがちな、実際に口にした言葉よりも言わずに呑みこんだ言葉のほうが深い傷となっていく、そんな恐ろしい闘技場に、いつのまにかわたしたちは迷いこんでしまったようだ。

 「ステファンを泥棒だと責めたんですってね」
 「そうじゃないことは、あの女だって知ってたんだ。盗んだのはナターシャだったんだから」
 「ナターシャって、メイドの?」
 「ええ、そんなこと、誰だって知ってましたよ。もう、根っからの泥棒でね。ナターシャと握手したら、まだ時計が手首にはまっているかどうか、確かめなきゃいけないくらいなの。........」


 正直にうちあけるなら、ミスター・ビュント、自分の虚栄心を満足させるためという側面もあったかもしれません。人間というやつは、幸運にも巨額の冨を築くことができたとき、何らかの形でそれをはっきりさせたいという誘惑に駆られてしまうものなんですよ。世間に対してより、自分自身に対してね。自分は成功したのだと、心底から実感できるものがほしくなるんです。

    『 ヨルガオ殺人事件/アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳/創元推理文庫 』



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