平成17年度2520地区インターアクト年次大会が、宮城県栗原市花山にある花山少年自然の家で開催されました。地域奉仕と国際理解を二つの柱に活動するボランティアクラブに所属する、宮城岩手両県のインターアクトクラブ員が一堂に会す年に一回の大会です。今年の講演は、山形県の住職さんでした。大変感動しました。参考までに掲載します。
講演「Why? なぜ生きる?』niji代表地福寺住職 宇野全匡さん
住職でありながら、ネパールのジュビン村支援のための活動を行う。また、不登校の子供たちのサポートを行なっている方である。
・・・・ネパールの首都カトマンズから東へバスで20時間。そこから歩いて1週間という場所に、ジュビン村という村がある。ここは、電気も水道もない村である。ほとんどの住民は文字を読み書きできない。その中で唯一大学を出た若者がいる。その方はクリシュナさんという。クリシュナさんは、外国で勉強したいと思っていた。ちょうどその村を訪れた日本人ジャーナリストの紹介で、日本を紹介される。住職さんはジャーナリストの話を快く引き受け、山形県で農業の勉強をすることになる。住職さんは住民の方に呼びかけ、クリシュナさんといっしょに田植えを勉強する。ジュビン村はお米がとても高価で食べられない。日本の優れたお米の技術を学び本国で実践することになる。その結果、収穫量が3倍から4倍になったという。クリシュナさんを始め村の人々に大変感謝された。このことがきっかけで、クリシュナ基金を作り、ジュビン村から村長や、村人を招待することになる。ジュビン村から来た少女、アンジュラさんも18歳で初めて日本の小学校1年生として学校に通う。彼女がいった。「日本人は6歳で自分の名前を書けるしいろいろなものの名前を書ける。私の村に字をかける子供はいない。しかも、母国語を書くのに国語を使っている。とても悔しい。」。」といって、泣いたそうである。このことがきっかけで、ジュビン村に学校を作る計画が持ち上がり、学校を竹材で作ったり、土を固めて作ったり手作りの学校が出来上がっていく。
ある日、住職さんの息子さんがジュビン村を訪れた。クリシュナさんのお母様に「生卵」を頂いた。生卵は、お客様への最高のおもてなしだという。頂いていると、そばにいた村の子供が恨めしそうに、のどを動かしながらジーと眺めていた。とても心が痛かった。生卵を頂いた後に、子供たちは殻をもらい、殻に張り付いた汁をおいしそうにすすったという。
朝起きると中庭が騒がしい、すると自分のために鶏を絞めるところだったという。なんて残酷かと思ったが、実は残酷なことを私たちは普段からしている。と、改めて気づいた。
これからも、何かを与える国際交流ではなく、お互いにないものを補い合い、高める交流を進めていく。と語っていた。
他に、不登校児を立ち直らせるプログラムを実施している。「ダーナ」という仏教の教えを通し一人の子供を立て直した事例を紹介。「ダーナ」とは日本語で布施行の意味を指す。布施とは何か施しを与えて喜びを得ることを指す。反対に、何かを与えられて喜びを得ることもある。これは「餓鬼」であるという。「餓鬼」とは小さい子供という意味ではなく、与えられることしか喜ぶことができないという心の小ささを指している。
事例 20年前に22歳の若さで亡くなった少女の話。その少女は15歳頃不登校となり、お寺を訪問、一緒に生活するうちに自分の一生の仕事を見つけ、看護師になることを決心。東京の学校を終えてはれて正看護師に。仕事をして間もない頃、足に激痛が走った。精密検査の結果、骨肉腫というガンに罹患。余命幾ばくもないある日、和尚が彼女の病室を訪れた。その姿はまるで鬼のようであったという。和尚がいくと、今おかゆの時間だから待って、といい母親におかゆをもらう、母親がスプーンでおかゆを救い口見をして与えると「何よ、こんなの汚い」とスプーンをはねのける。母親は我慢しておかゆを冷ましながら口に運ぼうとすると「遅い、何やっているのよ!」といいお椀を払いのける。こぼれたおかゆを拾う母親にスプーンを落とす。「もうドジなんだから」とあざ笑う。
「お母さん、おかゆはいいから、リンゴが食べたい。」「何いっているの。今季節ではないわよ。」というと「そんなことは聞いていない。買って来てよ。」大声を出す始末。母親はなんとかしてリンゴを買ってくる。骨が弱くなった娘のために、リンゴを薄く切ってそっーと渡す。リンゴを食べると、血がにじんで来た。「私が病気なの知っているでしょ。なんで固いもの買ってくるのよ。」という。母親はリンゴをすってあげる。「大根おろしでないのだから、こんなのまずい。」と文句を言う。友達が奇麗な花を持って来た。「私とその花どっちが先に散るか試しに来たんでしょう」というと、友達は気まずい雰囲気になって帰っていった。たまりかねて、父親が怒った。しかし、「お父さん、あんたが悪いのよ。私がこうなったのはあなたのせいよ。」と喚き散らした。父親は廊下に出て泣いていた。和尚はみかねて「お前もダーナをやっているじゃないか。」と諭した。「何がダーナよ。私には何も与えるものがないのよ。」
「十分与えているじゃないか、お父さんお母さんに、嫌な思い、苦しみ、悲しみを与えているじゃないか。」と和尚はいう。それ以来、何も彼女は答えなかったと言う。死期が迫ったある日、急に彼女の態度が一変した。和尚にいわれた言葉、ダーナを思い出し、自分に何ができるか考えたという。それは、お父さん、お母さんに、笑顔で「ありがとう」ということだった。どんなにつらくても、何か施されたら、「ありがとう」と笑顔で応える。実は簡単なようで難しい。それを実践しようと思ったのは最後に、腰の高さで手を振って早く元気になってねと笑顔で帰った友達の影響だった。和尚も笑顔の練習を手伝った。手鏡で最高の笑顔になるように訓練したという。
余命を宣告されて1年半彼女はできる限りの笑顔を降りまき、8ヶ月で息を引き取った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人間は生まれて来たからには何かを施していく。いいことも悪いことも周囲に影響を与えている。どうせなら、いい影響をいい施しをしよう、では何を施せばいいのか、それが人生であり、生業であり、自分を発見することである。どのように生きるのかではなく、なぜ生きるのかを問うてほしい。「何々せずにはいられない」という自分になってほしい。
と話を結んだ。
講演「Why? なぜ生きる?』niji代表地福寺住職 宇野全匡さん
住職でありながら、ネパールのジュビン村支援のための活動を行う。また、不登校の子供たちのサポートを行なっている方である。
・・・・ネパールの首都カトマンズから東へバスで20時間。そこから歩いて1週間という場所に、ジュビン村という村がある。ここは、電気も水道もない村である。ほとんどの住民は文字を読み書きできない。その中で唯一大学を出た若者がいる。その方はクリシュナさんという。クリシュナさんは、外国で勉強したいと思っていた。ちょうどその村を訪れた日本人ジャーナリストの紹介で、日本を紹介される。住職さんはジャーナリストの話を快く引き受け、山形県で農業の勉強をすることになる。住職さんは住民の方に呼びかけ、クリシュナさんといっしょに田植えを勉強する。ジュビン村はお米がとても高価で食べられない。日本の優れたお米の技術を学び本国で実践することになる。その結果、収穫量が3倍から4倍になったという。クリシュナさんを始め村の人々に大変感謝された。このことがきっかけで、クリシュナ基金を作り、ジュビン村から村長や、村人を招待することになる。ジュビン村から来た少女、アンジュラさんも18歳で初めて日本の小学校1年生として学校に通う。彼女がいった。「日本人は6歳で自分の名前を書けるしいろいろなものの名前を書ける。私の村に字をかける子供はいない。しかも、母国語を書くのに国語を使っている。とても悔しい。」。」といって、泣いたそうである。このことがきっかけで、ジュビン村に学校を作る計画が持ち上がり、学校を竹材で作ったり、土を固めて作ったり手作りの学校が出来上がっていく。
ある日、住職さんの息子さんがジュビン村を訪れた。クリシュナさんのお母様に「生卵」を頂いた。生卵は、お客様への最高のおもてなしだという。頂いていると、そばにいた村の子供が恨めしそうに、のどを動かしながらジーと眺めていた。とても心が痛かった。生卵を頂いた後に、子供たちは殻をもらい、殻に張り付いた汁をおいしそうにすすったという。
朝起きると中庭が騒がしい、すると自分のために鶏を絞めるところだったという。なんて残酷かと思ったが、実は残酷なことを私たちは普段からしている。と、改めて気づいた。
これからも、何かを与える国際交流ではなく、お互いにないものを補い合い、高める交流を進めていく。と語っていた。
他に、不登校児を立ち直らせるプログラムを実施している。「ダーナ」という仏教の教えを通し一人の子供を立て直した事例を紹介。「ダーナ」とは日本語で布施行の意味を指す。布施とは何か施しを与えて喜びを得ることを指す。反対に、何かを与えられて喜びを得ることもある。これは「餓鬼」であるという。「餓鬼」とは小さい子供という意味ではなく、与えられることしか喜ぶことができないという心の小ささを指している。
事例 20年前に22歳の若さで亡くなった少女の話。その少女は15歳頃不登校となり、お寺を訪問、一緒に生活するうちに自分の一生の仕事を見つけ、看護師になることを決心。東京の学校を終えてはれて正看護師に。仕事をして間もない頃、足に激痛が走った。精密検査の結果、骨肉腫というガンに罹患。余命幾ばくもないある日、和尚が彼女の病室を訪れた。その姿はまるで鬼のようであったという。和尚がいくと、今おかゆの時間だから待って、といい母親におかゆをもらう、母親がスプーンでおかゆを救い口見をして与えると「何よ、こんなの汚い」とスプーンをはねのける。母親は我慢しておかゆを冷ましながら口に運ぼうとすると「遅い、何やっているのよ!」といいお椀を払いのける。こぼれたおかゆを拾う母親にスプーンを落とす。「もうドジなんだから」とあざ笑う。
「お母さん、おかゆはいいから、リンゴが食べたい。」「何いっているの。今季節ではないわよ。」というと「そんなことは聞いていない。買って来てよ。」大声を出す始末。母親はなんとかしてリンゴを買ってくる。骨が弱くなった娘のために、リンゴを薄く切ってそっーと渡す。リンゴを食べると、血がにじんで来た。「私が病気なの知っているでしょ。なんで固いもの買ってくるのよ。」という。母親はリンゴをすってあげる。「大根おろしでないのだから、こんなのまずい。」と文句を言う。友達が奇麗な花を持って来た。「私とその花どっちが先に散るか試しに来たんでしょう」というと、友達は気まずい雰囲気になって帰っていった。たまりかねて、父親が怒った。しかし、「お父さん、あんたが悪いのよ。私がこうなったのはあなたのせいよ。」と喚き散らした。父親は廊下に出て泣いていた。和尚はみかねて「お前もダーナをやっているじゃないか。」と諭した。「何がダーナよ。私には何も与えるものがないのよ。」
「十分与えているじゃないか、お父さんお母さんに、嫌な思い、苦しみ、悲しみを与えているじゃないか。」と和尚はいう。それ以来、何も彼女は答えなかったと言う。死期が迫ったある日、急に彼女の態度が一変した。和尚にいわれた言葉、ダーナを思い出し、自分に何ができるか考えたという。それは、お父さん、お母さんに、笑顔で「ありがとう」ということだった。どんなにつらくても、何か施されたら、「ありがとう」と笑顔で応える。実は簡単なようで難しい。それを実践しようと思ったのは最後に、腰の高さで手を振って早く元気になってねと笑顔で帰った友達の影響だった。和尚も笑顔の練習を手伝った。手鏡で最高の笑顔になるように訓練したという。
余命を宣告されて1年半彼女はできる限りの笑顔を降りまき、8ヶ月で息を引き取った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人間は生まれて来たからには何かを施していく。いいことも悪いことも周囲に影響を与えている。どうせなら、いい影響をいい施しをしよう、では何を施せばいいのか、それが人生であり、生業であり、自分を発見することである。どのように生きるのかではなく、なぜ生きるのかを問うてほしい。「何々せずにはいられない」という自分になってほしい。
と話を結んだ。