渦巻きかりんとうの希少性
小さい頃から親しんだ,地元のかりんとうは棒状ではない。板状である。しかも渦巻き模様がついている。【写真①】今まで,あまり疑問を持ったことがなかった。だが,東京のコンビニやスーパーでよく見かけるかりんとうは棒状をしたものが大半を占める。ネット検索でしてみると,岩手以外には,東京麻布(岩手にゆかりある)の麻布かりんと,北海道の浜塚製菓,それと関西姫路の常磐堂製菓のかりんとうである。一番多く出てくるのは,岩手県それも沿岸部と県北だ。一戸,軽米,浄法寺,普代,岩泉,宮古,山田,釜石,一関,八幡平市と圧倒的に多い。【写真②】人口の比率からいっても沿岸のソールフードと言ってもいいだろう。東北地方でも岩手の存在が輝いている。もちろん,九州,四国は検索にヒットしない。なぜ,渦巻きかりんとうは岩手県しかも県北沿岸部に集中しているのだろうか。
なぜ渦巻きなのか?
私が,渦巻きに興味を持つようになったのは,縄文土器に興味を再び持つようになったからだ。小学校1,2年生の頃かと思うが,山口川側で縄文遺跡が見つかったと聞き,急いで駆けつけたことがある。6年生の先輩が自宅の山で大きな縄文土器を発掘しており,自分でも見つけたいと憧れを抱いていた。結局,調査が始まり,立入できなかったが,あの時のワクワク感は,今でも忘れることができない。また,山口小学校にも展示されていて,畏敬の念を抱いていた。
あれから40年以上過ぎ,持続可能な社会のあり方を考えるようになると森川海のつながりを巧みに利用していたであろう縄文人に再び強く思いを寄せるようになった。縄文時代は,世界的にも注目されているが,数千年にわたって定住生活ができたのは,森川海のつながりの中で,食料の確保ができたからだろう。縄文土器が多数発掘される宮古には,文化的で平穏な暮らしがあったと予想できる。その縄文人が作った土器や土偶には,必ずと言っていいほど渦巻き模様が描かれている。おそらく豊かな生活を送る上で,何らかの大事な意味を込めていたのだろう。【写真③】
水面に湧き出る渦巻きから想像する
縄文土器や土偶の渦巻きには,どのような意味が込められているのだろうか。5月の連休中,小国小学校にできた里の駅周辺から小国川に降りた。緑で覆われた川岸に沿って,川下から上流へと向かい釣り竿を振った。釣りのポイントと言えば,淵である。淵で竿を振ると,魚がかかった。イワナであった。淵には様々な物質が集まり,それを求めて魚が集まる。魚が集まる淵の水面を見ると,なんと,そこには数多くの渦巻き模様が浮き出ているではないか。【写真④】渦が出現する場所は,物質や生命が集積する場所だ。渦は淵がある場所や高低差が激しい場所,川と川がぶつかり合う場所にできる。自然エネルギーが集積し,物質を撹拌し生命を生み出す場所だ。遠野物語に出てくる閉伊川の淵には,様々な伝説が言い伝えられてきた。淵は畏敬の対象でもあり,恵みをもたらす場所でもある。そして,淵がある場所には神社が祀られている。【写真⑤】土器や土偶の渦巻きには,生命(いのち)に関わる重要な意味が込められていたのではないだろうか,と実感したのである。
子供の手形に描かれた渦巻き
6月に東京国立博物館の縄文展を担当された方の講演会を聞く機会があった。縄文土器や土偶についてスライドで丁寧に教えていただいた。そのスライドの中で,子供の手形が目に止まった。【写真⑥】生まれたばかりの赤ん坊の手形を土器にして,肌身離さず大事にしていたのだろうか。その手形の中には,なんと渦巻きの模様が描かれているではないか。「大事な子供の手形になぜ渦を描くのか」と理由を伺ったが,まだよくわかっていないとのことであった。明確なのは,地域性があり東北,北海道に多いとのことだった。子供の両親はどのような思いを込めて生まれたばかりの可愛い赤子の手形にうずまきを書いたのであろうか。健やかに育ってほしいという強い思いを願ったのか。あるいは,子供の死亡率が高かった時代,天国で達者で暮らして欲しい,と祈りを込めていたのか。いずれ,手形の渦巻きには我が子を思う親の強い願いが込められている。
田中菓子舗さんを尋ねて
田中菓子舗さんに直接お会いし,渦巻きの謎をお伺いした。創業者であるお祖父様が,明治時代に宮古の駄菓子屋(玉泉堂)で製法を学んだと言う。その後,地元に戻り大正12年から始めたそうだ。その当時は田老町に3件の駄菓子屋があり,渦巻きかりんとうを製造・販売していたという。ご主人によると「渦巻きには縁起が良い意味が込められている」と伝えられてきたという。事実,金太郎飴で一番人気はやはり渦巻きだったという。【写真⑦】また,北海道浜塚製菓の池田社長さんによると,内地から伝わり風車のように先を見通す縁起物とだとして伝わったという。渦巻きかりんとうの渦巻きには,縁起を担ぐ意味があるようだ。
長野では家庭料理として
全国的に見ても岩手の県北沿岸部が多いと書いたが,調べると長野県にもあった。長野県の一部地方の千曲市,長野市,上田市周辺では家庭料理として食べる習慣があるようだ。しかも,お盆には欠かせない食べ物だったという。お盆は,仏教が入る以前から続く祖先を迎える日本独自の風俗である。田老出身のO.H先生から,亡きお尊父様の香典返しとして頂いたのが,渦巻きかりんとうだったことを思い出した。O.H先生は,おそらく渦巻きの意味をおわかりだったのではなかろうか。渦巻きかりんとうは,古くから祭事に欠かせないものとして,またお茶請けや子供のお菓子として地元の人々に欠かせないものになったのだろう。
渦巻きかりんとうは,縄文時代がルーツ!?
長野県も縄文遺跡が多い。渦巻きの描かれた火焔式土器も千曲川流域だ。落葉広葉樹林帯であり,岩手との共通点も多い。千曲川沿いにも渦巻きのできる場所が多数あり,サケ・マス,ウナギなどの魚が海から多数遡上し,食料には事欠かない豊かな場所だったのだろう。渦巻きを大切なシンボルとしていたのは想像に難くない。そして,岩手と長野でソールフードとして食べられ続けている渦巻きかりんとうは,縄文以来の価値観と関係があるのではないか。興味が尽きない。