goo blog サービス終了のお知らせ 

井頭山人のgooブログ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

自己組織化は遺伝子を通じておこなわれるか?

2016年04月09日 07時50分43秒 | 日記
すでに存在している地球上の生物の発生は、ヘッケルの云うように生物の個体発生は進化の道筋を辿る系統発生を繰り返すし、それは一種の自己組織化である。神経系のみならず、生体の構造を含めた、発生機構全般に亘って起きる現象を導く原理である。かつ、一般的なサイクルであり原理である。我々が生きている地球は、太陽系の生成から46億年が経つと地球惑星科学は主張するが、その46億年と云う時間を貫くものは、只の停滞ではなく、現象は常に進化し、寄り複雑化と言う方向へのベクトルであって、何らかの深い方向性に導かれた出来事だ。生命の歴史は、ある生命、つまりこの地球では「植物」が、すべての動物を養っている。それで、最初の生命である植物の軌跡から、遺伝の構造を論じてみたい。私達は、植物と動物が存在する事を知っているが、その関係について、余り真面目に考えた事もない。然しながら、明らかに動物は植物の力の上に生きている。端的に言えば植物に依って生かされているのが真実だ。遺伝には、祖先からその培われたデータを保存し子孫に伝えるという大切で基本的に重要な目的がある。それと同時に、現在の環境に適応するためのセンサーとしての機能も存在している。これらの目的なために遺伝子は永い時間的な適応の歴史のデータの蔵と成っている。4つの塩基でもって書かれた恐ろしく長い、データコードを一つ一つの細胞の中に保存している。この長いコードは、生命体の過去の体験と経験が保存されていて、それらは随時、必要な時に生命の自然適応の際の判断材料として利用されているのだと思われる。

さて、脳神経系の発生とその運用原理は、今の所は、神経網の確定された原理は把握されていない。何らかの基本的な原理が在る事が想像できるが、やはり、今の段階では未知のままだ。多くの脳神経を探求する人が居るが、すでに出来上がった神経系について、その運用現象を追求することの大切には違いないが、もっとそれ以前、遺伝子と自己組織化の次元で、問題の答えを探求すべきであると考える。データは遺伝子が環境に適応する為に、最善の方法を選ぶように組み込まれているか?であるが、生物にとって最も重要なのは、「環境の変化に適応する」という事が、生き残る為の最大の目的である。この為にこそ、適応が考えられるのであるが、遺伝データの存在理由は、自己組織化を繰り返すと云う事と、今まで繰り返して来たデータの保存としてのデータベースである。また、それとは別に遺伝子は、たえず分子的な浮動を繰り返し、たえず自己変動を自律的に繰り返しているので、当然のある部分の変化が繰り返される事で、分子的な変化、進化?が起きている。根本的な形態進化には中立だが、遺伝子は浮動に因って進化に中立的な変化を遂げている。それは、木村資生氏の提唱している中立説である。この変動は何のために存在するか?分子不動は絶えず熱的な変動が分子にエネルギーを与えて、絶えず変動する。この変動は、どんな役割を持つものなのか?変動は、形態的な変化を起こさないレベルの部分で主に変動しているという。それでは何故なのか?形態変化を起こさない部分と云う物は、何らかの拘束力が弱い部分に他ならないから、表現形式に直結している部分より、何らかの変動がしやすいレベルに置かれているはずだ。現代の遺伝学は、その部分の現象を解明したいのだろう。

この遺伝子浮動の現象は、熱力学的な部分と統計的物理と確率過程の総合として認識されるべき分野だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分節とはなんであろうか?

2016年03月22日 08時15分01秒 | 日記
ヒトのことばを好く知るためには、道筋とその指標としての鍵の言葉が必要である。
それ故に、思いつく間々に、適当な順番で、その鍵の言葉を並べてみよう。

0-言語の問題は、先ず、解くべき対象を、鍵の言葉として、明確化してから始まらねばならない。この鍵が今まで無かった様です。

1-分節とはなんであろうか?、「分節の力とは何か、それは、何処から出て来るのか?」

2-分節を統辞している力こそ、音声を意味に変換・変形して、新たな分節(単語)を産む。

3-意味とは、記憶のサイクルを通しての分節(単語・文・ネットワーク)の再現である。

4-二重性(入れ子構造)と意味の発生を解く鍵がここにある。

5-何が分かれば、我々はことばの本質を知った!、と云えるか?

6-人がことばを取り入れる際(外的と内的の2方向がある)認識の道具としては、あきらかに音であるし、それは波動に違いない。視覚が文字により、思考の道具を果たすのは、ずーっとあとの事である。

7-五感を通じ得た、自然現象の解釈が、道理(論理)になる。

8-「分節する力」、とは、当然のことながら自覚的、顕在的、意識的、なものでは無い、自己意識からは隠れた部分の力であり、意識(思考)とは、別個に在る、自律的なサイクル、と云っているもののことだ。このサイクルの機能が分からない。さて以上の、簡単な公理から始めよう。言葉を探求する手始めとしては、分節なのであるが、それは分節が分かれば、普遍文法のアラマシは解明できたことに成る。

9-生まれて聞いたことのない文を理解し、かつて読んだことのない文を書く力とは、何なのか?聞いた事のない構文を理解し、読んだ事のない散文を書き付けるのは、ある力の異なった側面であり、また、「それは」、その力の同じ側面なのである。

10-それは記憶のネットワークである。記憶と云う表現が堅いならば、印象と云う言葉でもよいだろう。
此れが形成されると未知の文と、新たに過去の記憶が結び、理解によって再びネットワークが形成されるのだ。

11-ヒトの言葉の獲得に関して、最も基本にあるのは、聴覚による形成の過程である。基本的に重要なのは聴覚の情報なのである。決して視覚の機能が関与しているのではない、視覚が関与するのは、文字と云う視覚で機能するものが出て来る、人間の歴史としては、ごく最近の事である。言葉の発生、音の分別、自律的なその適正な区切りの法則、現象は分節である。その自律的な区切りの発生が未知のサイクルだと言っているのです。明らかに、それは一種の原理、法則性の側面があるが、それは従来の法則の性質とは異なる。

12-奇怪な話に聞こえるかもしれないが、少し幻想を書いてみよう。五感は、生物の進化から起きた感覚であろう事は誰しも異存が無いだろう。では、この五感の感覚の形成は、同時なのか?、それとも形成の順序があるのか?。本質的に言えば、視覚は植物に起源を有する。それは太陽の送ってくる光(電磁波)に反応する感覚である。植物は太陽の電磁波を生存の為の養分に換える力を葉緑素を通じて持つことが出来た。光合成を創りあげた。動物はその生存のすべてを植物に負っている。此処までは前置きである。そして、当然のことながら動物も、最初に起こした感覚は外の世界に対する反応であり、それは光を通じて形成された視覚である。端的に言えば視覚は植物的なのである。その反面、地球の生物は、いわば空気と云う(水)の中に生きている。音声は空気の振動であり、動物的であり、ことばの起源はこの振動を通じて、個体の意思を伝えることであった。ことばは明らかに空気の振動を通じて伝えられるのだ。人は声帯を振動させ、自らの意思を声と云う情報媒体に依って交互に伝え合う。あらゆる動物の言葉の起源は、この音波の振動にある。それをどの様に伝える技法を形成するか?、この技法は、遺伝的なものか?余程の障害が無い限り、その技法の高低は有っても、ひとはことばを習得するものだ。波動こそ、音声こそ、ことばの直接の源泉なのである。

書かれた文字と云う物は、視覚に音声を刻む技法に過ぎない。今、仮に、この文章を読む人が居たとするならば、その御方は、画面の記号を見ながら、頭の中で音声に還元しているに違いないと思う。聴覚こそことばの交換につかう感覚と云える。光は、真空の空間を秒速30万キロですすみ、音波は、空気の中を精々秒速340メートルですすむ振動である。この二つの媒体は明らかに性質が異なるもので、生物間の通信は音声のレベルである。電磁波は交信に使う場合も、現代ではもちろん存在する。
このパソコンでさえも、電磁波を利用している。これは人間の知恵の、塊であるし、その反映なのであるが、言葉は、空気の振動のレベルでしかない。神経細胞のなかの電位の進行速度も秒速2メートルを超えない。

13-さて、言葉の獲得とそのシステムについてであるが、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語の起源と人の言葉の習得についての省察ー1

2016年01月28日 09時35分02秒 | 日記
<声と意味> 2016・1・22(金)

私たちが何気なく使う最も大切なものに、ことばがあります。この言葉の実体と習得に関する、多くの問いとそれに対する回答を省察したいと思います。人間が人間である最大の特徴は、ことばを持つ存在であるという事に尽きます。さて、この言葉と称する存在は、いつ頃どの様にして始まったのか?。そして、ことばの獲得は、それは集団の中の通信手段であると同時に、個人の中でも習得され、その後縦横無尽に使われ、個人の資質と知識を拡大してゆく最大の道です。このように人間の成長と成熟について、ことばは大きな影響を与えており、その習得過程を全貌を追求し謎を謎のまま置いて置くことなく光を当てることの大切さを感じています。このような主題が歴史上提示されたのは、そんなに古い事ではありません。それは西洋では17世紀、或いは18世紀になってからの話です。著書として古く残っているのは、フランスの神父であるアントワーヌ・アルノー、ランスローのポールロワイヤル文法という言語論です。そして、18世紀にはルソーの言語起源論が現れ、またドイツにはヘルダーの言語起源論が現れます。この辺でことばの問題意識が芽生え、それ以後はフランスでもドイツでも、この手の考察が盛んになってきます。


それで、近世に於いて、最も有力な問題意識や影響力を与えた人を、ひとり上げるとすれば(勿論、他にも何人も居るのですが)、それはスイスの言語学者フエルデナンド・ド・ソシュールを上げるのが手っ取り早いでしょう。彼は、その明察から言葉の問題に基本的な洞察を示しました。それ以後は言語学はどちらかというとつまらない事に終始し、活用や語尾変化とか、些末な事に成ってい行き魅力は失われた。活気が出てきたのは、アメリカにN・チョムスキーが出現してからでした。普遍万能文法というビジョンを示したことは画期的で大変重要なことば観でした。普遍文法とは、人間の言語能力の普遍性を意識した概念です。地球上のあらゆる言語は、いずれもローカルな言葉に過ぎないと云う事ができる。それは一言で云うと、人間の言語能力は環境に適応する中で形成されるという事実を現している。そして、ではローカルな言語の背後にあることばを統合するものの実体は何なのか?別な表現でいえば「分節」を司る機能は何なのか?という問いです。それは逆に言えばことばの普遍性は、言葉ではなく、精神の、というか、意識のモット底にあるサイクルの普遍性に依って言葉は形成されるのだという事に他ならない。


では、ヒトの言葉の習得はどの様な原理に基づいて、如何なる手順の経過で行われるのでしょうか?それを探求するのが言語起源論の第一の主旨でありテーマであります。どの様な条件の下で言葉は習得されるのか?第一は子供が生まれ成長発達するその言語の環境で聴覚を通じて習得する事に成る。おもに母親との言葉の交換から始まるのが普通だろう。音の分節を単語として認識し、意味が付随するのはどの時期か?やがて文法を習得すると発信を声で行うことが出来る。意味を操るには形容詞・動詞と助詞を組み合わせ、言葉の順序を形成する意味を理解する価値標準が形成されている必要がある。そして、此処で基本的に重要な概念として「分節」と云う操作が有ります。過って井筒俊彦氏が「意識と本質」の中で詳述していた言葉ですね。井筒氏は、この分節を意味との関連で語っていた様ですが、これは語の形成とか意味の創生というものダケではなく、人間の語の獲得の中で中心的な役割を果たす機能は、分節をもたらして、語に意味を与え、文章を口語を統括しているこのサイクルです。これがどの様に働き?、どの様に機能するか?、いまの所、具体的なモデルや図式は出来ていますが、それが現実にヒトの言語獲得と活動を十分に説明できているのか?に付いては、まだ不十分です。

人間がことばを獲得し、十分な表現活動をするうえで「記憶」は、最も重要視すべき機能ですが、そして、記憶の進化という事を云われる方も居られますが、単なる記憶の次元ではないと思います。むしろ、ことばにとって最も核心的な部分は、記憶を統べて、それを動かしている力なのだと思います。その力が何なのか?、それが何処から来るのか?、それを明確に把握する必要があります。この辺の部分は、「言語の起源」をいうに及ばず、意識や精神の実体を含む、心理学の核心部であると思っています。言葉の探求は、やがて「心」と云う概念を明らかにするところまで行かなければならないと思います。可笑しなことでして、自分で云うのもなんですが、是って何となく、唯識の方向性と似ているような気がします。(笑)このサイクルについては、モット精密に、順序と因果関係を参考に探求する事が大切だと思います。

どこか、情報という概念が起きる。そうDNAという遺伝と形態形成を示すデーターの宝庫の事だが、遺伝学に於ける形態としての情報は、一対一の対応だ。その様な論理に成って居ると考えられている。その様な生命体の最も基本的な対応関係を一つの情報と呼べば、コトバは、その様な意味での情報では無い。コトバは、余りにも曖昧な側面が大きいのだ。つまり自由度が大きいと云える。で、遺伝情報の様な媒体と、ひとのコトバは明らかに根本的に異なるものだ。コトバを情報と捉える誘惑が大きいが、それは根本的に異なるものである事を忘れては成らない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県石割山トレッキング

2015年11月13日 20時16分40秒 | 日記

2015年の11月8日(日)に、二宮トレッキングクラブの仲間と石割山の登山に出かけました。あいにくの天気で雨の中の登山でしたが、後から付いて来た1パーティがあるだけで、静かな山行でした。石割神社への道は鳥居を潜ると、手摺のついた立派な階段が現れます。四百数十段の階段は春に出かけた金比羅山の階段を思い出させます。階段のところで、すでに大汗をかいて仕舞いました。荒れ気味の道をしばらく登ると、中腹に巨石が目に付きます。山の中腹にテラスになっている部分があり、そこに石割神社と巨石が鎮座して居て、御神体はお堂の中にあると思われる神像と畳30畳は有ると思われる一枚岩の巨石です。その大岩は二つ・三つに割れてゐて、巨大しめ縄が架かっていました。この巨石は何処からか飛んで来たのか?地中に埋れていたのか?知りませんが、たぶん、この巨石を前にした人は、その威容と神聖さに打たれた事でしょう。

古来から、人間は巨大な力の象徴として、大岩や大樹に神聖な力を感じてきました。日本の古来の縄文神道の系譜である修験道などでは、富士を含めて大峰山などを始め、甲斐駒ケ岳なども山自体がご神体でした。日本全国には修験の山が数えきれない程あります。今回の石割山もその類の一つでしょう。石割神社から、しばらく登ると頂上に到達しました。此処からは、晴れていれば霊峰富士が目の前に大きく望める絶好の展望点らしいのですが、この日は大雨で、全てが煙り眺望は望めませんでした。雨の中、登ってきた道とは異なる方へ下山し、レストハウスの石割の湯に入りました。この日は中学生高校生を含めた、もの凄い混雑で宿の人も驚く様な日でした。ですから好い湯でしたが、高校生たちの集団が居て、余りのんびりとは出来なかった。然し雨の中の登山も、それなりの面白さはあり、久し振りのトレッキングを楽しみました。一緒に出掛けた皆さんありがとう。お疲れさんでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の数学ー和算について

2015年02月24日 20時05分27秒 | 日記

算額について

 現在日本の数学研究のレベルの高さは、世界の中でも突出したモノと成って居るのは、それなりの理由があります。今では忘れられた日本の数学である「和算」は、遠くは室町時代にソロバンが輸入され、それを主に、「元」の算書である朱世傑の「算学啓蒙」、「明」の程大位による「算法統宗」などの著作が輸入され、算学啓蒙に寄り、初期の方程式論や四則、特に割算書などの解説書が出ました。しかし数学の発展を見たのは、特に徳川の平和が形成された江戸時代に成ってからでした。算学は江戸時代に隆盛となり、明治の初年まで続いていました。その源流は古く、上に挙げた様に、既に奈良時代にまで遡る事が出来ますが、和算の直接の系譜は、安土桃山末期の毛利重胤の「割算書」辺りに始まり、江戸時代にそれは確実な進歩を遂げる事になります。毛利の弟子には、塵劫記で有名な「吉田光由」や毛利のもう一人の弟子であった人が居ます。彼は吉田光由よりも、専門的な数学書を刊行しています。比較的優しいせいも有って、塵劫記は発刊されると大変なベストセラーとなり、何版もの増刷が成されて居ます。それ程人気が出たのには、理由があった様です。江戸時代も大阪夏の陣・冬の陣も終わり、イエズス会の謀略である島原の乱などが終了すると、江戸幕府にも幾分の安定期が訪れて、人々は落ち着いた日常の生活が送る事が出来る様になり、物の売り買いなどの商取引や金銀の為替相場、米相場、先物買い、金貸しの利子など、現在の資本主義の根底にある様なものまで、既に出ているのでした。

その他にも商業経済の基本的な技法としての計算方法が必要になってきます。当時は盛んに算盤が使われていましたから、その大切な技法を伝授する算数が「塵劫記」なのです。数の単位、容積計算の基本やネズミ算、つるかめ算のような初歩の方程式の萌芽も、そこには有ります。いずれにしても江戸の庶民がこの算書を買い求めてんだようです。それで満足出来ない人々は和算の塾まで、態々、お金を出して入門し学んだようでした。大変な熱心さであったと思います。塵劫記が出版されたあと十年もしないで、算聖「関孝和」が出ています。関孝和の出現は、和算のレベルを一気に100年引き上げたと感じます。これは殆んど奇跡な事だと思います。何故ならこれ以後、和算には関を超える人は居ないと思えるからです。勿論、歴史に名を残す偉大な算家も何人か居るにしても、一気に超人的な仕事をする人は見当たらないからです。

その後は、日下誠、久留島義太、安島直円、などの有名な算家が出て、書き切れない位の実力のある人々が現れています。和算の分野としては、一つに平面幾何、立体幾何、つまり一般に幾何学と呼ばれる分野です。更に代数的な方程式論の分野がありました。幾何学の方面からは面積・体積の問題が一般的です、そこでは円理と呼ばれる円の、または球の面積・体積など、求積法の問題から、積分の萌芽、それらに動的な現象を適用するとすれば、微分の方法論も出てくると思います。積分と微分は逆の関係にあるから、力ある和算家ならばそれに気が付くでしょう。更に方程式の問題から、関孝和はすでに行列の概念をも出して居ます。この様に彼らは活発に算法を研究し、その成果を神社・仏閣に、絵馬として掲げる事をしています。

それが「算額」と呼ばれる絵馬です。昔は神社に願をかけ、その願いが成就すると、生きた馬を奉納したと云います。しかし、幾らなんでも生きた馬一頭を奉納できる人ばかりでは有りません。願を掛けたいのだが、生馬一頭までは奉納出来ない人の為に、絵馬が代用されました。神の力によって、困難な問題が解けた事を感謝して、和算家は解いた問題を掲げ、更なる精進によりさらに困難な問題を解き得るように、算額を捧げたらしいのです。後年、その算額には、より困難の問題が書かれる様になり、それを解く挑戦者を暗に求めた物でした。それを「遺題」と云います。この様にして、和算は明治の初めまで日本の数学として発展し続けたのでした。然し、明治以降、数学は文部省の指示により、学校教育ではすべて洋算に変わりました。その為日本独自の数学である「和算」は、次第に忘れ去られ消滅していったのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はじめまして!日々の記録として書いて行きたいと思います。

2014年05月11日 22時00分08秒 | 日記
初めまして、ブログを作りましたが暫く書き込みをしておりません。最初ですが宜しくお願い致します。

さて、老齢年金の受給開始年齢を、本人が希望ならば75歳まで延長できる制度を盛り込みたい。と云う趣旨の発言を厚生大臣がしたというニュースがありました。少子化と受給年齢の拡大に伴い、確かに国庫負担の同大が避けられない状況です。消費税UPも、この負担の軽減を目的にしていました。厚生大臣が言うように、75歳まで老齢年金の受給を延ばしても好いと言う人は、確かに居る事でしょう。その様な人は厚生年金が多く、「老齢年金など必要ないよ」、という人でしょう。
わたしは思います、年金制度というものは日本の様に、日本人としての国家帰属意識が強く道義心の厚い、国民に同胞としての団結力がある、特殊な国でのみ成立する制度であると思います。日本人は敗戦の前まで、国の為なら命をも捧げ様という人が多かった、世界的に見ても特殊な国です。それが日本人としての誇りでした。

1945年から1952年に掛けて、380万人もの戦死者を出して日本は敗北しました。アメリカに引きずり込まれるようにして開戦し、アジアを白人の植民地帝国主義から開放しようとした戦いは多勢に無勢、資源の皆無により物量で敗北しました。そして敗戦後の45年~53年にかけて、ドーット生まれたのが今の団塊といわれる世代です。この世代が、戦前生まれの必死に働いた世代の力を継承してきました。それがいま、定年を迎えているわけです。これ以後日本の人口は序々に減少の一途を辿ります。しかし、異常な人口減が特に顕著になったのは、小泉の政権以後であります。若い人が正社員になれないという時代は、1990年まではごく少数の現象だった。少子化の本当の原因は、子供を生み育てる世代が正社員になれないという経済的な不安定さと安い賃金に有ります。若者は自分達が生活するだけで手一杯なのです。3人の子供を育てなければ人口は増加に成りません。いずれ、この団塊の世代は死に行きます、人口構成のピラミッドが3角形になるまでは、いま暫く掛かる事でしょうが、必ずなります。年金もそのときは合理的に機能する事が出来るでしょう。

75歳というと、それまでの生活環境や体質や病気により、そこまで生きる事が出来ない人も沢山出る。大臣たるもの、余りにも浅はかで安易な発言は、人としてまた国民の上に立つには人格として適切では無い人なのであろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする