「ある秋の日の対話」ー 2017年7月6日、これは私の空想の対話である。
秋の長雨も過ぎた、ある日のこと、男は南早稲田の駅を降りると、まだ幾らかの、木々の緑が残る辻通りを歩いて、木立の中の家の前に立ち、格子ガラスの玄関を叩いた。
奥からハイと女の声がして家の玄関を開けた。
「マアお久しぶりです」と女が挨拶すると、男はぶっきら棒に、「先生居ますか?」とだけ声を出した。
「どうぞ上がって下さい」と、女は言うと、靴を脱いでいる男を置いて、自分が先に進み、南に面した八畳二間程ある主人の書斎戸を開けて、「あなた寺田さんが見えましたよ」と云い置いて、自分は台所の方に下がった。
男は玄関の靴脱ぎで靴を揃えると、長い廊下を歩き、主人の部屋の洒落たガラス戸を開けた。ガラス戸には赤や緑の色ガラスを使った風景画や、花が描かれて美しい色合いを醸し出している。「お邪魔します」、男は皮鞄と手にした帽子を絨毯の置いて、おもむろに背広の上着を脱いで座った。
主人ー「やあ、どうしてる?元気でやってますか?」と、主人は男の顔を見ながら声をかけた。
「何かあったのだな?」と思いながらも、この男がこの間だ、俳句雑誌「ホトトギス」に書いた随筆を話題にした。「随筆を読んだよ、気持ち心に沁みたよ」と話しの水を向けた。
男ー いや、先生の初小説は人気が有って結構です。友人達の有様を猫が見た風景ですかね。先生らしいや。俳句雑誌に書いた僕の「団栗」は、高浜さんに謂われて、家内の追善の意味でも、いまの気持ちを書いて置こうと思いましてね。「ホトトギス」は、俳句の雑誌だと聞きましたが、小説や随筆まで載せるとはね。実際、私的な同人誌の雑誌だから、むしろ題材は自由に載せられるのは好いです。
主人ー 高浜さんの俳句雑誌は気軽に書けるから好い、子規は自然描写をより新しい形で進めたが、高浜さんは、それを忠実の継承してきたからね。それはそうと、自分は、いずれ大学は辞めて小説一本で行こうと思う。将来の自信は無いが、嫌々ながら大学で講義をするよりは気持ちに合う。多難な事かも知れない。まあ先は分らないが、これも自分の天命かも知れぬと覚悟はしているよ。
男ー ぼくの方はですね、諸事雑多と色々ですが、いまの職場の何人かの同僚が表面はお上手を言い、陰に回っては論文の内容のケチをつける、それで居て ぼくと面と向かうと涼しい顔をしている。結局そういう中傷の話は、他のルートを回ってぼくの所にまで達するのだが、もう何度もこんな事が有ったことか、先生には今まで言わなかったけれど、意図的に足を引っ張るのは、ぼくだって人の子だから、度々のそんな陰湿な中傷には心中激昂もする事がある。まったく心の狭い輩は度し難い。もっと前を向いて仕事をすれば好いのにと思うのですが。
主人ー 職場の具体的な内容は知らぬが、それでも僕も構図は分るぞ。寺田君、世の中のヒョウロク玉を相手にして居ても、埒は明かんぞ!。世の中には、丸っきり本質が分からない、馬鹿野郎が雲蚊の如くいる物なんだ、特に大學では、こんな奴を沢山飼っているのだからあきれる。こいつ等を相手にしていたら、中身のある仕事など出来やしないのだ!。 自分にも、嫌な事は多々あるが、最近は勉強をしないので叱った生徒が、その一週間後に滝壷に投身したのでは、僕もまったく寝覚めが悪いじゃないか。これは何も架空の事はないぞ、実際の話なんだ。僕より、小泉さんの講義の方がずーっと好いと、学生どもに言われたよ。それに五高の先輩でもある小泉さんを、如何にも自分が追い出した様に言われてしんどかった。それに、まだ20代なら未だしも、34歳にもなって英国に留学を命じられた。俺はまだ本当は漢学の方が好きだったのに、時代が英語を要求した為に、横文字を立文字に直す仕事をする事に成ったんだ。
男ー ハハハ‥今日は先生に愚痴を言いに来たわけではないので…
主人ー いや構わんよ、ドンドン言いなさい、僕くも言うから。怒りを腹や頭に溜めて置いても、碌な事は無いぞ!。血圧が上がり胃が悪くなるばかりだぞ。時には思いっきり寅彦の愚痴も聴いてみたい。
ところでだ、この前に話しを聞いた、あの研究はその後どうなった。その物質の結晶の構造を明らかにするとか云うやつだ。
男ー X線の応用ですね。やってますよ。電圧をかけた電子を銅の標的にぶち当てると、そのとき急に停止した電子のエネルギーが波長の短い電磁波として発生する、それは相当短い波長で、大抵のものは透過してしまう。密度の高いものでようやく停止できる、例えば鉛のような比重の重いものです。その透過性を使って我々の周りの物質に当てて、その構造がどうなっているのか知ろうというものです。
主人ー 面白そうだ。それで、そのX線を物に当てると、物が原子で組んであるのや、原子で出来ている形が分るのかい?その線には害はないのか?
男ー 今迄は単に想像で、仮想的な原子の構造や組み方などが考えられていましたが、それが現実に分かる可能性が有ります。身近にある、例えば食塩の構造はどうなっているか?とか、砂糖の構造はとか?、それは、遣る事が沢山有りますよ。X線の害は、当面重大な害があるとは思えないのですが、長期的にはどうなのか?分らないという事ですかね。この目に見えない光線は物質を透過してしまい、乾板に何かの影を残す。それを調べれば、物質の構造がどうなっているのか分る。それで原子の組み方が判断出来るのではと思い実験をやっている訳です。目に見えない世界を知るには、このX線は有効です。肉は透過し骨は密度が高いから乾板には白く出ます。将来は、このX線が人間の病変を探る医療に、応用されるだろうとフト思いますね。
主人ー 直接には目に見えない極微の世界だからな、それで構造が分れば、物がどうなのかも、元素がどう出来ているか、比較が出来ると云う事だな。君がやっている様な事をして居る人は他にもいるのかな?
男ー たぶん、そりや沢山居ますよ(笑)、X線はドイツで発見されました。発見者はW・レントゲンという人です。この透過性を使って、物の構造を知ろうとする者は他にも多々いると思います。これも競争ですから。
主人ー 科学は、そういう面白い世界が沢山あるから好い、世の中はまるで謎の塊だ。未知のものだらけだからな。然し競争となると、面白いだけでは済まないようだな。やはり優先権と云うものがあるのかね?
男ー 科学では、どんな発見もアイデアでも、先に論文発表した方がプライオリティを、詰まり「優先権」を持つ。それが科学界の不文律です。それは一日でも早い方が優先権を持つのです。外国には大きな研究所が有ります、例えば、英国にはケンブリッジにキャベンディシュ研究所という組織があり、研究員がそこで資金を貰い、好きな研究をしているし、独国にはカイザーウイルヘルム協会というのが有って同じような事をしています。仏国にも同様なものがある。今の日本には、彼等の組織に相当するものがない。大河内正敏さんなどが、日本にも研究組織が必要だと言っているので、いつかは出来るでしょう。然し資金はどうするのか?それが問題だ。
主人ー 組織を据えるとなれば大きな資金が必要だろう、しかし日本としても、科学的に独立し国力の隆盛を図るには、そんな組織が是非とも要るな。発明や発見で資金を宛がうことが出来れば好いがね。しかし西洋科学の方法は導入しても、文明開化と称して、日本文化を否定して済し崩しの西洋化は変だと思うが、西洋の武力的優勢はここ三百年の事に過ぎない。日本は神武以来二千五百年だ、これが連綿として続いて居る。それをすべて投げ出してしまい、新しい物に飛び付くという事を政府は奨励しているのだが、場当たり的で本当の智慧が無いと、短絡的な愚策は将来に禍根を残すだろう。
男ー 先生のお気持ちはよくわかります。森羅万象の自然に対する感情は、そう簡単に変わるモノでは有りませんからね。徳川の世に成って二百五十年、締め付けは在っても大きな戦争は無かった。外敵に襲われる事無く安寧に暮らし、問題は飢饉という国内問題だけだった。
*-ここに主人の奥方が、部屋にお菓子とコーヒーを持って入って来る。
奥方ー マア、マア、寺田さん、ここの所、お見えに成らないので、また海外にでも行かれたのかと思いましたわ。ホントに、ご立派に成られて…、寺田さんというと、あたしは貴方がまだ五高の学生だった頃をいつも思い出しますわ、最近は俳句は作っていらして?
男ー もちろん作っていますよ、俳句は先生に教えられた当時から興味が湧きましたから、なかなか深いものです。これは極めるのは容易な事ではありませんね。
奥方ー あなたがが来て下さると、主人は、その後々まで機嫌が好いのですよ。度々来てくださると助かりますわ(笑)。それから「ホトトギス」の随筆読みましたわ、本当に残念でしたね。あたし胸が締め付けられる思いがしました。寺田さん今日はどうぞゆっくりなさっていってください。
*少し話して奥方は戸を開けて台所に下がった。
主人― (熱いコーヒーを飲みながら)、折角来たんだ、どうだ、今日はゆっくりと話しながら夕めしでも食って行かんか?
男ー (同じくコーヒーをすすりながら)先生の創作の邪魔になるのではないですか?
主人ー 書くことも大切だが、取材も同じく重要なのだ。
男ー 取材って、ぼくのことですか?(笑)
主人ー 君のような話題を持って来る人は、他に居ないんだよ(笑)、話は面白いし、今までの、君の一生も面白い、いずれ、この事をモチーフにして書いてみたいが、好いだろう?
男ー どうぞ何なりと書いてください(笑)、なにも面白そうなことは無いと思いますが…
主人ー 出会いも面白いものだったな。寺田が五高の二年生の時の事だったかな?、確か、試験で落第点を取った生徒の加点を頼みに、3~4人で来た中の一人だった。僕は点をやるとも、やらないとも言わなかったが、結局は落第はさせなかったよ。勉強しない生徒は容赦しないつもりなのだがね。
男ー あれは恒例でした、あの時M君のことで、僕も頼まれて断れなかった。じっさいMは、真面目で普段なら落第点を取る様な男ではないです。あのとき母親の病気で田舎に帰り試験前のふた月近く、家の用事や看病に当たっていた。それで先生の授業には出ていないはずです。
主人ー まあ仕方がない、それで、ぼくと君は知り合いになったのだから、怪我の功名と言うべきものだ。落第も好い物なのだよ。そういう経験と言うものは、人生で思いがけない関係を創るものなんだからな。
男ー 先生も落第したのですか?(笑)
主人ー そりゃ~したんだよ!(笑)、病気で学年末の試験が受けられなかったのだ。今なら、再試験してもらえば好いじゃないか、と言う者も居るが、自分は一層のこと落第しょうと思ったんだ。落第はしない方が変じゃないか?おかしいんじゃないか?、落第しない方が損をしているぞ寅彦、(笑)。君はズーッと、秀才で通したのだから、そんな経験は無かろうが、落第は金もかかるし、世間的にも外分が悪かろう。でもな寅彦、人の出会いと別れは、落第の様な思い掛けない偶然が、大きな役割をするんだよ。実際にぼくがそうだ、落第したお蔭で米山保三郎という面白い男にも出会ったし、人生で文学を選択する切っ掛けにもなった。米山は若くして死んでしまったが、もしも生きていれば、大傑物になっただろう。文学ではまともに食えないだろうと云うのが、世間の常識だが、しかし、これは後世に大きな影響を持つんだと、米山は言ったよ。それはそうだ、どんな偉大な哲学や思想だって、一般人は一生の間に、そんな物をどれだけ読むか?疑問だ。読むのは学者や奇人だけだよ。だが文学は違う、これはどんな連中だって、少なからず面白いと評判の物は金を出してまで買って読むんだよ。
男ー およそ科学が未来を創るというのは、知的世界では常識ですが、確かに文学は、人間の日常を活写しますから、それは古代から引き継いで来た日本の古典文学と同様で、これからも残るでしょう。文学で食ってゆくのは大変だと思います。何か二股を掛けて、生活費を稼ぐには生業を持ったうえで、文学を趣味に遣るなら好いんですが、文学だけで食おうとなるとね。先生から薫陶を受けた以上、ぼくも研究の合間には、随筆を書いてゆこうと決意しています。「猫」は、実に傑作でした。飼い猫の視点は将に斬新だ、然しこれからどうします?、いつも猫の様なものを書き続けるわけにはゆきませんよ。
主人ー そうなんだ、温めている物や思い付く物は幾つかある。この世界にも同じ連中がいる、例えば露伴や鴎外だ、露伴はどうやって行くのか知らんが、鴎外は軍医と言う生業を持って居る。そりゃ生業の合間に書くのは大変だろう、だがそれでも結構何とかなる。困るのは書けなくなった時だ、その時は食うに困ることになるだろう。
男ー 種はいくらでも有るハズです。男子一生の仕事とするには、ただ食う為だけの事では、どうにもならないです。それ以外の何かが無くては、生きている意味は見えない。今は実験物理をやっていますが、自分も何を専攻するか迷っている時、一層「心理学」でもやろうかと考えた事もあるんです。
主人ー アア、そんなら自分は、最初は「建築」でもやろうかなと思ったよ、心理学も面白い、俺も理科は好きだったのだ、その方に進めば、こんな事には成らなかったかな?(笑) 心理学は、単に意識や精神と言うものの、発生と構造機能を探求するだけでなく、人間の心の病理も扱うのだろうな?そうすると日本では、「心とか悟り」とかいう場合には、仏教を抜きにしては、何も見通しが附かない。大學時代に色々と煩悶し、鎌倉の寺で参禅したんだ。だが俺の悩みの根源を、円覚寺のあの坊主は少しも理解しなかった。
男ー 本来の仏教って、元々は心理学では無いのですか? どうもそう思いますよ、唯識にしたって中観にしても、それは心理分析ではないですかね? かなり日常感覚を超えた、一種の記憶の下に降りてゆくような修行です。詰まるところ、座禅はそんな修行になる。人間の深層意識の探求は、仏教の常套手段だから、少し乱暴だけど、仏教は本来心理学の一種だとおもいます。
主人ー 仏典を、読んだ事あるのかい?
男ー いや、改まって本格的に読んだ事は有りませんが、解説を幾らか読んでみると「八識」というのがあります。眼、耳、鼻、舌、身、意識、末那識、阿頼耶識、の八つです。この様に唯識では意識の実態を分類している。最初の六つまでは、感覚神経系で、外の世界からの情報を得る為めのものです。しかし、あとの二つは意識には直接掛からない、未知のもので、我々の日常の思念の世界を成り立っているその足場にあると思われているものです。むかし、この世界を悟りではなくて、その実態を数量化、或いは現象化、できないかな?と思い、それで、心理学をやってみたいと考えた。
主人ー 成る程な、そうか面白い。もしかすると文学と言うのは、その底辺の世界と現実の娑婆をつなぐものかもしれないな。それが出来れば文学的には成功という事だろう。そうだな、そう、その己を突き動かす得体のしれないその意識と末那識を繋ぐものを明らかにできれば好しとすべきだ。
男ー 仏教は、勿論それだけではないですが、たぶん初期は心理学に近い立場だったのでしょう。仏教の始祖である仏陀ですか?釈尊というのか?パーリ語ではゴータマですね。彼が始めた当時は、彼以前にも心理学探求の先人が居た。六師外道と言う名称で謂われている人達です。彼らはどんな人たちであったのか?面白いです。ギリシャ文明で云う所のソクラテス以前の哲学者という分類が六師外道と酷似していると思います。彼らは瞑想の実践から深層の真実を把握した。これは現在の心理学の探求レベルを超えている。偉大な事です。心理学は巨大な設備や高価な実験道具を必要とはしない。瞑想と集中力だけです。それがどんなに大変な事か!。もともと原始仏教は、日本仏教とは似ても似つかぬものだった様ですl原始仏教は、心理学を基盤にした、存在と認識の哲学でもあったらしいのです。初期に入って来た仏教が、詰まり奈良仏教です。それは、哲学と論理学、数学、などが混在した思想であり、人の生き死にとは、余り関係のない物で、これが日本仏教になるには長い時間を要したと思います。ですから奈良仏教から平安仏教へ、そして鎌倉五山を始めとした鎌倉仏教に変わって、初めて日本仏教に成ったともいえるのかも知れない。そういう事を考慮して、もう一度その心理現象の根底を探求し再現してみたいです。
主人ー いったい、寅彦は坊主にでもなる気かね?(笑)
男ー ハハハ…、坊主になる気はありませんが(笑)古い仏典は、昔の人間が初めてこの世の意味を探求した記録の一つですから、然も真剣に心と謂う現象の批評と分析の集大成ですからね。心理学の参考の一つには成ると思いますよ。但し、かなり変な分析もあります。本来、地獄や極楽もこの古い原始仏教時代の概念には無いんですね。
主人ー ほお~、それはいつから出来たのかね?
男ー さあ~、生まれた以上は万物は死ぬわけであり、それは「無常」であるわけです。永遠に存在するものはこの世界には存在しない。今の生活形態が死後も続くという先入観が抜けなかった為に、来世という事が考え出され、そしてこの世の中で正しい生き方をした者は極楽に、悪にまみれた生き方をした者は地獄に、という考え方で創り出されたのが、あの世観ではないですかね。
主人ー 人間が始まって以来、そんな事が繰り返されて来たんだな。それはそうと次の小説だが、自分が東京から愛媛の松山中学で暮らした一年間のことを書いてみる積もりだ。あのときは全く出鱈目だった。生徒からして小生意気で弱った。東京高師に勤めたがあまり気乗りせず、辞めて子規が療養していた松山へ行った。松山中学の英語教師の募集に応じたのだ。松山は一年しか居なかったが、東京の雰囲気から急に四国に行ってみると、何だか土地柄と云うか僕の肌合いに合わん。俸給は校長よりも多かったが、五高から誘いが来て、熊本に移ることに成った。それが寅彦との出会いのきっかけだ。
男ー そうでしたか、幕末期にわが寺田家でも色々な事が有りました。父も精神的に相当苦労している。幕末期に父は藩主から喧嘩両成敗の命令で弟を切るという無残な仕事をさせられている。それは恐らく一生父の心の底にわだかまりを生んだ。遣りきれない気持ちが何時も有った様に感じる。
主人ー うん、そんなことが有ったのかね。自分も母の40過ぎの子供として、要らない子として生まれたのだ。生まれた年が大泥棒に成る宿命だという事で早々と養子に出された。露店で泣いて居るのを見て、姉が不憫に思い連れ帰った。そして再び養子に出された。思えば不思議な運命だ。
男ー まったく不思議な縁ですね、何事もなく順風満帆として暮らして居ると思いこんで居ても、人生は予想のつかない不思議なものです。無秩序でランダムと言っても過言ではない。この世のランダムと必然性は人の智慧を越えている。世の中の現象は自然に無秩序へ移行するのが自然なのです、それは時間の進行と共にあらわれる必然性だ。エントロピーと言う熱力学の分野の基本法則です。このエントロピーと謂うのが、この宇宙の形成と並行している。この分野は時間の現象と絡んで、今後の物理学の根幹をなす興味深い世界です。
主人ー そのエントロピーというのは具体的には何なのだね?
男ー そうですね、この概念は熱力学の探究から出てきました。19世紀の物理学は、ごく身近な対象から始まりました。水の沸騰だとか、凝固だとか、熱物理学です。こんな中から生まれてきた概念が、エントロピーという物です。物事は秩序ある段階から、放って置くと段々に、その秩序が壊れて行く。これが熱力学から生まれた概念の一つで、エネルギーの保存則と同じく、熱力学の原理を構成する第二原則です。このエントロピーという概念を付けた人は、ドイツの物理学者クラウジウスという人です、それを厳密に基礎付けし展開したのは、L・ボルツマンというオーストリアの物理学者でした。物事は放って置くと形あるものが壊れて、バラバラの無秩序になるというのが自然の流れで、それが時間軸の必然性だという事です。人は、この世の因果性を言うが、大宇宙の始まりでは因果性は存在しなかった。因果性は時間の流れが出来てからの話です。この宇宙が無から生成するとき、時間も空間も、そして物質も存在し無かったのだから、因果性は有るはずがない。無と言っても先生、空っぽの事では無いんです。すべて、ある時、無の宇宙がシャボン玉の様に急激に拡大を始めた。そして物質が生まれ時間と空間が生まれた。順番を云えば、まず時空が生まれて、次に物質が生まれた。その物質を司る力は、重力が次に強い力、つまり原子核を纏めて居る力が生まれ、次に、弱い力つまり、原子核を変換する力が生まれた、次に我々の最も身近な電気力磁気力がうまれた。その順番は、宇宙の進化を示している。この過程の中からわれわれ人間も生まれて来た、という事です。
主人ー バラバラになる方はエントロピーだとしても、じゃ、形を創る力の方はどうなんだい?、何だか因果性の世界のようで面白いな。外来の典籍を見れば、自然は老子のコトバにあるが、寺田がいう自然は、ヒトなどと言うチッポケな存在を超えるコトバだ、科学における自然の概念には、物事を押進めて、新たな構成物と輪廻を作り出す力が有ると日本では大昔から信じられてきたのだ。やっぱり、俺も理科を選ばずに失敗したかな?(笑)
男ー 先生、図星です。これからは形を作る作用を探究する様になるでしょう。僕は色々と自然の作用が及ぼす形の研究を、これから主に遣ろうと考えて居ます。構成の原理、これは自然現象の、最も基本となるだろう未知の概念です。これからの形の科学は、この構成の原理を掴む事が、重要な事に成るでしょう。その際は、原子から分子に、そして、分子から構造へと進むことになりますが、そのフィールドでの基本的な力を突き止め、その作用の原理を知らねばならないと思います。これは古来の気の概念にも、ある意味では繋がる物でもありましょう。 先生、即座に勘所を掴むなんて、ハハハ…やっぱり理科に進んだ方が好かったのではありませんか?(笑)。それで、わたしも思うのですが、直ぐに分る学説という物で、革命的な物はひとつも有りません。例えば、或る学説を提唱したが、誰も相手にせず、当事者が没してから50年後に、或いは100年後に、何を云っていたかがわかったと言う様な物でないと、大した事は無いです。
そう言う飛び切りの人は、在世中は苦労することに成ります。それは人間の文明の為の代償なのかも知れません。
主人ー 成るほど、余り先の見える人は通常、共通範疇から飛び出る人は、研究人生的には、不幸なのかも知れない。しかし、自分もその世界に参加してみたい気はするんだが、でも、今となっては手遅れかも知れんな…(笑)。 反面、俺は文学でも良いか?とも思うんだ。江戸以来、日本の文学は主に戯作を家業としてきた。そこでは、新しい形式の文学は、まだ創造されて居ない。江戸以内の日本の伝統は、済し崩しの西洋化の為に打ち捨てられているのだ。基本的に、西洋の文明をダイレクトに入れることには僕は反対なのだよ。余りにも性急すぎると思わないか? その点、科学は好いよ、これは今まで日本では余り発達しなかったのだからね。江戸時代には、技術と哲学は大いに在ったが、数学と技術が緊密には結びついてはいなかったから。これから先、西欧に学んだものを自分で縦横無尽に改造して、日本の科学として定着させることだな。寺田君らの努力が、やがて実るだろうと僕は思うよ。
男ー 話は飛びますが、たぶん先生は相対性理論と云う、運動に関する物理学の革命を聞いた事が有ると思いますが、あれは、速度の限界を光速度と規定して居ますが、如何なる運動物体上でも、光速度は保存される。そう仮定すると、妙な事が起きることになります。運動物体が光速度に近づくにつれて、時間がそれを外から見て居る人に取り遅れだし、空間は収縮してゆきます。運動物体の慣性系にある人には、そんなことは感じられない。あの理論以来、「時間と空間と物質」は、独立の存在では無く、互いに関係しあう、惹いては同一のものと考えられるようになります。一応、この相対性理論は古典物理の範疇で治まりますが、ここ最近、また極微の世界では、量子論という世界が議論されつつあります。最初に話した、あのレントゲン線(X線)の世界の新しい知見です。これは実に奇妙な物でして、一言で云うことは出来ませんが、どうも世界は、私たちが生まれて以来、常識的に考え感じていた世界とは、まるで異なるような世界です。量子力学は現在の時点では建設中ですが、その問題は大きな世界観の変革を伴う事でしょう。
主人ー ここ20世紀以来、自然科学の方は大いに新知見が出てきているね。自分も、実は漢文のほうが好きだったのだ。算術の方も得意で好きな方だった。然し、何せ大学予備門は、英語が難しいと聞いて居たので、神田の英語学校で必死で英語を学んだのだ。そしたら英語は、同級の中でも自分が可成り出来る事が分ったので予備門から、大學は英文科に進んだのだ。英文の文献を読む事も幾らかは有るが、残念だが理科に進まなかったので、数学の習得が不十分だから。考えれば、若い頃は、少しでも食う為に職業を選んでいた帰来がある。江戸時代以来、算術は武士階級には重要視されなかったからな。然し時代は変わったのだ、寧ろ、此れからは算術と窮理学(物理学)が重要な基礎土台になるから、若い人は、出来るだけ、その方向に進むべきだろう。とは言っても、数学は明らかに適性が有るからね。寺田君は若い頃からその適性を意識して居たかね?
男ー いや、特別には、そんな意識は有りませんでした。でも物事の道理を進めてゆくのは好きな方でしたね。こうして若い頃から先生といろんな話をして教えられることが多かった。今日もお邪魔して好かったです。
主人ー そりや自分も同じだよ、僕だって君に教えられ感心する事が多いのだ。歩く道は異なって居るが、むしろ、歩く道の違いが、新たな発見と展望を生んでいるんだ。今度来た時に、その量子力学とやらを聞かせてくれないか?世界は不思議に満ちて居る。生きている内にこの世界の様相を知ることは、成仏の為の第一の課題だろうからな。(笑)
* 秋の日は暮れるのが早い、男が主人の家を訪ねて二時間もすぎると、日は西に傾き外は急に暮れだした。男は帰り支度をはじめようとしている。
主人ー なんだ夕めしを食ってゆかんのか?
男ー 今日は家に用事がありまして、残念ですが帰ります。
*- 主人は立ち、台所に行くと、
主人ー おい、寅彦が帰ると言っているぞ…。
奥方ー まあ、せっかく牛肉を買いにやらせて、いま帰って来たところなのに…
主人ー 包んで持たせてやればいい。
奥方ー 直ぐ用意します。確か、寺田さん甘いものが好きだったはず…。このイチゴジャムの大瓶も持たせてやりましょう。
主人ー そのジャムは、俺のなんだけど…。
奥方ー あなた何を言っているんですか!!こんな物ばかり舐めているから胃が悪くなるんです!
あれほど、お医者さまに言われて居るでしょう!。甘い物は控えるようにって!胃が悪くなった時の辛さを忘れたのですか!
主人ー …
* 主人が玄関の方が行くと、男はたたきに座り、靴の紐を緩めて履こうとしている所だった。奥方がその後からついて来て、買って来たばかりの牛肉とイチゴジャムの瓶を入れた包みを持って居る。
奥方ー 食べてゆくものとばかり思っていましたので残念ですわ。
男ー ええ、また今度伺います。その時にはゆっくりと頂きます。
それから、これは先日、Germanyから来た外国人を浅草に案内した時に買ったものです。子供たちにあげてください。
(大袋の中には小さなお人形が三つと二十枚以上のメンコが入っていた)
奥方ー これお持ちになってください(笑)
男ー ありがたく頂きます。では先生又来ます、奥さんお邪魔しました。
* 男は軽く会釈すると、もうすぐ暮れる、西に傾いた秋の陽を、顔に受けて帰って行った。
人の幸せとか、不幸とかに関係なく、歳月は人の上を過ぎてゆく。人間の一生も四季の変化のように、若い春があり、力漲る夏がある。人生の秋がきて、やがて静かに眠る冬が来る。この世に生れた以上、人の一生はその時、その時の、時代の中で、季節を過ごすように、心を込めて 一途に生きるほかに方法は無いのだ。時間は今しかない。漱石も偉大な人間だった、寅彦も熊本の高等学校で漱石に出会った。それぞれが切磋琢磨して、これ以上ない親友となった。誰もが、こういう親友を、自分の人生で、一人で良いから見つけたいものだ。
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